家族愛でも自己実現でもない「ソウルフルワールド」が見せた新境地~なんのために私は生きるか~

私たちはなんのために生きているか


ディズニー・ピクサー映画「ソウルフルワールド」を見てきた。

なんというか、しみじみと、いい作品だった。

いまはリバイバル上映という扱いで、2020年に公開されていた作品である。

当時から、SNSのジェンダー・フェミニズム界隈(革新派)から評判の良さは聞いていたのだけど、多分コロナ禍とかだったからか見てはいなかった。

なんというか、地味だし。
主人公がおっさんだからディズニーの本流のキラキラしたマジカルワールドとは違う感じ。

でも、見て良かったと思った。

以下あらすじ。

ニューヨークでジャズミュージシャンを夢見ながら音楽教師をしているジョー・ガードナーは、ついに憧れのジャズクラブで演奏するチャンスを手にする。しかし、その直後に運悪くマンホールに落下してしまい、そこから「ソウル(魂)」たちの世界に迷い込んでしまう。そこはソウルたちが人間として現世に生まれる前にどんな性格や興味を持つかを決める場所だった。ソウルの姿になってしまったジョーは、22番と呼ばれるソウルと出会うが、22番は人間の世界が大嫌いで、何の興味も見つけられず、何百年もソウルの姿のままだった。生きる目的を見つけられない22番と、夢をかなえるために元の世界に戻りたいジョー。正反対の2人の出会いが冒険の始まりとなるが……。

「映画ドットコム」https://eiga.com/movie/91943/


映画では一貫して
「なんのために生まれたか」
「なんのために生きるか」を問うている。

この映画の出した答えは、「心震える瞬間」であった。

季節の移り替わる美しさ。
海に足を入れた時の冷たい感覚。
ふいに聞こえる音楽のときめき。
ご飯を美味しいと思えること。
誰かと感情を共有できたときの安らぎや高揚感。

そうしたものに心を震わせ、
ひとつひとつに感激することにこそ、私たちの生きる意味はある。

これは、ディズニーにしては結構思い切った結論なのではと思う。

ディズニー作品は何を訴えてきたか

今までのディズニー映画では、多くの場合2つの結論に終始していた気がする。

家族愛はディズニーの十八番

家族愛はどんな年代にも通じる価値観である。

例えばアナ雪。
恋愛をゴールにしなかったことは革新的であったけど、エルサが力をコントロールすることで国を守り、アナとの不仲を解消したエンドは血縁至上主義という見方もできる。

また、モアナは主人公のビジュアルや物理的な力強さなどの新鮮さはあったものの、禁断の海峡を越え自分の持つ力を認識しても家族や島に戻るエンドはやはり家族愛を根底にのぞかせている。

プリンセス以外でも、
・ライオンキング
・ミラベルと魔法だらけの家
・リメンバーミー
などは代表格で、血縁重視の家族愛が映画の柱になっていると言えるだろう。

夢をかなえることの説得力

2つ目は、自己実現。
王子様に出会う(白雪姫やオーロラ姫)、外の世界に行く(アリエルやラプンツェル)、レストランを開く(プリンセスと魔法のキス)など。
大きな夢を抱き、今までの自分に打ち勝つことによってその夢を叶える姿は、みんなに感動や勇気をくれた。

しかし、この自己実現は多くの場合「他者に認めてもらう」ことがセットであり、軸が他者におかれがちである。
よって「人から認められる」こともテーマの根底に在り続けたのではないか。

「アナ雪」のエルサは雪の能力を持つ自分を国民に容認してもらった。
「ノートルダムの鐘」のカジモドも醜い自分を認めてもらい、自由を手に入れた。
「ズートピア」のジュディもウサギであっても優秀な警察になれることを証明した。

ソウルフルワールドは唯一の「自分軸の幸せ」を提唱したのではないか

「ソウルフルワールド」では、
主人公の夢「有名な音楽家として認めてもらうこと」は序盤の十数分で叶えられてしまうし、家族(主人公の母)ともそれほど険悪な仲ではなく、のちの展開として心を通わせる描写はあるがそれが物語のピークにはなっていない。

むしろソウルフルワールドでは、
夢がかなった後のあっけなさや周囲に才能を認められてからも生活は続くことが描かれる。

憧れていた演奏家と最高の演奏ができた後、ショーが終わり暗くなった外で彼は問う。
「それで、この後はどうなるんですか?もっとあの、何かないのでしょうか?」
演奏家は言う。
「また、明日もここで演奏する。ただそれだけ。」
そしていつもと同じ地下鉄に乗っていつもと同じ家に帰る。

夢が叶うことは、人生が大逆転することではない。
ここにはものすごく素朴な事実しかない。

では私たちは何を人生の「きらめき」として生きていくか。

夢を叶えること、家族を大切にし、愛する人を見つけることは確かに尊い。

しかし、それは誰かを介することによる幸福であり、自分自身が自分を幸せにすることとはどこか違う気がする。

夢を叶えても、また次の夢が出てくる限りいつまでたっても満たされない。
必死に夢を追いかけ続ける生活にはいつか燃料が尽きる日が来る。
叶った夢の先が思った景色ではないかもしれない。

愛する人もいつかは死んでしまう。
死別しなくたって、いつかは価値観の違いに気づく。

家族だからって分かり合えないことはいくらでもある。
恋愛だってしない人はたくさんいる。

そうした中で、「ソウルフルワールド」が出した答えは誰一人取り残すことのない、包括的な答えなのではないか。

日々の小さな「心踊る瞬間」を集めて生きること。
それこそが、どんな境遇にいる人どんな資質を持った人にも共通する唯一解なのではないか。

このかなり現代的で現実的な価値観が2020年にすでにあったことが、すごく幸せだと思った。

この世界で、ピクサーに認めてもらった幸せを私は享受できている。
それは私にとって、変わりようのない、人生の杖になった。

最後に、主人公が念願のセッションを終えたのちに感じた呆気なさや寂しさに対し、先輩ミュージシャンが言ったセリフ。

こんな魚の話がある
彼は年長の魚に言った “海を探してるんです”
年長の魚は”海か 今いる所がそうだよ” と言った
魚は”これ?これは水です 僕は海が欲しいんだ”



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