【うつ病で無職になった】嫌というほど恵まれている私について
2024年2月29日。午後からの在宅勤務。11月の終わりに譲り受けたこのPCもいよいよ動作が怪しくなってきた。イヤホンの感知をしなくなったので音が垂れ流し状態になる。社用PCをもらえるようになったので安心した。もともと、再就職のためにPCが欲しかったのだ。
私は嫌というほど恵まれている、と思う。うつ病により、新卒の大切な約3年間のキャリアを棒に振った。お金を稼げなくなって、使っていなかった奨学金にも手を付けた。でも、失ったものは、それくらいだ。私の友人は誰も離れていかなかったし、やりたいことや目指したいものは在り続けた。一人暮らしを継続できた。半年以上の無職期間があったのに、何も追及されずに1週間で再就職先が決まった。バイト探しの勢いが余って応募しただけで。
世の中にはいろんな人がいる。帰省した時に会った友人の一人は、フルタイムの労働だけでは一人暮らしのお金が足りないからと会社が終わった後に居酒屋でバイトをしていた。シェアハウスの人と話たところ、再就職先として日本語教師になったと聞いたが、あまり納得感がないのか明るい雰囲気ではなかった。私が在宅で働いているときもシェアハウスにいるようなので、辞めてしまったのか、在宅でのお仕事なのか。
先週末、友人と映画「夜明けのすべて」を見てきた。登場する2人は、パニック障害を持つ男性とPMSを持つ女性。お互いが支えあいながら働く、その職場でこんな会話があった。「パニック障害って言ったらなんでも断れるからいいな」「そんなことないですよ。そっちだってPMSって言えば何言っても許されると思ってません?」お互いが病気を持っているからこそポジショントークにならない、軽快な冗談の言い合いだった。「うつ病」というのも、どこかで免罪符になるのかもしれないな、と思う。
また、「パニック障害になってよかったことってある?」という会話もあった。うつ病になってよかったことってあるだろうか。パッと思いつくのは自分にも他人にも求めるものがかなり低くなったこと。生きているだけで、健康でいるだけで、上等。あとはなんだろう。制度の利用には詳しくなれたかも。なんでもいいから役所にいけば、節税やら何やらはできる。
その一方で、うつ病になっていなかったら、という問いは何度も考えたことがある。自分の中にやっぱり「こんなはずじゃなかった」という思いは依然としてある。「病気に感謝」なんていうのは綺麗事だと思う。別に制度に詳しくない私でよかったし、夢を追いかける私でいたかった。国内のフェミニズムの上層に位置できる自分になりたかったし、貯金だってしたかったし、元気に国内を飛び回って予定を入れて旅行だってしたかった。そういうのが何もない3年だった。悔しい。怒りもある。
恵まれている。私には言葉がある。私には、この思いを文章にする力がある。生活を立て直すだけの回復力もある。命を投げ出そうとは思わない生への執着もあった。週末のたびに自己内省に付き合ってくれる友人がいた。うつ病で無職になった私を過剰に心配しない、自己をしっかり持った友人たちだった。注意深く見守ってくれる医者と出会えた。
うつ病は私の人生に空白を作った。失ったものがある。得たものは別にほしいものではなかった。でも、それでもいやというほど、私は恵まれていて、恵まれた今日を生きている。
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