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【幡野広志さん②】苦しんで死ぬ? 苦しまずに死ぬ? 「死」を倫理観ではなく、損得勘定で考えてほしい。

関口祐加監督によるドキュメンタリー映画シリーズ『毎日がアルツハイマー』(略して『毎アル』)の公式noteにようこそ。

このnoteでは、シリーズ最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』の公開まで、映画のテーマである「死」についての記事を定期的に更新していきます。

前回に引き続き、昨年がんであることを公表された写真家の幡野広志さんにお話を伺います。今回は幡野さんが積極的に情報発信をされる理由と、病気がわかってからよく考えるようになったという「死に方」について伺いました。

患者自身が情報を探し、医療を選ぶ

―幡野さんはがんが見つかった時のことや治療のこと、死に関することなどについて、積極的に情報発信をされています。それはなぜでしょうか?

僕は今35歳で、そろそろ祖父母が高齢で亡くなる人も出てくる年代です。自分の親の先行きを考えはじめる頃でもある。僕が「むりやり生かされるのはつらい」「ターミナルセデーション(鎮静死)という選択肢がある」と発信することで、同世代の人が祖父母や親の死が近づいた時に、考えてくれるんじゃないかと思うんです
「安易に命を延ばしちゃいけないな」「この病院はターミナルセデーションができないから、変えた方がいいな」とか。
現状では、ターミナルセデーションや鎮静という言葉の一般認知度は、相当低いですよね。結構前からある技術なのに、知らないから患者も求めることができない。でも、こうして発信することの積み重ねで、徐々に世の中が変わっていくんじゃないかって期待しています。

―幡野さん自身もお父さまをがんで亡くしていますが、その時はいかがでしたか?

今思えばかわいそうでした。父は60代後半でがんになり、息を引き取る直前まで苦しみもだえていました。病院から急変の知らせを受けて向かった時は、医師が心臓マッサージをしていました。もう完全に心停止している状態なのに。当時、僕は18歳でしたが、初めて医療に疑問を持ちました。「ようやく苦しみから解放されて亡くなるところなのに、どうして心臓マッサージをするんだろう? 無理に生き返らせなくてもいいじゃないか」って。それに、今ほどがんを告知しない時代でしたから、父は自分ががんであることも死の直前まで知らなかったと思います。
無知って恐ろしいものですね。僕は、がんの末期というのはそういうものだと思い込んでいました。でも、もし当時にタイムスリップできたとしたら、あんな治療は受けさせないでしょうね。それぐらい、父にとっていい医療だったとは思えないのです。

―患者さんが自分で情報を探して、病院や医師を選ぶことは非常に大切ですね。

患者と医師にも相性がありますからね。ただ、医療者のコミュニケーションスキルの不足を嘆く人はよくいますが、患者側にも問題があると思います。大学病院の待合室にいるとたくさん聞こえてくるんですよ、患者や家族の不満が。わざと看護師に聞こえるように言う人もいます。患者側が心を開いて相手のことを好きにならなければ、医療者も心を閉ざしてしまうでしょう。
だから、患者側も積極的にコミュニケーションをとって、その上で医師と合わないと思ったら病院を変えたらいい。病院の少ない地域に住んでいる人は難しいかもしれませんが、ある程度遠くの病院に行ってでも、自分と合う医師と関わった方がいいと思います。

―幡野さんはカメラマンであることが、積極的にコミュニケーションをとることにつながっているのでしょうか?

そうですね。カメラマンは色んな現場に行って、毎回のように「はじめまして」となります。人見知りなんてしていたら仕事になりません。初対面でも、比較的すぐに親しくなれるスキルは、割とあるほうかもしれません。
だから医師や看護師、医療事務の方にもすぐ話しかけますよ。女性、男性を問わず、ほめるところがあればすぐほめるし、髪の毛を染めていたら「髪、染めましたね」とか声をかけます。普通に友達と接するような感覚で、医療者に接しているんです。それは、今振り返ってみても正解だなと思っています。

「自分が死ぬ時」をどこまで想像できるか

―一方で、幡野さんは狩猟者でもあります。狩猟をすることと、現在の死生観は関係していますか?

狩猟者って、みんなどこか命に対してドライなんですよ。僕もがんになって死を覚悟した時に、「これはしょうがないか」ってドライでした。
散々、自分の体よりも大きい動物を捕ってきて、命を奪っているわけですよね。食べるためとはいえ。それでいざ自分が死ぬ番になった時に「死にたくない」というのはないでしょう。僕は、順番が来たとしか思わないし、死ぬこと自体が悲しいとも思わない。この死を何かに活かせられたら幸せなことです。

―がんになる前とあとで、死生観の大きな変化はなかったのですね。

大きなものは変わらないです。ただ、死に方については非常によく考えるようになりました。とんでもなく苦しんで家族にトラウマを残す死に方をするか、それとも家族が元気になれるような死に方をするか。
がんのご遺族を取材してわかったのは、トラウマを抱えてしまったご遺族は本当の最期ばかり注目しているんですよ。でも、人の死に際というのは、長い人生において短いものです。たくさん色んなことをしてきたのに、「最期はがんで死にました」とピリオドだけ見られちゃうと、ちょっとなって思いますね。
だから僕は、家族が死んだ時のことに引っ張られるんじゃなくて、「こういう生き方の人だったね」って思える死に方をしたい

―幡野さんは新しい抗がん剤治療を受けることにされたそうですが、ご家族のことを思って決めたのでしょうか?

