試し書きモラトリアムゆず子(一人言)

人生は、試し書きが出来ない。
どんなにお試し感覚だの、ボランティアだの、体験だのと言っても、必ずひとつの選択として、時間とエネルギーを使い、人生のなかの大小問わない歴史となっていく。
「練習は本番と思い、本番は練習と思ってやろう」という考え方が好きだ。
練習は本番のように本気でやる。
本番は練習のようにリラックスしてやる。
人生の試し書きは出来ないけど、「本番」が存在するものには「練習」が必要となることが多い。

とはいえ、わたしは人生で試し書きっぽいことばかりしている。いつまでモラトリアム試し書きシーズンを送っているのだろう、人生の本番はいつ始まるのか?
と言いたいところだが、本番か試し書きか?判断することはなかなか出来ない。試し書きの時点で心が折れて本番まで行けないのか、試し書きが楽しすぎて本番にすぐ移行出来るのか。
何事も決断するのは苦手なので、よく、流れに身を任せる。流れに逆らうほど自分なんて持ってないし、抗うほど嫌なわけでもない。そうやってサイコロすらも他人に回してもらって、なんなかんやうまくいくこともある。他人まかせすぎるよと怒られたら反省するときもあるし、ほんのすこし改善する。
でも、試し書きすらせずに諦めたりやる前から食わず嫌いになるよりは、試してみたほうがよいもは常々思っている。
演劇ワークショップ、ジャンベ禅ワークショップ、演劇の演出助手ボランティア、マルシェでの○○体験、障がい者支援ボランティア、サブスク仮登録、ギター講座体験。
様々な『お試し』は楽しいし、すぐに本番に入るよりもスタートしやすい。しかし、体験だけではわからないことや経験できないことがあるのも事実だ。

でも、ゼロよりましだ。やらないよりまし。そして、更にやってみたくなったときは深めればいい。体験したあとどうするかは自由だ。その小さなアクションが大きな幸せに繋がることがあったから、わたしはこれからも挑戦していくだろう。たとえそれが試し書きだと嘲笑われても。きっとその選択はとっても自由で、新しくて、未知の道だ。


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