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22歳という節目

おはよう!こんにちは!こんばんわ!

まいこです。

本日は私の母親と私の過去の大恋愛についてお話していこうかなと思います。

私の母親は若くして私を生みました。22歳の時です。
そして私は今年22歳になろうとしています。
節目の年のように感じましたので、過去を振り返って思うことをありのまま書いていきます。

22歳の母

私の母親は、高校生の時に父と出会い、22歳で結婚、出産をした。若く貧しい時がありながらも、生意気な三人の子供を育て上げた。
幼いころの私は母が自慢だった。母は、周りの子たちのお母さんよりずっと若く、「まいこちゃんのお母さん綺麗だね!」と言われることが多かった。

私はこの年になってやっとわかった。
当時22歳で、田舎の美容師とコンビニのパートを掛け持ち、さらには専門学校に通い、看護師の資格まで手に入れた母。凄すぎるのだ……。

母は偉大。感謝と尊敬でしかない。


22歳の私


一方、私は現役大学生。聞こえはいいが、頑張っている事は何ですかと聞かれたら、単位を取ることです!と答えるくらいの平凡大学生。
就活年次にも入り、就活、大学の勉強、バイトとサークル…と考えるだけで気が滅入るのに、子供を産んで、育て上げるだなんて私には到底考えられない。

母からは

「あなたは本当に甘い。私があなたと同じ年の時は遊ぶ暇なんてなかった。」

とよく言われる。本当にその通りでぐうの音も出ない。

人生は人それぞれ


人と比べる必要はないという言葉がある。
しかし、私はもっと頑張らないといけないのではないか、と何かに駆り立てられるような気持ちが年々強くなってきた。
私が今年22歳になるからなのか。

話しは変わるが、私はもう3年ほど恋人がいない。母はこの年で結婚していたのに、恋人すらいない私…。

正直全身から汗が噴き出るほど焦っている。


友達のインスタは、幸せそうな投稿であふれている。「付き合って〇周年!」こんなストーリーが流れてくるたびに私とこの子たちの違いは何だろうかと考えてしまう日々。正直死にたくなる。

大学一年生の時はみんな恋人がおらず、同じスタート地点に立っていたはずだった。むしろ仲のいい友達の中で、私が最初に恋人ができたので正直、優越感にすら浸っていた。今思えば、かなり恥ずかしくて埋まりたい。

しかし、私の脆い優越感は長くは続かなかった。付き合って半年と経たないうちに、彼から別れを切り出されたのだ。

彼とは遠距離恋愛だった。最初の一か月は週一ペースで会っていたものの、残りの四,五か月はLINEと電話のやりとりのみ。

もっと会いたい私、会わなくても全然平気な彼。


上手くいくはずがなかった。だが私はどうしようもなくこの男が好きだったのだ。

これ以上好きになれる人はいない。この人がいなかったら私は生きる意味がない。


当時は本気でそう思っていた。

依存しきっていた彼に振られた私は当然病みまくった。ベッドから起きられず、飲まず食わずでただ目から水分が流れ出ていくだけの日々。

ぽっかりと心に穴が開いて、その穴から生命エネルギーが垂れ流しになっているような感覚


完全に鬱だった。

約3,4か月、毎日その状態。一言でいえば地獄。
死ぬ勇気もないので、死んだように生きる。死ぬ勇気がない自分に嫌気がさしてくる。

私は死んだんだ。とりあえず一回死んだことにしよう。
死んだから、これからの日々は全然まし!!


そう思うことでどうにか心の安定を図っていた。

今となっては失恋ごときでなぜここまで落ち込んでしまったのか全く分からない。鬱になってしまうくらい本気で彼を愛していたのか。きっと違う。失恋に慣れは無いと思うが、あまりにも慣れていなかったのだ。
初めての失恋だった。

恋人が私から去った頃、友達には次々と恋人ができていた。彼女たちの報告はとてもうれしかった。幸せそうな彼女たちを見ていると私も元気と希望がもらえるように感じたのだ。

私もそのうち恋人ができる!今はもうちょっと休もう。

大学に行くモチベーションも無くなっていた私は休学することに決めた。バイト漬けの日々を送ることで考える時間を強制的になくした。だんだんと回復に向かっていったが、それでも夜な夜な思い出しては涙を流し、ふと死にたくなる時もあった。まだまだ不安定で、今も不安定。きっとこれからも不安定であり続けるのだろう。

待っていたのはバイトと家の往復のみの生活


バイト以外は家に引きこもっていた私に当然恋人はできない。自尊心があまりにも低すぎた。こんなヒキニートなんて…。すっぴん、髪ぼさぼさでバイトに行く私なんて…。

何の取柄もない私を一体誰が好きになるんだ!!!


失恋によって既に、自信は底なし沼へと落ちていた私。バイトを毎日頑張っている、それだけが私の誇れる部分だった。しかし、バイトを毎日している学生なんて山のようにいる。それに比べ、バイト以外は家に引きこもっているごみ。そりゃあ自信が付くはずはない。

ここら辺でだんだんと人と会いたくなくなってきた。友達の恋愛話にも付いていけないごみ。友達には恋人がいて当たり前。楽しかったはずの恋愛トークが、いつしか私の心をえぐる刃物でしかなくなっていた。

私も恋人がほしい!!きゅんきゅん恋愛トークがしたいんじゃ!!
でも、恋人を作ったらまた病んでしまうのではないか…。

結局は病んでしまうことが怖くて怖くて、恋愛も上手くいかなかった。

(私が回復するまでのお話はまた後日書こうと思っています。良かったら楽しみに待っていてください。)

もっといろいろ自分磨きをすればよかった!

元気になった今ではそう思えるが、あの時は休養が必要だったのだと思う。逆に言えば、自分磨きをしようという余裕が生まれるくらい、今は回復したという一つの指標になっていると思う。

私はひたすら休んだことに対して後悔はしていない。恥じてもいない。認めている。あの頃があったからこそ今があるのだ。

あの頃には戻るまい。


その決意が今の私を突き動かしている。負けそうになったらあの時を思い出す。一旦絶望を知って、底をわかっていると人は強くなれる。優しくなれる。底へ落ちても大丈夫。今はつらいかもしれない。だが朝が来ない夜はない。

あなたは這い上がれる。だって私が這い上がれたのだから。


私は断言する。
本当につらいときは何も考えず、ただひたすら休め。
立ち上がるための力は気づいたら回復している。安心して休みなさい。

人間なんてそんなもん。



長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、有り難うございました。病んでいた頃の話がずいぶん多くなってしまいました。それほどまでにあの時の経験は今の自分に大きな影響を与えています。

共感してくれる方がもしいらっしゃいましたら嬉しいです。
誰かの心に入っていけるような文章を書いていきたいものですね。
精進していきます!




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