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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第4回(22歳:刺激ある日々と退職の兆し)

〜22歳(2005年8月)〜

ところで、私の所属した部は何のネット事業をしていたのか?

主には「海外からペット(主に猫)用品を輸入し、楽天・ヤフーなどのネットショップで販売する」というものでした。

今でこそ楽天は有名になりましたが、2005年当時まだまだ世間はネットでモノを買うことに懐疑的。そんな中で、私たちの部は、ネットショップの販売だけで収益をしっかりあげ、法人化することを目指していました。

ただ、会社から私に言い渡されたのは、「既存の仕事をやってもらうつもりはない、新しい事業を作ること」でした。

(既存の事業にあるモノは活かしつつ、何か新しいことをやれないか?)

経験が無いなりに考え付いたのが、「猫のブリーダーさん紹介サイトを作る。

そして掲載ブリーダーさんに商品を買ってもらう」というものでした。
その当時の猫の販売サイトは、猫の顔と値段だけど温かみも何も無いものばかりでした。

そうではなく、ブリーダーさんが家族同然でかわいがっている猫をそのよさを本当に理解してくれる人のみが訪れるサイトにしたい。 ブリーダーさんも信用できる人だけを掲載したい。

ネットで信頼を確立するため
「掲載ブリーダーさんは全員顔を出す」
「掲載ブリーダーさんは直接取材した人のみ掲載」
「生体保障を1年出来る人」 といったものをベースに作りました。

私は、2001年からネットに興味がありましたが、ネットの中で完結することはしたくないと考えていました。どうやって現実と絡めていくか。

それは新卒1年目で事業を考えたときから、今も同様に変わりません。そして、ネットで信頼を得るためには顔を出すこと。今も私はそのスタンスを大切にしています。

さて話を戻します(今後も過去と現在を行き来しますが、ぜひ、ついてきて下さい 笑)。

このサイトの企画から本実施のときは、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。ブリーダーさんを全国に取材に行き、サイトを作り、販売商品も考える。

全部自分に跳ね返るから全部楽しかった。土日平日なく働いていました。

〜23歳(2006年)〜

そしてひとつの区切りとなる2006年3月、新卒初年度の終わり。

事業としての結果は出ませんでした。結果というのは売り上げ、利益。

ブリーダーさんの取材費用がかさみ、一方販売サイトにつなげる案はまったく機能せず。

そもそもブリーダーさんはペット用品メーカーにとって大口顧客で特別価格で購入していたので、それに対抗しても全く利益が出ないというのが、やってみて分かったことでした。

(私は出来る。特別な存在だ。)

この考えは、今も私のどこかに常にあり、この考えによって苦しめられたことは多々あります。

新卒として新規事業をはじめてやったときもそう。特別だから新規事業に選ばれたんだと。そして、天狗の鼻は見事に折られました。

気分が落ち込む暇も無く、事業部長に言い渡されたのは、

「ヤフーショップの店長をやってくれ」

当時、楽天とヤフーの売り上げ比は8:1で、ヤフーが全く機能していませんでした。

その当時の部長の優しさを今でも覚えています。

「ベースは出来ているから、ゼロから立ち上げるより結果は出やすい。まずは結果を出してほしい」

自信をなくしていた私に、部長はスモールステップで自信をつける道を設定してくれました。

初めての上司の教えは、その後の社会人人生に影響を大きく与えるといわれますが、大切にしている教えはいくつもあり、この部長で本当によかったと思います。

(次の目標が出来た!!)

安易に話に乗りやすい私は、次の標的をヤフーショップの売り上げアップに決め、フル稼働の日々がまた始まります。

まずはサイトの分析。売れ筋商品、アクセス大小の違い、サイト流入元、購入客のページ閲覧履歴の検証…。

施策としては、メルマガを毎週発行。ヤフーはショッピングよりもヤフオクが有名なのでヤフオクに出品して、ショップに誘導。

サイトデザインをリニューアルし、そのリニューアル日にセール、それにあわせて広告も出した。

やれることをすべてやった。この間3ヶ月。でも結果は出ない。

「部長、3ヶ月目で私の給与分もまかなえてないので会社辞めます。自分の給与分を売り上げに当ててください」

こんな見切り発車な発言をして部長を困らせました。

今思えば、3ヶ月で結果を出そうなんていくらなんでも焦りすぎ。でも、私はそのスピード感で動いてきてしまっていました。
部長になだめられて、もう少し仕事を続けようと思いとどまれました。
これにより、自分の中のスピードと、社会が求めるスピードを少しだけあわせることができました。
私の社会人生活は、このスピードを合わせる作業を13年かけてやってきたんだとも思います。


3ヶ月目が終わったとき、売り上げは200%アップ、そして5ヶ月目で300%アップとなり、ヤフー店は私の人件費含めかかる経費を差し引いても利益が出る店舗になりました。

売り上げがみえてきたころから、別の私のクセがあらわれはじめます。

(ショップ店長はルーティン作業だなぁ。飽きてきた。)


そんなことを考えている矢先、部長がある話を持ってきます。イタリアのペットブランドをショップ展開して日本に広めること、それに関わってほしいと。

今振り返ると、最初の会社での刺激の連続が、私の軽躁のベースを作ってくれたのではと思うほど(笑)、ジェットコースター的にいろいろやらせてもらいました。

仕事に刺激とやりがいを求め、飽きたら次にいく。この経験から、その後の働き方も同じように行い、それとリンクするように双極性障害も悪化していった。。


このショップ展開企画に関わるため、私は急遽、名古屋から東京に1ヶ月転勤することになりました。

そして2006年の年末。転勤中での東京でのある出会いで、自分の人生は大きく舵が切られていきます。

まさか、この8ヶ月後、「松浦秀俊」の名前で本を出版し、先生と呼ばれるようになるとは思わなかった。

そして、その後、自分の首にベルトを巻きつけることになるとは。。

つづく

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