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心が死んでいた時の話

病気、の酷い時。
比喩じゃなくて、本当に、生き地獄。

刺激強めかもしれないので、できるだけラフにいきます。
でも、無理だと思ったら即座に読むのをやめてください。
自分で自分を追い込んでいく過程や、精神状態の話が出てきます。自分の地雷かもしれないと思うなら、読まないでください。

写真は1番酷かった頃に香嵐渓で撮ったもの。
自己紹介記事に付けた写真と同じ日で、2022年4月(高3)です。
この顔、全力で笑っています。

病名は、最初に広場恐怖症が分かりました。
あとからASDとADHDも分かりました。




まず、中1の時。一発気合を入れてテストに臨んだら、一気に30点くらい上がった。そこで良い意味で調子に乗って、
私はめっちゃできる!
私なら医者になれる!
勉強すれば成績上がる。何とかなる。気合と根性さえあれば何でもできる。

内申点を中1の最初から中3の最後まで羅列すると、
34→35→37→39→40→42→43→43
コード・ブルー3の放送は34と35の間でした。
あれは、私が狂った、諸悪の根源(?)のドラマ。
中2の2学期の期末で学年2位。3年になってから少々低迷してたけど、最後の最後で1位を取れた。その時は5科目合計で460点。
テスト勉強は1ヶ月前から始める。ただし、授業(学校と塾の両方含む)と宿題を勉強とは言わない。中間と期末の間に休みはなく、常にテスト期間だった。
「受験の天王山」である夏休み、受験勉強を昼間にやって、宿題なんかに気を取られている暇はない。受験勉強で昼が終わるなら夜に宿題を済ませよう、これを3日間やって終わらせた。夜通し起きていて、朝になると仮眠を取った。
成績が悪い(5科目合計で450点を切るくらい)のは、自分の努力が足りないから。足りないなら当然増やす、どんどん勉強時間を増やしていった。夜の睡眠なんか削って当然、昼寝なんて言語道断、居眠りして内申下がるなんてことは私には存在しない。6時間も寝るなんて甘えてないで勉強しろ、テレビなんか見てる暇があったら勉強しろ、ネットなんか見てる暇があったら勉強しろ、放課(休み時間のこと)とか言ってんじゃねえ。問題演習は全問正解するまで繰り返せ、学校の教科書プリントノート資料集ワーク、塾のテキストプリント問題集、全て隅々まで頭に叩き込め!
自分で自分に課した課題、終わることは無かった。

高校入試も何とか終わって、合格発表を待っている頃、少しずつ狂い始めた。泣きたい、なんかつらい、幸せになりたい、みたいな感じ。
→この時点で既に不健康です。

合格が分かってもコロナのせいでなかなか学校は始まらない。もう高校生になったのに一向に切り替えられない。もしかして燃え尽きたのかもしれないと思ったけど、燃え尽きてる場合じゃねえだろ3年間死ぬほど勉強して医学科仕留めなきゃ医者にはなれねえよ甘えんなよ自分!

5月末に新学期が始まった。
電車では立っているだけで息が切れて、どうやらコロナ休みで体力が落ちたらしい。これは、のちにそうじゃないと判る。
連日感染者数が報道されていて、学校でもかなり気を遣っていた。次にパンデミックが起きた時は私がワクチンを開発する!

研究医になれば、直接患者さんと接することはないけど、たくさんの命を救える。より簡単な治療法を開発するも良し、不治の病を治す方法を見つけるも良し。
中学時代に思いついた2つのちょっとしたアイデアは使えるだろうか。1つは理論的にはiPS細胞と似ている。全ての生物の祖先を辿れば同じところに行きつくなら、全ての生物には共通するものが必ずあるはず、つまり他の種の特長を人間に活かせるかもしれない。もう1つはスイミング教室で泳ぎながら思いついた。C+O₂→CO₂だから二酸化炭素を分解して酸素を取り出して動脈に送り、残りの炭素だけを排出すれば息継ぎしなくていいじゃん、あ、これを新手の人工呼吸器にできるかも。
私が助ける患者さんは未来にたくさんいるんだ。私の研究を足掛かりにして更なる研究をする人が、もっと先の未来にいるんだ。そうすれば私は数えきれないほどの命を救える。ただし医師になりたいことは譲れない、でも私1人にできることなんてたかが知れてるから、もっとたくさんの人の役に立つのは研究だから、研究医という職は私にうってつけだ。私が遠い場所や遠い未来にまで役立てるなんて最高すぎる!
もっと後のエピソードではあるけど、塾の先生に医師を目指す理由を訊かれた時、長々とこの話をした。その先生は私の考えに大いに頷いていた。

夏休みは短縮されたけど、それでもようやく休める期間に入った。
部活と文化祭の準備と塾。あれ、全然休みじゃない。いやいや、受験生の時に比べたらものすごくラクな毎日だ。
でも、塾をサボり気味になった。

