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7歳の時のこの感情は言葉を選びます

初めにこの感情に囚われたのは小学校2年生。
7歳。

「消す」しかないのではないか。自分か相手を。

どうにかして消す。もしくは自分が消えるしかないのかを考え続ける日々。
自由が欲しかった。このままでは自由は手に入らないと思っていた。遊びに行く事もダメ。TVもダメ。家庭内での姉とのおしゃべりもダメ。

来る日も来る日もピアノの練習。
1日2時間以上。週3くらいかな個人レッスンとグループレッスン。
有名講師の自宅でのレッスンは峠を越えて週1。
他に茶道・水泳・英語。

ピアノはスパルタ。
講師からは同じ間違いを繰り返すと椅子から落とされ、ペダルのタイミングを間違えるとスリッパで上から踏まれる。
で、帰りの車の中はずっと母からの叱責。決して一度もピアノが好きだった事はないのに。1週間テレビ禁止ね、とかになる。責められる時にかかってたラジオの曲は嫌な記憶として覚えてる。「翼の折れたエンジェル」「MyRevolution」そんな時代。

レッスンに出発するまでの間は自分の部屋で鏡の前でいつ実行しようかとずっと自分の顔を見てた。部屋にいる時は大体鏡の前で自分と話していた。声には出してないけど。この感情って、学校で善悪や道徳心を学んでいる子供が抱えるには重い感情な訳で。それによって、押さえられていたんだとしたら、学校教育の強さは正しい。

怖い思いをしたくなかった。
叱責。
ずっと続く叱責、無理だった。
部屋に閉じこもり、部屋の外が落ち着いたかの空気を読む。
とにかく小さい頃から部屋にいたな。
何も楽しくなかった。苦しかった。
三つ上の姉は同じように感じていないかもしれないと思う。個人差があると思うし、姉妹で差があったなと。私の方に期待が濃くあったのかな、運悪く。愛情だしつけだ教育だの圧、受け入れる側の容量はとっくに溢れ。夜鷹症・爪噛みで全部の爪まともにない・笑わないと学校からの指摘、、、何も効かなかった。
学校や社会が絶対ではあったのに、笑わないと指摘されても先生が面白くないんでしょと軽く受け止め。毎日の冷や汗をかくレベルの胃痛には缶の胃薬を買ってくれたね、小学生に。

実行したら、これが始まりだとさすがに思っている事はなく終わりだとは分かっていた。ニュースを見ても、この年齢で自分をという話はなく、中学生くらいの子の話でこんな若い子がって話題になっている時代。それが社会問題になっていたり。

自分に向かうか母に向かうか。

現実世界や物語の世界で聞かれる、「こんな小さい子がやるはずはない」「まだ小学生じゃないか」というアレ。
全然ありうる。
7歳で本気で考えていた。

7歳が8歳になり、9歳になり、ずっと考えていた。
教育熱心なしっかりとしたおうちであった我が家だったので、何も分かってもらえない事は分かっていたし、望んでいなかった。
学校でも近所でも良い子で、勉強も出来て、そつなく学校生活をこなし。周りから遊んでいないとか変わってる環境だと気づかれないように過ごしていた。
キツさは続いていた。
友人と遊ぶ事は禁止といっても、禁止とは思ってないか。門限がうちだけ早かっただけ。それじゃ遊べない。約束できない。午後3時過ぎに帰宅して午後4時の門限はどうにもならない。
全部の学校時代で友人の部屋を見たことってない。ずっと見てみたいなーと思って叶わない事の一つだった。

小学2年で囚われて、ずっとずっと考え続けて、答えが出たのは小学6年。
子供らしいきっかけで。
学校の体育館で見たどこかの劇団の小学生向けの劇。
「生まれてきたから生きるんだ」
確かそんなよくあるセリフ。
生きる理由、生きるのを辞める理由、自分はここから自由になるまでの数年間を生きていけるのかを考えていた小6にとって、あぁもうこの答えでいいとしようと思えたセリフ。
たぶんそこにしか答えはない。

話が通じない。親がきつい。そんなの聞いたことはなかった小学生時代。
小6でとりあえずその答えにたどり着けて良かった。

その言葉を答えとし、その時点で、もっと先を見たいという自分の気持ちを見つける事が出来ただけ。自分の残りの人生の尊さゆえ自分の人生を守る事ができた。


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