双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第9回(27歳:閉じた心を開いた人)
〜27歳(2010年1月)〜
C社に広報という業務が生まれたこの年、私が並行して担当していたのが「新規事業」でした。
前職でWebサービス企業にいた社長にとって、C社の中でWebサービスを立ち上げることは悲願。
Webマーケティング担当として入社した私がリーダーに抜擢され、その期待に応えるべく必死でチャレンジしました。
私の特性上、自分ごとより人ごと、人の依頼に力を発揮する傾向があります。
このときも、期待に応えたい一身で平日土日問わず新規事業のヒントを探しました。
この年の4月入社予定の新卒A君が、インターンとして新規事業に配属されました。
A君は見た目こそゆるい雰囲気ですが、めちゃめちゃ頭脳明晰で、ズバッと本質を見抜いて質問を投げかけるタイプでした。
彼の質問に、私は度々ドキッとさせられ、「新卒でも、こんな優秀な子がいるんだなぁ」と感心してました。
A君とともにWebサービス立ち上げを準備し、広報も部として新しくスタート。私のテンションもどんどんあがり、過活動が増します。
そして6月、上がり続けたテンションがエネルギー切れを起こし始めた頃、いろんな不安が頭をもたげてきました。
(このWebサービスは本当にうまくいくのだろうか?)
(新規事業のリーダーとして、自分は率いていけるのか?)
(今まで何度も気分の落ち込みがあったのに、ずっとやっていけるのか?)
(私がリーダーなのにA君のほうが優秀だ。私はリーダーの資格がない)
またもや、過去の繰り返し。いつものパターンで会社を1日休み、2日休み。そして音信不通となり。。。
C社でも会社を連続欠勤する状態になってしまいました。
「ドンドンドン!! まっちゃん、いるんでしょう?」
寮のドアをたたく音。私を呼ぶ声は、社長の声でした。
会社を休んだ私を、業務時間中に寮まで訪ねてきてくれたのでした。
正直、最初は「何で来たんだよ!」と思ったのですが、無理やり私の懐に入ってくる強引さが、実は嬉しくもありました。
(そこまで心配してくれる、必要としてくれる人がいる。)
今までの私の悪いパターンは、調子を崩すと自分で殻に閉じこもり、周りに迷惑をかけまいと関係を断つ、会社から去る決断を一方的にしてきました。
ほかの人が入り込む隙もないくらいの短期間に。
今回、社長はいい意味でそのパターンをぶち壊して来てくれました。
自分で断ち切ることは出来ませんでしたが、私を必要としてくれる人がいて、その人としっかり話をすれば早まった判断をせず、落ち着ける自分に気づけました。
社長と話し、落ち着いたことで、次の日からまた会社に戻りました。
でも、やはりリーダーのプレッシャーは変わらず。
数日すると、また休んでしまいます。
「ドンドンドン! 松浦さん、いるんでしょ?」
その声は、広報チームのリーダー、私の上司の伊藤さんでした。
人事部の青木さんも一緒に来ていて、近くの喫茶店で話をすることに。
そこで、私の過去、うつ病の診断を受けてきたことや、気分の浮き沈みの話をしたところ、青木さんから出た言葉は、
「それは、双極性障害じゃないの?ちゃんと診断受けたほうがいいよ。」
(そうきょくせいしょうがい??)
(はじめて耳にした病名。自分はうつ病ではない?)
早速、ネットでその病名を調べてみました。
「そうそう、それそれ!」と自分の症状とまさに一致するのでした。
(私はうつ病ではないのではと思ってた。自分がおかしい、社会不適合者だと考えてた。自分に当てはまる病気があったんだ。)
とても安心したのを憶えています。
その後、青木さんのススメで通院した病院で、正式に双極性障害の診断を受け、休職へ。
青木さんは休職の手続きとともに、傷病手当金をもらえることも教えてくれ、お金の不安も軽減されて休むことができました。
ただ、この時は、診断は受けたものの、双極性障害の対処を特にするわけではなく、薬と休養のみでした。
1ヶ月ちょっと休み、仕事復帰後は、懲りずに広報業務に全力で取りかかりました。
この頃は世間でツイッターが話題になり始めた頃。私は広報担当という肩書を利用し、業務中でも常にツイッターを追ってました。
1日100ツイート近く行く日もざらにあり、他社の広報の人から「C社の広報の人、大丈夫?」と噂されたほどでした。
上図.ついろぐというサイトでツイート集計した結果。
2010年9月は月間1,700回、多い日で1日100回ツイートしていた。
新規事業はリーダーという立場からははずれ、少し荷がおりてはいましたが、新しいことに関わる刺激は、気分を継続的に上げるものでした。
〜28歳(2011年)〜
年もあけてしばらくたった頃、伊藤さんから話があると声をかけられました。
「2月で会社を辞めて、独立するんだ。」
信頼していた上司が辞める。ショックではありましたが、全力で応援したいと思い、社内の有志に声をかけて、サプライズムービーを作成しました。
送別会の日に上映し、驚きながら喜んでくれた伊藤さんを見て嬉しくもあり。
自分の中で、伊藤さんを送り出した後、燃え尽きたような感覚がありました。
また、C社の規模が急激に拡大した時期でもあり、このごろ移転した新しいオフィスに移ったとき
(ここに居場所は無いのかもしれない。)
と、直感的なものを感じました。
そう私が仕向けた部分もあるかもしれないですが、伊藤さん送別会から数日して、私はまた、休職の日々に入っていきます。
(もう、このまま退職しよう)
そう気持ちも整理しながら、通院に向かっていた3月11日。
地下鉄の構内にいた私は、ひどく地面が揺れる感覚に襲われます。急いで地上に出ると、それが地震だと分かりました。
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