映画「浅田家!」をやっていた頃、映画館に行こうと思い立って塾を素通りし、でも上映スケジュールが嚙み合わなくて本屋をふらふらしただけで帰ったことが何度もあった。当然ツケが回ってきて、振替で塾に行かなきゃいけないことを忘れて友達と遊びに行った日があった。相手は他校で、お互い忙しくて滅多に会えない子だった。
後日、塾の先生から注意を受けた。トイレに籠って号泣し、たしか死にたいと思ったと思う。そのあとは何事もなかったかのように授業(映像授業を端末で観るスタイル)を受けた。

このままじゃダメだと思った。
でも上手く切り替えられない。

じりじりと成績は下がっていたけど、大丈夫、のはず。
中学の時と同じことをやればいい。ただそれだけだから、何とかなる、大丈夫、だよね? そうでしょ??

2年になって、勉強以外にも積極的に学校の活動に参加するようになった。周りは勉強も部活も何でもやっているのに、私は入学してから何もしていない、と思っていたからだった。
気合を入れ直して、もっともっと、この学校で結果を残してやる。気合と根性さえあれば何でもできるんだから。
昼休みが仕事で潰れるくらい普通だ、私には放課なんて存在しない、睡眠とか休憩とか言ってる暇があったら勉強しろよ、私に休みなんかないんだよ!

不思議なことに、やらなきゃいけないことが多いほど気分は良かった。
ああ、私すごく頑張ってる。そんな実感が湧いてきた。成績は悪いし勉強時間だって相変わらず短いのに。質の良い勉強を誰よりもたくさんやれば最強、でも、なんでできないんだ、じゃなくて私は怠け者。

高2の夏休みの初日だった。
電車の中での息切れが、尋常じゃない。苦しい、心臓終わる、人生初の救急車かも。やっばい、死にそう、いや、死ぬ。
何とか駅までは着いたけど――
むり、くるし、家に、電話、あ、スマホ、忘れ、たん、だった。
どこか、ないか? やすむ、ところ。
とりあえず学校、学校、学校行かなきゃ、でも、なんか、遠い、遠すぎ……

近くのショッピングモールはまだ開いてない時間だった。
公衆電話、どこ?
はー、部活、ふー、休んじゃった。スマホ忘れたから連絡してない。はー、ふー、帰ったらすぐLINEだ。何をどこまで進めたか聞いておくことも忘れないように。はー、はー、文化祭準備の件と、来週の(塾の)授業の予習復習、それ以前にまだ宿題やってないから早くしなくちゃ。ふー、はー、多少マシになってきたな。死なずに済んだわ……

よく考えたら、電話は駅にあるんじゃない?
引き返したら、やはりあった。しかし10円玉は4枚しかない。何も伝えられないうちに電話は切れた。
帰りの電車、やばいな。
また死にかけるんじゃ……?
怖い、やだ、むりだよ……!
→これは症状です。メンタルが鋼だろうがセラミックだろうが関係なく、症状です。

翌日、精神科に連れていかれました。
以降、一度も自力で高校に登校できた日はありません。
いつも送ってもらってました。

学校怖い、教室怖い、塾も無理、電車には乗れない。
今度はいつどこで死にかけるか?
→過呼吸と動悸で命を落とすことはないと頭でわかっていても関係なく、私には死ぬんじゃないかと思えました。

勉強しなきゃ、いい加減成績上げていかないと医学科入れない。仕事もやらなきゃ。怖いとか言ってないで教室行けよそれが普通なんだから。薬もらってるんだから大丈夫、サボるなよ私! このくらい気合ですぐ治るから!
→この考え方、絶対だめ、全員当てはまります。気合で治るなら病院は要りません。サボりではありません。

そうは言ってもあの苦しさは本当に無理。教室なんか行けない。
こんなことやってる私、なんなんだよ、甘えてんじゃねえよ、マジでお前生きてる価値ねえな。何のために学校来てるの? わざわざ送ってもらってるんだから最低限のことくらいやれよこの怠け者! 
→甘えでも怠け者でもありません。れっきとした病気です。脳でバグが起きています。

このままものすごい勢いで精神が荒んでいきました。
死にたい、が日常になった。

どこにも居られないから仕方なくカラオケボックスに行った結果コロナにかかった。お前(=私)マジで迷惑な奴!
欠課数はギリギリ、成績も留年すれすれ。バカすぎて死にたい、何もしてなさすぎて死にたい、私って生きてる価値ないよね、自殺する勇気すらないから、いっそ私を殺してよ。
うっかり何千円も持とうものならドラストで薬を買ってしまいかねない。○○(店名)の奥の棚に△△(有名な薬)売ってる。金はあまり持たないようにしなくちゃ。刃物も厳禁。うっかりすると死ぬ。
電車のホームに立っているとガードが付いてても線路に吸い込まれそうになるし、車の通りが多い道にだって吸い込まれそうになる。夜道は特に危ない。しっかり足に力を入れておかないと死ぬ。死ぬ可能性がある場所はそこらじゅうにある。

