見出し画像

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第7回(25歳:人生はじめての休職と復職と…)

〜25歳(2008年3月)〜

今回の転職時、マイナスと思う部分は伝えなかった。つまり、うつ病ということを隠しての入社でした。

(バレないようにしたい。うつの症状は出てくれるな。)

そう願い、後ろめたさを抱え続けながら働いていたため、会社にいけなくなった日には、「遂にこの日が来てしまった」という心境でした。

多くの中小企業と同様、この会社でも休職者対応のノウハウがあるわけではなく、一定期間休んで、戻ってきたら以前の勤務時間で業務を再開するものだ、と認識されていました。

休職中、連絡経路が一本化されていたわけではなく、仕事上かかわりあった複数のスタッフとメールでやりとりをしました。

それにより、辛くなる時もあれば、私の復職を待ってくれていると励まされることもありました。

復職後しばらくは、私が仕事を抱えないように、定期的に会議を行い状況を共有する場もありましたが、数ヶ月後には日常の忙しさから共有時間も減っていき、また私も視野が狭くなり...。

大きなコンペ案件の担当となり、提案書作成をチームで行っていたのですが、私のパートだけ完成できないまま、それをギリギリまで隠し、提案日前日にまた、引きこもりました。それは、最初の休職と同じように。

(もう、2回目の復職はないな。。)

勝手に自分で決めつけ、辞めることを覚悟した上で、休職の意向を伝えました。

(起業してもダメ、転職してもダメ、休職して復職してもダメ。仕事ができない自分は社会に必要とされていない。)

ぐるぐる毎日考え込み、最終的には「消えてしまおう」と決意します。

昼過ぎ。家には私以外、誰もいない時間。

物置き部屋にある洋服ダンス。

その取手にスーツ用のベルトを巻き、そこに首を通す。

そして、身を倒す。







「ブチッ!!」


すぐにベルトは切れ、少しのアザが首に残りました。


(自分で消えることもできない。人生から逃れられることはできない。

逃れられないなら、死をあきらめ、生きよう。ここで一回、無くなってしまってたかもしれない命。

ならば、これからを余生だと思って、
良い事がちょっとでもあればラッキーくらいの気持ちで行こう。)

そんな考えにいたりました。


この自殺経験は、過去誰にも話したことありません。2017年末、社内で自殺予防研修を受ける機会がありました。私が、利用者の方への面談時に、自殺の項目を聞きづらく感じていることを他スタッフに話すと、以下の返答がありました。  「病気が自殺という考えや行動を起こさせており、恥ずかしいものではない。むしろ、支援者側が自殺ということばを触れずらくすると、利用者さんも言えなくなる。」 正にそうだ、と納得しました。私が過剰に自殺を捉えていたのは、自分が過去それを行い、恥ずかしい過去として封印してきたから。今なら、それは病気がさせたものと整理できたため、noteに書くことで消化したいと思いました。


〜26歳(2009年)〜

休職中、体調が落ち着くまではゆっくりして、持ち直してから退職意思を会社に伝えました。退職して早々に、転職活動を始めました。

ちなみに、うつで休んで退職、軽躁で活動的になって転職、と職を転々としてしまうことは、双極性障害では起こりやすいと言われています。当時の私はうつ病だと認識していたため、全く疑問もなく、元気になったらはい転職!、とアクションしました。これが、危険な選択だとも知らず。。

今回の転職先を探すのに重視したのは、病気のことを考え、負担少なく実家から通える距離の会社という点。

あとは、名古屋のWeb業界は狭いため、私の良くない評判も広がっているだろうと考え、Web制作とはジャンルをずらした職を検討。  

そこで、考え至ったのが「Webマーケティング」。Webを使った集客などを企画する仕事を探そうと決めました。

エントリーした会社は、東京に本社のある上場企業。名古屋にもオフィスがあり、1次面接は名古屋で受けました。

出版の話でアピールし、病気については開示せずの面接でした。

その選考結果を待つ間、友人経由でも転職先の紹介がありました。その友人は、過去に、NPO活動や真珠のネット販売に関わるキッカケをくれた友人です。

「仙台本社で、東京にオフィスがある福祉の会社。障害のある方の就職を支援する会社の営業部長が知り合いで。
今度、名古屋に来る予定があるらしいんだけど、Web周りのわかる人を欲しいらしく、話だけでも聞いてもらえない?」

(福祉?障害のある方??)

私が今まで職を選ぶ上で、選択肢としてなかったワード。

正直、断ろうかとも思いましたが、過去、何度も私の視野を広げてくれた友人の頼みだし、ということで会うことを決めました。

そして、約束の日。

その営業部長は小柄で、見るからに20代前半の青年。

(この年齢で営業部長って、すごいなー。)

と思ったのが第一印象。そして、すごい熱量で自社について語りはじめ、私の持っていた福祉のイメージをがらりと変えるものでした。

「こういうモデルのサービスを障害のある方ご本人や、東京で急激に規模拡大している企業さんに広めていきたい。
それにはWebが欠かせない。
ぜひ、ウチに来てくれませんか。すぐには決められないでしょうから、東京の事務所に一度遊びに来てください。」

今まで、自分の生きてきた世界とは違う目線の話をしている感じがしました。

社会全体を良くする、そのためにビジネスという手法を用いる「ソーシャルビジネス」というジャンルに分類される取り組みの話。

オファーを受けた2008年は、まだまだ「ソーシャルビジネス」という言葉は広まってません。

新しいもの好きの私は、ブロードバンドによってWebサービスが広まりはじめた2001年の時のような、まだ多数は気づいていないけど、大きな可能性を秘めたものなのでは、と直感が働きました。   

ソーシャルビジネスの会社のオファー後すぐ、最初に選考をうけた会社の2次面接の案内も来ました。

明らかに後者がソーシャルビジネスは魅力的だが、今の自分が東京はハードル高いし、と迷っていました。

上場企業の方の2次面接は、東京実施で交通費支給だったので喜んで参加。
面接には社長も同席、色々話を聞く中で、なんか違うと思ってしまいました。

(お金を稼ぐ、出世するというところが重視されている。社会的な価値が見出だせない。長く働けるイメージがつかない。)

その評価は、ソーシャルビジネスを基準としている自分がいました。

(東京にせっかく来たし、あちらの会社のオフィスでも遊びにいこう)

と軽い気持ちで営業部長の方に連絡をして、指定の時間にオフィスへ行きました。

さっきの上場企業は都心の一等地ビル。

それとは対象的な、雑居ビルの一室。20人くらいがギリギリ入るくらいの広さのオフィスで、一つだけある会議室に通されました。

気軽に来たつもりが、そこには営業部長以外に2人。採用担当の方と、社長もいらっしゃいました。

「で、いつ来れますか?」

テレビや本で見た、Theベンチャー企業のオファー面接がそこにはありました。

つづく

第一回から読みたい方はコチラへ

----------

ツイッターではnoteの更新過程や、最近の私の出来事など気ままにつぶやいてます。

もしよければフォローください → @bipolar_peer


最後までご覧いただき、ありがとうございます。