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『nakanzukus vol.1』

平出奔さん監修の小説アンソロジー『nakanzukus vol.1』を読みました。
ご本人以外に、大森静佳さん、手塚美楽さん、仲井澪さん、伊舎堂仁さんの短編が収録されている。
ひらいてみると、それぞれの短編のタイトル文字がものすごく大きいのが印象的。ページの三分の一がタイトル!? 執筆者名もそれに付随して大きい。
どーん!とタイトルが出てくる短編たちはそれぞれに個性があって、本自体のボリュームが凄いわけではないのに、しっかりとした読み応えだった。

※以下、敬称略 ※若干のネタバレ

「かまきりやま」(大森静佳)

大森さんの書く短編が読んでみたい!と思ったのが購入のきっかけ。歌人さんの文章力と想像力が合わさると、いったいどんな小説ができるのだろう……とわくわくして読み始めた。
文章の流れというか、文字のひらき方などに大森さんらしさを感じつつ、ぞくぞくするストーリーだった。かまきりを吐くというのが、いまこうして書いてみるとすごくグロテスクな字面に見えるけれど、不快感とか嫌悪感とかそういうのは感じられなくて、ひたすらにてらてらと濡れたような妖しさが魅力的な短編だった。人物の出し方や文章の表現がとてもなめらかで、大森さんの短編集が出たら絶対買いたい!と思うほどだった。


「たくさんいる」(手塚美楽)

主人公と「青木」との日常が、夢の内容・夢占い結果の羅列に挟まれている不思議な構成。地の文も、この作品だけフォントが違っていた。「わたし」と「青木」のけだるい関係のなかで、「わたし」の心情が淡々と、ときどき揺れながら書かれていく。おむすびのチョイスとか、会話のトーンとか、そういう細かいところの描写がリアル。ふたりの会話も適当に流しているような感じなのだけど、どこか俯瞰しているような「わたし」の視点からみるとやっぱりちょっとさびしい感じがした。「青木」みたいな人はたくさんいる、と「わたし」は思っている。読者のわたしもそう思う。


「なんね」(平出奔)

第60回文藝賞短編部門の最終候補に残った作品を加筆修正したもの。貴重なものを読ませていただいている……!とやや興奮した。
「なんね」は福岡の方言で、「なに?」「なによ」みたいなニュアンスらしい。ふっと出る疑問の感嘆詞、のようなものだろうか。主人公と母親とのやりとりで「なんね」が登場してきて、最後になって主人公の頭のなかにも「なんね」が何度も浮かび上がる。
米パをするところで勝手に大学時代のわたし個人の思い出がよみがえった。同じ学部の友人と、よく家のなかでごはんを作って食べていたが、いちど米パを開催したことがあったのだ。明太子にバター、食べるすき焼き、鮭ほぐしなどをおともに盛り上がったのを覚えている。
ただこの作品の核となるのはその米パというよりは、それに使うための炊飯器の貸し借りをきっかけに、主人公と母親との関係性がもやもやっと出てくるところだと思う。炊飯器を借りに母の家に行ったときに母はいなくて、でも母はそれをなんとも思っていなさそうだし、主人公も特に文句は言わない。あのシーンが記憶に残った。


「健康」(仲井澪)

読み終わってから、タイトルのへんな感じ、ちょっとずれた感じが面白いなと思った。短編そのものは、ダイレクトに健康に関する内容ではない(たぶん健康というワードは一度も出てこない)。主人公の一人称語りで、同級生の「彼」と、「彼」とSNS上でつながっている「みるく」というアカウントの存在についての回顧が進む。「彼」に対して率直に好意があるわけではなさそうだけれど、どうしても気になってしまう存在、という微妙な立ち位置がリアル。きっと主人公はこれからもたまに「みるく」のことを思い出す。それが、冒頭と末尾に登場する「私の人生には『みるく』が混ざっている」という表現が意味するところなのだろう。


「謎のブッチャー殺人事件」(伊舎堂仁)

収録作品のなかで最も長く、そして最も複雑な短編。正直なところ、初読ではそのストーリー展開にちゃんとついていけなかった気がする。一文一文が長めなのと、登場人物がたくさん出てくることもあって、読み終わるのに時間がかかってしまった。体感としては短編というよりも中編。登場人物がたくさん出てきて、沖縄出身の主人公の回想録のような形で進んでいく。情景描写や、内情の吐露の部分にときどき鋭さがみえて、主人公の人生観というか、そういう深いところを少しのぞいたような気になる。会話の文体がそのまま使われた地の文には、その人の声で聞こえてくるような箇所がいくつもあって、全体的にスピードと臨場感にあふれていた。


つらつらと感想、失礼いたしました。お読みいただきありがとうございます。
わたしも短編を書いてみよう~な時期だったりします。うまく書けるかな……。


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