本気で良い死に場所を探したことは何度もあります。しっかり騒動になったこともある。冬だったから気付いてる人は少ないと思うけど、腕切った時も複数回ある。やっているその時に何を考えていたか覚えていません。
不思議なことに、死のうとしている時に限って何でもない景色がやたらノスタルジックに見える。「死にたくなるほど綺麗なイラスト」でググると出てくる世界のように感じる。井戸端会議のおばちゃんも子連れの若ママも、街路樹やその足元に生えている雑草も、何もかも全部が美しく見える。こんなに綺麗ならもうちょっと生きてもいいかなと思って生き残り、死んでおけばよかったと後悔する。

さらに酷くなり――

なんとか3年になれた。
受験生としての気持ちを持ったつもりでいたけど、無理。

具体的な薬の名前は伏せておくけど、ものすごい量の頓服を常に持っていた。それなりの効果とえげつない副作用がある薬をがぶ飲み。
階段の昇り降りができない、文字が読めない、手が震える、ジストニアという症状、そもそも学校に着くまでに1時間車に乗るのがしんどい、50分間(授業1時間)椅子に座り続けるだけで死にそうなレベルでキツい。加えていつもの息切れと動悸。1日で6時間も授業やるとか無理すぎる。
ただ、薬がなければ寝たきり、それよりはマシ。
学校の塾も、先生たち、も~~のすっっっごく優しい。授業中に机に伏せてないのは私にとってはすごいこと。私だけの勉強会を各科目の先生にお願いしてくれたから、それだけでいいからやろう、八百長じゃんってくらいテストで点数取れるように教えてくれる、応える、気持ちだけでも。月火の2日やれば毎週楽しみにしているドラマもある、これは栄養かつ水曜の授業中にこっそりスマホで関連ツイートを見ていれば1日何とかならないこともない。

自力で帰ることもできないときは、送り迎えをしてもらってた。母が学校に着くまでに猛暑の車を冷やしておいてくれて、私が乗る頃にはちょうどいい涼しさ。このタクシー代は出世払いでいいそうです。

夏休みは主に休息、ちょっと勉強。受験勉強ではなく学校のテストに向けて。先生を訪ね歩いて少しずつ。1日で5人回ったらすっごい褒められた。
おや、そういえば死にたいが「常に」ほどではなくなってきてる?
もちろん無いわけではないけど。

ジキハイのチケットを買った時、コンビニ払いにした。学校帰りに支払うつもりで、大金を持って行った。当時は高3の12月。
授業を耐え抜いてチケ代を払えばジキハイを観れる、サボってドラスト行ったら死ぬ、ちゃんと払えても当日まで耐えきれなかったら死ぬ。
ジキハイまでに卒業を賭けた試験と大学入試がある。全部を乗り切れば劇場の大ホール、乗り切れなかったらあの世。

家から少々歩いたところのコンビニまで書類をコピーしに行ったのは確か冬休みだった。大量だから大変だ、と思っていたら、見知らぬおばあちゃんが使い方が分からないから教えてほしいと話しかけてきた。いや、私も分からんけど、まあいい、やってあげよっと。
私も分かんないけどやってみますね~私多いから先どうぞ~~
表裏を間違えてしまって1枚無駄にしたけど、2回目で成功。「親切はお金には代えられませんが」と言っておばあちゃんが500円くれた。あのおばあちゃん、たかが1枚コピーするために失敗の分と成功の分とチップで520円払ったのか、うふ、親切だってさ、えへ、めっちゃニコニコしながら帰ってったやん。

3学期。
案の定、危ないところだった。
卒業危なすぎるしバカすぎるしめっちゃ死にたいけど、死ぬならジキハイの後でも遅くはない。進路はどこでもいいから合格くれたところに現役で入る。浪人生という名のニートになったら精神もたない、マジで死ぬ。
卒業のための試験ではかなり融通利かせてくれました。大学も、周りは国立のT大学やらK大学やらN大学やら、みんなすごい。対して私は……先生たちは喜んでた。医者になる研究者になる、これしか言ってなかったから親からは「ほんとにここでいいの?」ってしつこく聞かれるので、死なないために入りますとは言わずに、何でもいいから、嘘でもいいから、頑張りますと言っておく。後からどうなるかは目に見えてるけど死ぬよりはマシ、だよね?
ジキハイ以降もいろいろ楽しめたし、享年17とか18にならなかったし、何歳で死んでも大往生と言っていいかもね。




ざっくりだけど、こんな感じ。
完璧に元通りになることはたぶんだけどなくて、歪んだ思考はそのまま。




最後に、質問です。
このような生き地獄に行きたいですか?

死んでもいいやと思うなら同じようなことしても構わないけど、
死んでもいいと思うあなたへ、病院に行くことを全力でおすすめします。
少しでも早い方がいいよ。今すぐにでも行きな、ね、怖い場所じゃないよ。

嫌なら、
健康だけは守れ!
命まで賭けるな!
これは命令だ!!



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