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全18回/双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方

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双極性障害を発症した大学4年から、うつ・躁うつ等の方々を支援する職について7年目までの14年間を記した自分史。
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2018年1月の記事一覧

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第4回(22歳:刺激ある日々と退職の兆し)

〜22歳(2005年8月)〜 ところで、私の所属した部は何のネット事業をしていたのか? 主には「海外からペット(主に猫)用品を輸入し、楽天・ヤフーなどのネットショップで販売する」というものでした。 今でこそ楽天は有名になりましたが、2005年当時まだまだ世間はネットでモノを買うことに懐疑的。そんな中で、私たちの部は、ネットショップの販売だけで収益をしっかりあげ、法人化することを目指していました。 ただ、会社から私に言い渡されたのは、「既存の仕事をやってもらうつもりはない

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第5回(24歳:夢に見た独立と出版、そして挫折)

親友にも家族にも話したことないこと。 2007年、25歳になるこの1年間の詳細は、ずっと隠してきました。人に話すと軽蔑をされる、恥ずかしい経歴だと思ってきたから。 今回、noteをはじめるにあたって、14年間を振り返ること以外に目的があったとすれば、この2007年の出来事を自分で消化し、開示し、整理をつけること。 そして、次につなげることだと思っています。 〜24歳(2007年)〜その出会いは、私の行動がきっかけでした。 昔から私は、サプライズが好きでした。人の想像を超え

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第6回(25歳:都落ち、うつで実家に引きこもる)

〜25歳(2007年10月)〜 「会社を辞めるからには、今度名古屋に帰ってくる時は独立が間違ってなかったと証明して戻りたい。」 そんな想いを持ち、名古屋を出たのが同年2月。 8ヶ月が経ち、起業を諦めるという結果で戻ることになり、「友達や前職の人に合わせる顔がない」という考えが第一にありました。 そのため、実家にいることは誰にも連絡をしませんでした。 出来るだけ、人目に触れないように外出は夜中。 午前はひたすら寝て、NHK朝ドラの昼再放送がはじまる時に起きる。午後も何

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第7回(25歳:人生はじめての休職と復職と…)

〜25歳(2008年3月)〜今回の転職時、マイナスと思う部分は伝えなかった。つまり、うつ病ということを隠しての入社でした。 (バレないようにしたい。うつの症状は出てくれるな。) そう願い、後ろめたさを抱え続けながら働いていたため、会社にいけなくなった日には、「遂にこの日が来てしまった」という心境でした。 多くの中小企業と同様、この会社でも休職者対応のノウハウがあるわけではなく、一定期間休んで、戻ってきたら以前の勤務時間で業務を再開するものだ、と認識されていました。

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第8回(26歳:軽躁の勢いで再び都のベンチャー企業へ)

〜26歳(2009年1月)〜 「で、いつ来れますか?」 (本当にこういうのってあるんだなぁ。東京って凄いなぁ。) 私はもともとテレビっ子。 生まれは島根県で、昔からテレビの中に見る都会への憧れと偏見が強かった。 「いつ来れます?」という言葉に、東京感というか、何となく凄いと感じていました。 (私を必要としてくれる所があるなら行きたい。ソーシャルビジネスという分野の可能性を感じるし、こんなメンバーと一緒に、やる気に満ちた環境でやってみたい) 「ぜひ、お願いします!

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第9回(27歳:閉じた心を開いた人)

〜27歳(2010年1月)〜 C社に広報という業務が生まれたこの年、私が並行して担当していたのが「新規事業」でした。 前職でWebサービス企業にいた社長にとって、C社の中でWebサービスを立ち上げることは悲願。 Webマーケティング担当として入社した私がリーダーに抜擢され、その期待に応えるべく必死でチャレンジしました。 私の特性上、自分ごとより人ごと、人の依頼に力を発揮する傾向があります。 このときも、期待に応えたい一身で平日土日問わず新規事業のヒントを探しました。