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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第16回(33歳:子育てと新規事業と気分の波)

〜33歳(2016年2月)〜

子供が産まれる時、父親になる実感がわかず、嬉しさよりもやっていけるのかの不安が勝ってました。

ただ、実際生まれた子供の顔を見れば幸せな気持ちが湧き出て、

(この子のために、出来ることはしていこう)

そう、自然と思えました。そんな自分にホッとしてもいました。


子供が生まれた数日後、仕事では市ケ谷という土地に異動になりました。

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市ケ谷センターの入居するビル

その異動から一ヶ月後には、1ヶ月間の育休。

育休に入る前には、新規事業「リライフ」の準備は可能なだけすすめて、あとは私が遠隔で関わる体制を作りました。

初期からリライフを一緒にやっているメンバーOさんからは

「仕事の事は忘れて、子育てに集中してくださいね」

とは釘を刺されましたが 汗

〜33歳(2016年4月)〜

里帰り出産だったので、私の育休スタートに合わせ、松浦家3人暮らしの生活がはじまりました。

子育てで、奥さんの大変さを一番実感したのは夜の寝かしつけでした。

お腹を痛めてない私にとって、子育ての大変さを少しでも実感しようと寝かしつけをやると申し出ました。

3日に一回は寝かしつけをと思っていましたが、これが甘かった。2,3時間に一度起こされることの苦痛はこの上ない。

いくら可愛い我が子でも、「いい加減にしてくれ!」と叫んでしまったことは実際ありました。

流石に音を上げて、奥さんに寝かしつけを変わってもらう始末。

また、短時間睡眠は双極性障害の軽躁を誘発する可能性も高く、実際私も寝かしつけ時に覚醒した感覚を持ってしまったので、無理をしなかったのは正解だったなと思います。

育休期間は、家かスーパーかの生活なので視野も狭くなり、うつっぽい状況になります。

私にとって大事だったSNSの発信も、子供が生まれてから辞めていました。

家族の決めごとで「子供のことはSNSで発信しない」と決まってから、私も発信する事柄ことがなくなり、家の外と繋がる手段がなくなってしまいました。

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後日談。
私にとって、仕事で広報をやるくらい、人に情報を共有することは好きなものでした。
SNS投稿もゼロにするでなく、適度にすることが重要と考え、「子供の顔は出さない」は守りつつ、子供の成長をフェイスブックにも投稿するようにしました。
すると自然に、気分の持ち上がりを感じました。

4月は更に、国家資格である精神保健福祉士の通信講座の受講もはじめました。

支援員として更なるレベルアップを図るため、育休前に軽躁っぽい時に受講を決断していました。

「育休=普通の休み」位に、甘く考えてしまったゆえの決断でした。

〜33歳(2016年5月)〜

ゴールデンウィーク明け、仕事復帰した私は、完全に意欲がなくなっていました。

ただ、新規事業「リライフ」は待ってくれない。

子育てや新規事業や資格試験や。

色んなプレッシャーに押しつぶされそうになり、リヴァに入社してはじめて、うつ症状で仕事を数日休みます。

思い詰め、これはさすがにマズイと思い、会社の代表である伊藤さんに

「リライフのリーダーを辞めたいです」

と、話をしました。すると

「抜けても、また戻りたくなったらやればいいんじゃない?一先ず支援の現場で、やれる範囲でできる仕事をすることを優先していきましょう。」

降りていいんだ、と思え、すごく気分が楽になりました。
また、リライフメンバーにも辞めることを説明したところ

「全然休んでくれていいですよ。また、やりたくなった時やりましょう」

と言ってもらえました。

振り返ってみると、うつになるべくしてなっていました。
「新体制の家族3人」
「職場の異動」
「精神保健福祉士の勉強開始」
「新規事業の構想」
ライフイベントがいくつも重なってはいましたが、その渦中にいるとなぜ気分が落ちたのか分からず、自分自身を責める一方でした。

そこから気分を戻していくため、仕事面でも色々配慮してもらいました。

まずは、今できる仕事とできない仕事を切り分けること。

利用者さんとの面談については、最低限の関わりが必要な方以外は他スタッフにお願いする。

その代わり、私が負荷と感じにくいもの、グループワークのファシリテーターや、利用者さんの関連書類の準備といった雑務などは受け持つ。

また、自信を無くし、自分の中のやりたいという意欲がゼロになっていたので、人のやりたいを応援しようと思いました。

「これをやってほしい、これに手が回らない」そんな声に自分から手を上げて実行。

その結果、相手から「ありがとう」の言葉がもらえ、少しずつ「必要とされているんだ。この場所にいていいんだ」と思えるようになっていきました。


2,3ヶ月、新規事業とも距離を起き、現場仕事も軽減してもらえると、徐々に自分の中のやりたい気持ちが沸き上がってきます。

その気持ちを、不在時にリーダーを任せていたOさんに話すと、

「待ってましたよ。リーダーの位置は不在にしておきました。」

と言ってもらえました。

その言葉がとても嬉しく、新規事業に再度、深く関わって行きます。

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新規事業再開の時、開始したのがウェアラブル端末「fitbit(フィットビット)」の購入。
双極性障害の私の一番のネックは睡眠時間。
リライフに関わる事は、敢えて軽躁に飛び込んで行くような行為でもあったので、客観的な軽躁の指標を持とうと思い、自動的に睡眠時間を計測してくれるので購入しました。
自分でつける睡眠記録が続かない私には無くてはならないツールになっています。

〜34歳(2016年10月)〜

リライフも事業化に向け大詰めを迎えた頃、「これは本当に採算が合うのか?」という質問が伊藤さんから投げ掛けられました。

私含め、誰も事業を立ち上げた経験がなく、事業としてと言うより、中身を実現したくてやっていたところが強かった。

事業として、また現場を離れてそれを専任でやる覚悟を問われ、事業計画を正式に立てることになります。

ただ、計画をいくら立てても、とても厳しいものしかできない。

またそれを実現しようとすると、私でいえば子供に会える時間が極端に減ってしまう。

(新規事業をやることで、幸せではなく不幸になっていくのではないか?)

そんな考えが頭をもたげて来ました。そんな考えもありながら年末、メンバーで作り上げた事業計画を役員である伊藤さん、青木さんにプレゼン。

そこから指摘された点を差し戻され、年明けにもう一度提案を機会をもらうことになりました。

(新規事業を実現させるのは、難しいのかもしれない・・・)

つづく


最後までご覧いただき、ありがとうございます。