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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第5回(24歳:夢に見た独立と出版、そして挫折)


親友にも家族にも話したことないこと。
2007年、25歳になるこの1年間の詳細は、ずっと隠してきました。人に話すと軽蔑をされる、恥ずかしい経歴だと思ってきたから。
今回、noteをはじめるにあたって、14年間を振り返ること以外に目的があったとすれば、この2007年の出来事を自分で消化し、開示し、整理をつけること。
そして、次につなげることだと思っています。


〜24歳(2007年)〜

その出会いは、私の行動がきっかけでした。

昔から私は、サプライズが好きでした。人の想像を超えることをして、相手が驚き、喜んでくれる表情がみたかった。

それは友人にはもちろん、過去お付き合いした方への誕生日サプライズは特に、2度同じネタを使わないというルールをつくり、実行していました。

そんなサプライズ好きの私がたまたまネットで見つけた、サプライズ企画を集めた情報商材というものがありました。

情報商材とは、情報を電子化してネット上で販売するもので、お金儲けやダイエットなどのネタを扱っているものが多いです。

世間的に良く思われてない側面としては、中身が販売価格とつりあってないけど、買った人が人に勧める仕組みが、販売手数料が半額もらえるなどして芋づる式にアフィリエイトして広めていく点にありました。(10年前の話なので、今はどうか分かりません)

ただ、そのサプライズのものは2,000円とお手頃で、興味もあったので購入してみると、その巻末に「私は起業塾に在籍して活動している。

興味あれば気軽に連絡ほしい」と一文ありました。

その商材の製作者は22歳で千葉在住。

(自分より年下の人が起業を目指して活動している環境がある。ちょうど東京に来てるし会ってみたいな。)

思い立ってうごけるのは、軽躁なのか私の気質なのかは未だにわかりませんが、その勢いで連絡先をいれたメールを送りました。するとすぐに着信があり

「今どこに住んでらっしゃるんですか?一度、こちらに来ませんか?」

とんとん拍子に合う日にちが決まり、そして当日。

千葉の某所に着くと、その製作者は待っていてくれました。とてもさわやかな好青年で、裏表のない印象。ちょっとした会話から、頭の切れる人だなと感じました。

「起業を支援している塾はこの近くの、塾長が借り上げているマンションの部屋でやってます。いきましょう。」

いざその場所に向かうと、普通の新築マンションの一室、リビングに、塾長がいました。

その方は、事故で身体に障害を負ってから普通の仕事が出来なくなったので、ウェブで行える仕事を考え起業。ニッチな分野ではあるけどもその世界では知らない人はおらず、事業は順調。

その起業ノウハウを若い人に伝えるべく塾をはじめたとのことでした。また、学生時代の部室のノリが好きなので、マンションの一室をかりあげ、若者にそこを開放して必要なことを支援していました。

ほかに興味を持ったのは、私が関心を寄せていた神田昌典氏の主催する会に長年在籍し、そのノウハウも活用してウェブ事業をやっているとのことでした。

この塾への参加条件は「塾に通える人。塾代は無料、ただ在籍中に立ち上げたビジネスの利益は折半。年齢は25歳以下の若者」

私はそのとき24歳で、8ヵ月後には25歳になり、その塾には通えなくなります。

(私はここに来る運命だ。会社を辞めてここに来よう)

ここからは一気に軽躁のドライブが入ったのだと今振り返って分かります。
千葉から東京に戻ってすぐ、上司にメールをし、名古屋に戻ったら話があると伝えました。

そして戻って早々、退職を申し出る。止められても引かず、「入社したときに話した起業のタイミングが今なんだ」と熱弁。

結果、会社の規定では一ヶ月前に退職を申し出ないといけないのが、その話をした月末付け、実質20日弱で急遽退職となりました。

家族には、辞めた話が決まってから報告、2月に千葉に移り住むため、愛知の実家でネット上の情報だけで下見もせずに住む場所を決め、一人暮らしがはじまりました。

千葉に移った初日、塾長へ挨拶に行くと

「本当に来たんだね。大体の人は来るっていって行動しないから、来ただけでも見込みあるよ。」

そんな言葉をうけて有頂天になり、その日から塾に泊り込みながら起業の勉強を始めました。

(正直、起業が出来れば、内容は何でもよかった。)

これが本音です。なんとなく25歳までに独立、起業したい。父親も事業やっていたし、自分も出来ないことはない。そんな思いで起業準備をしていました。

塾の環境は、同世代の男女5名が塾生で、男性は塾に泊まっても可な状況でした。お互いに情報交換をしながらアイディアを考える。

ネットのいろいろな側面をしり、情報商材の裏の部分もたくさん知りました。

もちろんお金儲けに偏っているものも多いですが、人に買ってもらうための仕組み、ノウハウはほかの業界でも通用するものが多く、その後就く仕事で幾度も活用しました。

塾生になって一ヶ月経った頃。

起業のネタを模索していたある日、私の好きなテレビ番組のひとつ、がっちりマンデーを見ていました

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(セカンドライフ?ネット上のお金が現実世界のお金に換金できる?1億円稼いだ人もいる?)

セカンドライフを皆さんは覚えていますか?2007年に日本に参入することがニュースになると企業が次々参入、連日メディアで話題となり、社会現象にもなったものです。

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(これはすごい。全く新しいものならば、誰よりも早く研究して世に発信すれば、第一人者になれる。これしかない!)