そうですね。抗がん剤もすごく進歩していて、2017年11月に僕のがんに有効な新薬が出たんです。余命を伸ばす可能性が期待されていて、副作用はそれほどつらくないそうです。僕のがんが治る可能性もあるという医師もいます。まあ、それはないと思うのですが、仮に自分の我をつき通して治療を受けないとしたら、きっと家族に悔いを残してしまいます。妥協というわけではありませんが、35歳で体力もまだある方だし、もうちょっとがんばってみようと思います。
新しい抗がん剤を受けることで、これまで知らなかったことがわかって、自分にとっての糧になるかもしれないし、もしかしたら10年後、20年後には治る病気になるかもしれませんしね。

―そうやって、つながっていくのですね。

昔は、がんの告知もしなかったわけです。がんと知ったショックで生きる希望を失ってしまうと考えられていたから。でも今は、告知して本人がわかった上で闘病するのが普通になりました。
鎮静死のことも、今はまだ知名度が低い状態ですけれど、今回の映画や、僕なんかが発信することで、ちょっとずつ変わると信じています。いつかは「鎮静死を選べることが常識だよね」となってほしいです

―幡野さんは以前、ほかのインタビューで「鎮静死というオプションを知って救われた」とおっしゃっていました。

がんになって以降、常に頭の片隅で自殺を考えていましたが、幸いなことに鎮静死をしてくれる医師に出会えました。もだえ苦しみながら死ななくて済むとわかって、本当にホッとしました
こうして自分の死に方を考えるのは、重い認知症や、がんの末期でせん妄が出てきてからじゃ遅いんです。日本は、死を考えることがタブーになっていますが、どんどん考えた方がいい。そういう意味で、今回の映画は多くの人が見た方がいいでしょう。自分の死について考えるきっかけを与えてくれます。

―ありがとうございます。ご覧になった方も「自分だったら……」と思いをめぐらせてくださると嬉しいです。

映画で描かれている安楽死については、賛成反対の議論をする場面が割とありますね。橋田寿賀子さん(脚本家)が「安楽死をしたい」と言った時にも批判する声がありました。でも、安楽死や自死幇助を批判するのは簡単ですよ。そういうことを言う人は、「自分だったらどうしたいか」という想像力が働いていないのではないでしょうか。自分が死ぬという実感がないまま、倫理観だけで語るから、人の安楽死を批判できるんですよ。

倫理観ではなく損得勘定で考えてほしい。

―インタビューの前半でおっしゃったように、仮に痛みが取れたとしても、死を求めたくなることがある。自分だってそうなる可能性がある。そう考えると、安易に人の死に方を批判できないはずです。

病気で亡くなる人の話といっても、僕たちは、ある意味で幸せなパターンばかり見ていて、そうじゃない人達のことを無意識のうちに見ないようにしているような気がします。僕自身も幸せなパターンの方に入ってしまうと思うので、この状況を増長させてしまっている自覚はありますが、みんながみんな満足な死を迎えられてはいないのです。最期には自分がどういう人生を歩んできたかが出てしまう。
こういう話をすると「本人の意に沿わない死に方をした人の人生を否定するのか」という批判を受けるので、こちらも言葉を選ばないといけませんが、言葉を選ぼうと思ったらきれい事しか言えなくなって、みんな倫理観だけの議論になってしまう

―自分が元気なうちはどうしても倫理観で「死」を語りがちです。

その根底にあるのは、やっぱり「自分の死を想像できていない」ということだと思います。僕自身も、がんになるまではできていませんでした。なんとなく70歳ぐらいまでは生きるんじゃないか。もしかしたら医療が進歩して120歳くらいまで生きるんじゃないかって思っていたくらいです。
でも、僕はがんになってとんでもない苦痛を経験した。苦しんで死ぬのと、苦しまずに死ぬのはどっちがいいか? そうやって損得勘定で考えたら、安楽死とか自死幇助という選択肢があることに反対する意味が見つかりませんでした。
実際に苦しむのは自分です。
死に方を選べないことで、取り返しのつかない損になるかもしれないわけです。だから「自分だったら」の視点でみんなに考えて欲しいですね。
(インタビュー:越膳綾子)

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』の公開まで2週間を切りました。公開前の更新もあと残すところ2回です。最後は東京都立松沢病院院長の齋藤正彦先生と関口祐加監督の対談を2回にわたりご紹介します。そちらもお楽しみに!

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』
7/14(土)〜ポレポレ東中野シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開
>>>「最期の時」を考えるトークイベントを連日開催<<<
※7/16(月・祝)には幡野広志さんがご登壇!
>>>好評・再上映中<<<
『毎日がアルツハイマー』
『毎日がアルツハイマー2 関口監督、イギリスへ行く編。』

6/30(土)〜7/13(金)ポレポレ東中野
7/1(日)〜7/13(金)シネマ・チュプキ・タバタ
ヒューゴ・デ・ウァール博士(『毎アル2』出演)来日 記念イベント
〜「認知症の人を尊重するケア」その本質とは?〜

【日時】7月24日(火)19:00〜 (開場 18:40)
【会場】日比谷図書文化館・コンベンションホール


映画監督である娘・関口祐加が認知症の母との暮らしを赤裸々に綴った『毎アル』シリーズの公式アカウント。最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』2018年7月14日(土)より、ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開!