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毎日書くこと、創作することに関して私が思うこと

noteに投稿されている作品を見ると、毎日更新をしている創作者を発見することがある。
継続は力なり。毎日向き合おうという真摯さがよく伝わってくる。
そういうのを見ていると触発されて、私もと思うことはよくある。

とはいえ、そうは簡単にできるものではない。
現実問題、noteに投稿するということは、noteの読者の目があることも意味する。その第三者にもお見せしてよいものだ創作者自身が感じるものでないとなかなか公開ボタンは押せない。
少なくとも私はそうだ。
書きたいなというネタがあったとしても、それが第三者に伝わるようにと形として昇華できていないと作品として発表はできない。
そう、ポイントは作品として。

もちろん、まだまとまっていなくて、
それでもメモとして、アイディアとして、つぶやきとして、思考を整理するための手段として、意見をつのる手段として
投稿していることも往々にあると思うので
それは別問題だ。

私も何度か毎日創作することをしてみたことがある。
小説を書くまでの経緯と葛藤
でも少し触れているのだが、小説を本格的に書く前段階として、何か毎日創作アプローチができないものかと思い、
一日一作品と名付け、
毎日詩を書くということをやっていた。
わりとアナログなやり方なのだが、スケッチブックを用意して、1枚ごとに詩を書き綴っていくというやりかた。日記の詩バージョンともいえようか。1月1日~12月31日の365日続けてみた。365の詩がある。
大学生4年の頃の話だ。就職して社会人になるまえに、一度、自分の創作熱がどれだけ継続性のあるものか試してみたいと思ってやったことだった。

この写真、実際の作品だ。
毎日書き綴って、気が向けば色鉛筆で絵をかいたりした。
(絵に関して言えば、だいたいは気に入ったものだけ、絵がふっとでてきたときだけ、しか描いていないので)

アナログなやり方なので、SNSやブログなどでアップはほとんどしていない。気恥ずかしさもあったのだが、
作品として作っているが、堂々と自信を持ってお見せできるものでもないなという気持ちもあった。そこまで完成されていないなと。
ただ、私が私自身をどれだけ創作に対するこだわりがあるのか実験する意味合いが大きかった。
毎日言葉を紡ぐ、作品を作るという行動に意味を感じていた。

当時、ネタ帳というか、思いついた言葉、感じたことをパッとメモするノートがあって、そのメモを見ながら、今日の詩はこういう感じで書こうと思って作るスタイルだ。

それで一年やってみた感想。
まずあきらめずにやりきった自信がついた。これはかなり大きい。人間継続できているということに大きな誇りを感じるものだと思った。
作品によって、完成度にむらがあった。
友人に作品を見せたこともある。
作者自身気に入っているものと、第三者がいいと思うものは異なることもあるが、
ひとつ言えるのはそう毎回、刺さるもの(=完成度のたかいもの)を生み出せるわけではない。ということ。
実際、毎日作品をつくっていたが、そう毎日''これは作品にしよう''と思う出来事や感情の揺さぶりがあるというわけでもない。
毎日詩をつくるという約束事の縛りで、あまり作者的にはノッてはいないが、ないところからひねり出してみたものの、やはりつまらないということもある。

なるほど、
何かを創る原動力は、作者が作りたい、発信したいという気持ちに大きく左右されるのだと
実感としてわかった。

ただ、とりあえず数をこなすというのは、創作する訓練にはなるなと思う。それ自体を否定することはない。

私がnoteを始めたのは、web媒体で活躍する、よく記事を読むライターがいたり、好きなブロガーがいたりして、
そんな人のように、職業として文章を書く人のまねをしようとしたのが大きい。
毎日ブログや記事を更新して、それを私は一読者として楽しみにしている。日常生活でその更新された記事をチェックするという時間が日々に組み込まれている。
毎日書き続けること、毎日書き続けるように、取材したり、読者からのお悩みに答えていたりと、生み出すための蓄積を日々やっているということ自体に敬意を感じる。

そんな、毎日記事を更新して、毎日刺さる良質な記事を書いている人でも、長い小説を書くのは難しいと言っているのをよく聞く。小説を書きたいというあこがれはあるがなかなか難しいのだと。
ポンポンポンと鋭い記事や文章を毎日生み出している人でも悩むのだと私は意外に思ったものだ。