これも私の気質なのか、新しいもの、最新のものが昔から好きで、飛びつきたくなる衝動があります。起業のネタをさがしていた私に、セカンドライフ(SL)はぴったりでした。

時間と、貯金した少しのお金はあったので、SLに関する書籍を海外から取り寄せ読み漁り、日本でも数少なく学術関係が主催のセミナーに数万円払って参加し、誰よりも詳しくなることを目指しました。

SLの魅力はネット上でリアルなお金が稼げることだったので、それを題材にするセミナーをいち早く企画し開催。

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事前に塾生相手にも練習をしましたが、人前で話すことがいやではない、むしろ人に何かを教えることが楽しいことをそこでは感じました。

ここでの楽しいと思える感覚は、現在の仕事で、20人くらいの前で日々プログラムのファシリをやることにつながり、活かされています。

セミナーを開催したところ、そこそこの値段だったにも関わらず全50席は満員、その後、その模様を収めたDVDも100枚近く売れました。

塾長が、知り合いの出版編集会社の社長に私の取り組みや反響の話をしてくれたところ

「ぜひ、書籍を出しましょう!商業出版です。初めての著書になるので印税は10%になりますが、セカンドライフはブームなので初版は1万部近くはかたいと思います。」

3ヶ月前は普通のサラリーマンだった私が、自分の名義で書籍を出す。

あまりの急展開に驚きを覚えながらも、この波に乗らない手はないと二つ返事でオッケーをしました。

そこからの2ヶ月は地獄のような日々。

もともと文章を書くのは嫌いではなかったですが書籍にするとなると文章量の桁が違う。

来る日も来る日も文章を書き、またSLの中でのキャプチャ画像をとり。また、稼ぐ方法を集めた書籍にするというテーマだったので、SL内をまわって、実際にビジネスをしている人にインタビューもしました。

軽躁のエネルギーによって執筆活動の序盤は乗り切れたのですが、残り1章となったところで、気分が落ちてきます。それとともにマイナスの考え

(正直セカンドライフはブーム、自分でやっていても長く続かないものだと分かる。そんな中、セカンドライフの第一人者みたく書籍を出して世に出て、ブームが去ったときに私はどうなるのか。)

そんな考えが頭を占め、塾長に本音を伝えたところ

「辞めるのは松浦さんの自由だよ。でも、ここでやり切ったかどうかは今後の人生にとても影響があるよ。」

その言葉をうけ、逃げずにやりきろうと最後の力を振り絞り入稿完了。やり切ったことをキッカケに少し気分は持ち直します。

書籍の発売日が8月に決まり、その販売にあわせていろんな企画を考えました。

ひとつはアマゾンのビジネスジャンル一位を目指すため、特定の日に一気に書籍を購入してもらう施策。

アマゾン経由で買ってくれた人限定の特典もつけ、私も一世一代の書籍販売なので身内友人かまわず購入をお願いしました。
(その当時買っていただいた皆さん、本当にありがとうございます)

また、8月にはSL関連の書籍を出されている方との対談イベントを、100人近く入る会場でやることも決まりました。

そして書籍が販売。キャンペーンは成功し、ビジネス部門で一瞬売り上げ1位となった画像をキャプチャにとり、それをセミナー集客素材として使う。

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また、出版社からは売り上げ好調で重版になると連絡がありました。

塾長含め、周りが喜んでくれる中、私の内面は複雑でした。

(無理して作り上げた自分がどんどん大きくなっていく。扱いきれないものになっていっている。怖い。でも言えない。)

話は少し脱線しますが、本が出る時、一世一代のサプライズもしました。当時名古屋時代から付き合ってた人がおり、私が千葉に移って数ヶ月後、東京に就職。

このタイミングしかないと、出版を機にプロポーズをしようと考えます。

方法は、書籍の中にメッセージをしのばせること。今回の書籍はSLの中の画像を多数使っていたため、編集者にばれないように、その画像の一つに、プロポーズの言葉をしのばせました。

そして出版したときにプロポーズ。オッケーをもらいました。

セミナー開催が近づくにつれ、日に日に怖さは増し、眠れない日が続きます。

セミナー当日は、全てに自信がなく、登壇時間も予定より10分早く切り上げてしまう始末。なんとかやりきった後、自分の中で張り詰めていたものが切れます。

(消えてしまいたい)

塾長にメールで、起業は辞めること、印税は全て塾長に渡すこと、不義理を切って申し訳ないというメッセージを伝え、それ以降、来る連絡は一切拒否。

数日、一人暮らしの部屋に引きこもり、収入なく家賃や食費だけかかる現状が怖くなり、彼女に連絡して相手の家に転がり込む。

彼女は日中仕事なので、その間は部屋に閉じこもり、帰ってきても私はコミュニケーションもとれない。

何より怖かったのは、書籍、セミナーとネット上に露出した自分の存在がどうなっているのか考えることでした。とてもネットには近づけない。

どんどん落ち込み、彼女ともケンカが増え、限界をむかえてきたとき、実家に戻る決断をします。

母親に甘えることができない自分、大見得を切って家を出たのに、うつで帰るという事が恥ずかしかった。

でも、もう危ない、落ちつく場所がないという危機感から母親にメールをしました。

「うつが再発して、もう、こちらにはいられません。家に戻っていいですか?」

「わかった。待ってるよ。」

何があっても受け止めてくれるのが家族。大人になって、本当の意味で甘えられたのが、この時がはじめてでした。

つづく

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