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未来から見てもきれいな話し方

「きれいな日本語を扱う人」っていう概念がある。単語のチョイスとか、語気の優美さとか、いろいろな定義があると思うけど、『話した内容を文字に起こしてもそのまま読みやすく読める』ということがあるなあとこないだ気づいた。

5月に下北沢の本屋B&Bでやったトークイベント「自分らしさの作り方、自分らしさの伝え方。」のログミーさんの記事を読んでそれに気づいたんです。

話の中身や、その場の話しやすさとか楽しさ(登壇している自分が一番よく笑った気がする)はその時その場でも感じて、気分よくできたいい会だったんですが、書き起こしを改めて客観的に読んでみて初めて、自分の日本語の雑さと、横石さん高橋さんの両パイセンの日本語が「きれい」であることをすごく、感じたんです。その「きれい」っていうのが冒頭の、「あの場であんなフランクな空気の中で話したのに、書き起こしても成立する文章」になっているということです。僕の日本語は、なんというんでしょうか、その場の空気と、お二人の登壇相手と、その場のお客さんに対しても「まあ、これくらいの的の粗さで投げ込んでも、察してよ」という、甘えがあるなあってすごい感じて、あああああああってなったわけです。

こういうと「まあそれくらいの力の抜けた、ラフな雰囲気もライブの醍醐味だよねえ」という考え方も頭をもたげるんだけど、バンドをやってた身としてその理論って、「このアルバムはライブアルバムだから、雑で粗くてもよし」っていう考え方が実は、トップオブトップのミュージシャンにはまったく適用されないのことからも、まったく通用しないんです。プロは、間違えないし、正確だし、だけどちゃんと、「ライブの熱気」をそこに乗っける。「きれい」と「生っぽくてライブ感がある」は全然相反さないのを、バンドで知ってるんです僕。もちろんはちゃめちゃでミスしまくってるけど、何かが降臨している神アルバムもあるんだけど、それは、上手な人がやるからかっこいいやつね。

その場のノリや空気を味方につけつつ、そこに甘えて「雑」な言葉を紡ぐ自分をもう少し一段あげていきたいなと、パイセン二人の日本語からまざまざと感じた、良い経験でした。ログミー、まさかの9回連載wですが、内容は、脱線も多いけど、おすすめですので読んでね、よかったら。

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