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カレーがおしえてくれたもの

10代の頃、知り合いに連れられてカレーを食べに行った。
外でカレーを食べるなんて、その時が初めてだったかもしれない。
奈良の実家に住んでいた私は
外食といえば、ファミリーレストランやファストフードで
メニューにカレーはあっただろうが、選んだ記憶はほとんどない。
いつも食べるのは、ハンバーグやドリアやスパゲッティ。
こってりしていて、作り手の顔が見えないものが「外の味」だった。
温度の感じないものの方が安心できた。
見たことのない看板の店に入るのは怖かった。

そんな私の”おそとカレーヴァージン”を捧げたのは 
大阪の北浜にある名店「カシミール」だ。
行列ができるカレー屋さんを見るのも初めてだった。
小一時間くらい並び、カウンターに座ると
足をぶらぶらさせながら知り合いに勧められたものに注文をした。

カウンターの中では店主がテキパキとカレーを作っていた。
フライパンを揺らせば、そこからのぼる湯気もゆらゆら踊り
すでに立ち込めていたスパイスの香りが濃くなって
おなかをソワソワさせた。

おしゃべりをしている客はおらず、聞こえてくるのは料理の音と
FMCOCOROのジングル、店の裏にある高速道路の騒音。
そして皿をなぞるスプーンのカチャカチャという音。
すべての音がくっきりとしているのに店内は不思議なくらい静かだった。
音たちは、窓から入り口へと流れていく風にさらわれていくようで
その感覚は夢の中にいるときの独特の静けさに似ていた。

そしてようやく運ばれてきたカレーは、私の知る”カレー”ではなかった。
サラサラで、こっくりとしたきれいな茶色で、カレーらしくない野菜やお豆腐も入っている。
一口食べてみるととにかく辛くて、なんだか酸っぱくて、汗が吹き出した。
”美味しい”とか”美味しくない”とかにたどり着くこともできず
「食べきらなくてはいけない」という使命感と
「どれくらいなら残しても良いだろうか」ということばかり考えていた。
香りを楽しんだり、じっくり味わって食べることはできなかった。
食べ終えてからしばらくして、唇の上に出来物ができた。
それがカレーのせいなのかはわからないが、散々なデビューだった。

なのに私は、また同じ店に行った。
列に並んで、カウンターで足を遊ばせ、同じメニューを頼み、
店主の後ろ姿を眺め、カレーの辛さに驚いた。
なぜ「また食べたい」と思ったのかは覚えていない。
カレーそのものよりも、店の佇まいに惹かれていたような気もする。
そして何度か通ううちに、カレーの味や香りを思い出すようになった。
思い出すと、食べずにはいられない。

奈良から北浜へ、せっせと通ってはカレーを食べた。
カシミール以外のカレー店にも足を運んだ。
当時は今みたいにたくさんの店があるわけではなかったが
人に訊いたり、インターネットで調べたりしながらカレー屋を探した。
どの店で食べるカレーも、ひとつとして同じようなものはなかった。
人間に個性があるように。
「ちょっと似ているな」と思っても食べてみると全然違ったりした。
カレーにも顔や性格があるみたいだなと思った。
それが私がカレーにどっぷりハマった理由かもしれない。
カシミールに出会ってから約17年。
私はずっと好きなカレーを探し続けている。

「一番好きなカレーは?」と訊かれると
答えはずっと同じ、「カシミール」と答える。
しかし2番めはたくさんありすぎて答えられない。
様々な顔をしたカレーと、それを作る人の顔も浮かぶ。
コワモテのおじさんが作る優しいカレーも
おっとりしていそうなお姉さんが作るスパイシーなカレーも好きだ。
あまり好みではないかも……と思ったカレーも
別の日に別の気持ちで食べると、とても美味しく感じることもある。

ほとんどメディアの取材を受けない「カシミール」だが
一度だけ、新聞取材をさせてもたったことがある。
営業が終わった頃にお邪魔してあれこれ店主と話をした。
その時の「進化し続けているんですよ」という言葉が
深く印象に残っている。
出会ってからずっと、変わらない味だと思っていた。
それこそが魅力なのであろうとも。

しかし私だって17年間で、変わらないところを探すほうが大変なくらいだ。
考え方も、性格も、洋服の趣味も、贅肉の付き方も、シワの数も、
17年前とは違うところだらけ。
カレーも変わっていれば、私も変わっている。
あちらは「進化」で、こちらは「老化」かもしれないけど。
変わらないのは、北浜のあの場所に
大好きなカレー屋があるということだけだ。
うるさくて静かで、そこだけ時が止まっているようで
でも他と同じように、ずっと流れ続けている。

カレーは生き物なのだ。
作り手の温かさが「味の温度」として表現される。
私はきっと17年前よりも敏感にそれを感じることができるようになった。
好きなものと一緒に歳を重ねるのも、見たことのない看板の店に入るのも
とても素敵なことで、全然こわくなくなった。

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