過去の私と、ここ数日の私と、受診日の日記。
きっと誰が聞いても胸糞な、私の過去の話なんですが。
私は中学時代、いじめ加害者でした。
しかも、やり方が陰湿で。
普段は仲良くしてたんてすが、その子の机の中に、『死ね』と書いた紙を入れました。私が何かをしたのは、その1回だけです。でもずっと、その子のことは嫌いでした。一緒にいて、イライラした。
その子の机に『死ね』と書いた紙が入っていたことは、クラスで大きな問題になりました。それまで他の子も、その子のことをいじめたり無視したりしてたんだけど、私がやった件は特に大きな問題になりました。担任の先生は、泣いてました。もちろんその子も泣いてたけど、私は白々しく、慰めたりしてました。結局私がやったなんて誰にも知られないまま、その件はみんなの中で忘れ去られていきました。
中学時代の記憶なんて、それくらいしかありません。きっと唯一の『楽しかった記憶』として残ってるんだと思います。
……私は最低です。
『いい人』の皮を被って、他人にポジティブな影響を与えられる人になりたいなんて、言ったりして。
そんな中学時代を思い出したのは、最近職場の新人さんにイライラしてるからです。
年下の先輩に舐めた態度で接する。
まだ入社して1ヶ月も経たないのに、もう2度も寝坊してる。
だから私が彼女にイライラしたり、彼女のことをあからさまに無視したりするのは、彼女のせい。
さっさと辞めてしまえ。
……そんなふうに思ってしまう自分にもう存在意義なんかない気がして、夜中にひとり苦しんで、明日からは優しく生きるぞって思いながらも、またイライラを繰り返してしまうという日々です。
やっと自分の居場所になった気がしてた場所に、異物が入ってきてしまった感じ。
許せないと思うのは依存してしまっている証拠で、でも逆に言えば自分の居場所は確かにここにあるっていう証拠でもあって。
今日は受診日だったので、カウンセラーさんにその辺の過去のことも深掘りしてもらい、号泣して、疲れました。
あのときのいじめの話をして、今も悪いなんて思ってないって、正直に話したら、「その子をいじめることで、自分をいじめて、それで快感を得てたんだよね」って言われて、ああその通りかもしれないって思いました。
他人を傷付けて、許されることをしたとは思わないけど、私もあの頃本当に苦しかった。あの頃私を取り巻いていた環境が、私のうつの始まりだった。でも、そんなの言い訳だね。
そしてまた、慈悲の瞑想を読まされた。
読まされたって言い方は本当に申し訳ないと思うけど、やっぱりこれだけは、苦しい。
『私が幸せでありますように』
この文字列を見るだけで、死にたくなる。
私は幸せになんかなっちゃいけないんだ。
だけど……
『生きとし生けるものが幸せでありますように』
「この『生きとし生けるもの』の中に、あなたをイライラさせる新人さんはいるかな?」
もちろん。
不幸を願っているわけでは、決してない。
「あのときいじめてた子は?」
それも、もちろん。
今はどこかで、幸せでいてほしい。
自分の幸せを投げ打ってでも、生きとし生けるものが幸せであってほしいって、今は思う。
私の希死念慮の根っこは、ここにあるのかもしれない。だったら、悪いものではないのかもしれないって、そう思ったカウンセリングでした。
私は生きて、まだなにかできることがあるかな。
生きるって、難しいね。それでも。
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