言いたいことや主張を端的にまとめた記事というものと、物語るというものは同じ言葉や文章を使うという点では同じだが、使う筋力が違うのだろう。鍛えるところが違うのだろう。

長い物語を書くということに関する苦労はすごくわかる。
新たなアプローチ。小説家をめざす会社員の試み。
にも書いているとおり、私はここ数年、小説の新人賞にチャレンジしている。デビューしていないのだから、作品を紹介はできないのだが、苦労の軌跡として写真をのせておく。

手作りの製本は母がこしらえてくれたもので、デビューはできていなくとも形のイメージとして作りたいという親心から毎回作ってくれている。頼んでいるわけではない。昔は小説家になりたいということさえ秘密にしていたのだが、今はその夢も知っているし応援してくれている。この手作りの製本のおかげか、友人に作品を読んでもらえやすくはなっている。現にこの写真に写っていない貸し出し中ものもある。

毎日詩を書いたという自信のもと、毎日小説を書くということもしていた。短いものを書くというわけではなく、その応募原稿を少しずつ書いていくということをしていた。
私は会社員なので、休日に一気に書き進めるというスタイルで最初はやっていたのだが、執筆と執筆の間にブランクがあくと、なかなか書き進められない。やはり感が鈍ってしまうというのだろうか。
であれば、毎日少しずつ書くのがいいのではないか。そう考えた。
毎日少しずつ書くためにも、その少しの時間をどう捻出するか考えた。毎日の会社員としての仕事で疲弊していたらとてもじゃないが、夜に創作するエネルギーはでてこない。
となるならば、残りは朝にやるしかない。
ということで、出勤する前に執筆する時間を30分~1時間ほど確保するために早起きするようになった。朝5時~5時半の間にだいたい起きている。

早起きは慣れるまで大変だったのだが、いいこともあった。
早起きするためには早く寝なければならい、ということは、だらだらと会社員としての仕事をすることはなくなった。
朝、太陽とともに起きるという実感もあって、気持ちがいい。それに一日のはじまりに、自分が夢として追いたいことへのアプローチからスタートできるというのは嬉しい。
会社員としての仕事も嫌いではないが、一番ではない。一番はやはり創作だ。それからスタートできるというのは、自己肯定感が高まる。
執筆のときに使っている脳と、会社員のときに使っている脳が異なるからか、どちらかがうまくいかなくとも、気分転換にはなる。

とまあ、生活リズムから見直して、執筆習慣を整えた。
毎日書くということを繰り返し繰り返しやる。ノッてこないことも多い。一字もかけないときもある。ただ原稿に向かい合うことが大切だ。

そういう生活を何年も続けてきた。
しかし、続けているからと言って、新人賞がとれるわけでもない。そこが現実の厳しいところである。新人賞に挑戦するのは小説家デビューしたいからだ。
継続して作った作品だからといって、完成された作品が読者の刺さるものとは限らない。それでも続けていきたいか。そういうのを今試されているなと感じる。恋愛でいうと報われない一途な片思いだ。

一途やひたむきさというのは美談として語られることも多いけれど、視野が狭いともいえる。
何か別アプロ―チを考えてみてもいいのではないか。ということで別切り口として発信するnoteを始めた。

noteを活用している方々を見て思ったのは、
第一線で活躍されている方は別として、
私と同じように、創作をしたいんだ、諦めたくないんだと試行錯誤している、またはこれから始めようとしている人がたくさんいるんだなと。

私自身、そうやって試行錯誤しているプロセスをこのnoteで発信していくつもりなので、
それが励みになればと思うし、もしなにか参考になればと思っている。

私の口から語れることととしては
会社員と小説家への夢のアプローチの両立、
一会社員として思うこと
アラサー女として思うこと
そういう等身大の主張かなと思っている。

主張ではなく、もう少し情緒的な部分を描きたいとなったときは小説にする。
『あしたの転機予報は?』

読者を増やしたいと思っている。
そのためには、少しでも刺さる作品や記事をアップすること
毎日の更新はできないかもしれないが、なるべく、頻度を上げていくこと
それが、
このnoteでの当面の目標かな。

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