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懸命になれる2種類(好きでやる/必要とされる)

大人になると否応なしに突きつけられる現実がある。
自分が思っているほど、大した人間ではないということ。
自分が得意と思っている事柄も、そこまで突き抜けるほどではないっていうことを思い知らされる。(いわゆる才能あるかないか問題)

この記事に書いているとおり、小説で何か目が出ているわけではない。

新たなアプローチ。小説家をめざす会社員の試み。
小説を書くまでの経緯と葛藤

試行錯誤はしているものの、結果でたなぁってわけでもない。
小説を書く場としてnoteを活用しつつ、(「あしたの転機予報は?」)
このようにエッセイとして思ったことをつらつらと書くことももしている。
認められようと認められなかろうと、これは好きで続けたいからやっていること。
何かを感じ取って、言葉で表現することが好きだから続けている。
ただそれだけ。それを、web上で公開するか、自分しか見ないノートに書き留めるか。それだけの違い。

たぶん懸命になれることって2種類あって

①誰がなんと言おうとも、自分が好きでやっていること
②誰かから、何かから必要とされていること

①のいわゆる自己満ってやつは、趣味とかそういうのにあたるもので
私の場合でいうと、小説を書くことだったり、noteやリアル自分のノートにつらつらと文章や言葉を残すことかなっと思っていて

②の必要とされることは、仕事や役割にあたるもので
私の場合でいうと、会社員としての仕事や会社内での役割だったりすることかなと思っている。
仕事でなく家庭を持っている人の場合は、母親としてとか妻としてとか、家族内での役割かもしれない。

①と②が重なったり、同じだったりする場合に憧れるのだけど。(私の場合は小説や文章で生計を立てるってイメージ)
そう現実は甘くないってわけで。
①と②が別の場合、ていうか、大半の人は別の場合が多い。
それに対して悲観することなく、それなりを幸せに前向きに感じたらいいのではないのかと。

自営業の親を見て育ったこともあり、
社会に出るまえは、会社員なんて、ただの歯車で窮屈そうで嫌だなあと思っていた。
でも、確かに窮屈に思うことも多いのだけど、窮屈分だけ毎月の生活保証(給料)がされているのはありがたい側面ではある。
実際、自由な分、生活保証を自分たちでなんとかしなければならない、自営業の親の苦労も見ていた。
(「お店の未来を考える前に、お店の過去の話」)

自己実現だやりたいことだとああだこうだ言っていても、生活ができなければそんなこと言ってられない。
確かなる生活基盤の上にあって、自己実現ややりたいことをああだこうだ言えるのだと。
自営業の空気感と会社員の空気感を知ったうえで、改めて実感するのだ。


会社員としての生活は
社会にでるまえに感じていた、駒になりたくないという抵抗感のわりには
意外と適応できているということと、
窮屈なりにも自分の色を出せる側面もあるということを感じ始めている。

意外と適応できたのと、自分なりの色を出せる側面っていうのは
②誰かから、何かから必要とされていること が大きい。

私の性格的に、前に前に出て、主張して、権利やらなにやらを勝ち取るというタイプではない。

ここからは私なりの処世術というか。
競争はしたいとは思わないし、みんなが欲しがるものに興味が失せる。そのかわりに、みんなが注目していないところに注目をしようとする気質がある。(それは、あまのじゃくな部分だけど、だから小説や文章を書きたいと思う要素になっている)
みんながやりたがっていないこと、目立ってはいないが、でも必要とされることをやること。
それをすれば、居場所や役割が確保されるし、競争で疲弊することもない。
みんなが、なかなかしないことを突き詰めれば、その役割や仕事に専門性が生まれ、何かあれば、この分野はこの人を頼ろうと相談されることも増えてくる。
つまり ②誰かから、何かから必要とされていること だ。
私は、それを今の会社の仕事の中に見出した。役割を創出した。(ひとりでやったはなく、協力者や上司の引き立てなどあったからだが)
少し専門的なチームのできあがり。その中でチームをまとめるポジションに自然となった。

そうやって、チーム形成を徐々にしていくのだが、
競争に強いわけでも、主張が強いわけでもないチームなだけに、
たとえば、誰が見ても優秀な人材などは、花形の目立つ部隊に取られる。
逆に、こいつは使いづらい、不便だとレッテルを貼られてしまった人材の行き場所をどうするかということで
私たちのチームに打診されるか、または、私が自主的に手を上げる。
(ここでも、私の注目されていない部分に目をつけるというところを発揮)
どうしても、そういう立ち回り役回りになる。
それを私は、あまりネガティブな風にとらえない。逆に、それでうまく活かすことができたのなら、すごいポジティブなことじゃないかと前向きに考える。

ということで先日、新しいメンバーをそいういう経緯で受け入れることを決定し、
上司に、男気があるなあと褒められた。ただ、それがうまく作用するかどうかは未知数。
ちなみに、そういう経緯受け入れは2例目。
(社内勢力図的に、正規でなかなか人手を増やしてくれないから、そういう風な戦略をとっている)

そうやってチーム形成しているが、
うまく成功していると胸を張って現状言えないし、
周囲からの厳しい評価や査定にさらされつつ、また同じチーム内身内からの厳しい意見やら不満が出てなど、
板挟みで最近凹むことが続いている。

だけど、

使えないものはすぐに切り捨てろ、スピード重視でついてこれないやつは早く脱落しろという空気感に
目立たないなりにも、物申したいのだ。
今はスピードが重視されるのか、長い目で見るという忍耐が足りないとすごく思うのだ。
だから、口で主張せずに、行動で静かに示そうと決意している。

このスタンスというものは
物書きの、スポットライトがあたらないところにスポットライトを当ててみように通じるのではないかと私は考えている。


先ほどの懸命になれること2種類の話に戻る。
①誰がなんと言おうとも、自分が好きでやっていること (趣味)
②誰かから、何かから必要とされていること (仕事)


私の②の会社員としての仕事は、現状直接①に関係はしていない。
①と②は分離している。
でも②で学んだことを①に活かすことができるのではないか。
そして②の要素を含んだ①がゆくゆく②に昇華していくのではないか。

そう私は思いながら、
このnoteを書き続けている。

まだまだ私の書く文章や物語は未熟で、私だから書けるものっていう要素が少ないのかもしれない。

でも
日々の生活や感じることを素材に表現をして、いつか、それが誰かに必要とされる何かになるのを望んでやまないのである。

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