双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第8回(26歳:軽躁の勢いで再び都のベンチャー企業へ)
〜26歳(2009年1月)〜
「で、いつ来れますか?」
(本当にこういうのってあるんだなぁ。東京って凄いなぁ。)
私はもともとテレビっ子。
生まれは島根県で、昔からテレビの中に見る都会への憧れと偏見が強かった。
「いつ来れます?」という言葉に、東京感というか、何となく凄いと感じていました。
(私を必要としてくれる所があるなら行きたい。ソーシャルビジネスという分野の可能性を感じるし、こんなメンバーと一緒に、やる気に満ちた環境でやってみたい)
「ぜひ、お願いします!」
給与条件も聞かず、面白そうという思いだけで、即決しました。
その後、採用担当の方から個別に給与掲示があり、私の想定を遥かに越えた金額に衝撃を受けました。
(それに見合った働きをしないと行けない。)
入社を決めた瞬間から、ギアがトップに入るような、本気を出すぞ!という、内面からくるやる気が湧いてきました。
もちろんそれは、軽躁のサインでもありました。
※これ以降、入社を決めた会社をC社として話をすすめていきます。遡って、1社目に入社した会社をA社、2社目をB社とします。
ここでC社について改めてご紹介。私が入社した時点で、創業から4年目。私は社員番号60番、全国に拠点は4ヶ所程度の規模でした。そして2017年、C社は社員数は1,800名を越える上場企業となっています。私は2年間のだけの在籍でしたが、急成長するベンチャーの初期に関わり、実際に働けた経験。また、そんな時期に集まってきた刺激的な人たちとのご縁は私の財産となっています。軽躁と紐づくとは言え、私の直感は間違いなかったと思いますし、今後も、軽躁を飼いならしながら直感を信じて行きたいです。「軽躁の時の言動、全てをワルモノにしない」。そんな気持ちを、今は持っています。
C社内には、Webマーケティング担当はもちろん、Web関連の社員もいないため、私がやれることは限りなくありました。
営業部長は以前、Web系企業の経験があったため、社内で唯一、私の取組みに理解がある人。
私が何かをやるときは、部長と共にすすめていく形となりました。
2009年3月の入社早々、軽躁の私は早速、社員さんを巻き込みます。
「Web担当としてはこういう戦略で考えている。なので、営業の人にはこういう事を協力してほしい!」
入社までに準備したWeb戦略資料をもとに、一方的に提案をする。
皆がWebに理解が薄いだろうと考え、勉強会を企画して参加を促す。
東京拠点には、私が現在働くリヴァ代表の伊藤さんもいました。
当時の伊藤さんは役員のお偉いさんで、営業メンバーとしても活動されていました。
「なんか変なヤツが入ってきた。空回りしてるなー」
これが、伊藤さんの松浦に対する第一印象だったとのこと。
私は周りがうろたえる位の勢いで、でもそれに私は全く気づかず、社内を無理やり巻き込んで行きました。
入社して間もなく、東京拠点も手狭になったとのことでオフィス移転となります。
私は名古屋から出てきていた事もあり、会社が借り上げていたマンションにて寮生活。
オフィス移転後も、オフィスから歩いて10分の場所に住むことになりました。
したがって、私の働き方は、過去のA社、B社と全く違う、どちらかといえば、独立していた頃に近い働き方をしました。
朝7時に起きて8時には会社に着く。19時まで働いて晩ごはんを食べに一度帰宅。20時にまた会社に来て24時近くまで仕事。
東京に友人が居たわけでもなく、これといった趣味もない。
仕事が一番楽しい状態だったので、土日も暇があれば会社にいました。
そんな仕事の姿勢は、客観的には「とても仕事熱心な人」と写り、営業部長からも評価されていました。
入社後すぐの業務、会社のHPリニューアルを担当し、それをほぼ一ヶ月の突貫スケジュールで完成させました。
そして、6月にはその結果を受け、部門のMVPというものをいただきました。
ただ、その勢いも長くは続かず、7月頃から失速。
だましだまし出勤するも、たまに休んだり、土日は寮の部屋で引きこもる日が出てきます。
(またこのパターン。マズイ。。)
さらに追い打ちをかけるように、寮の引越し担当になり、考えることもままならない中、会社からの距離と金額だけで物件を決定。
すると、日差しの全く当たらない。築40年?くらいの古いアパートになりました。この時の部屋の選択も、のちのち大きく影響します。。
実家と違い、寮には他のインターン生も同居していたので、完全な引きこもりはできません。
でも、それが結果的によかったのか、だましだましの勤務と、家でも適度にインターン生を意識して活動性を保っていたので、秋頃には持ち直しました。
話は戻りますが、8月、営業部長が急遽、社長に就任となりました。
部長の考え方やスタンスは身近でみていました。
私も一時期、起業を考えてもいましたが、「こういう人が社長に適した人。私はそういう志を持った人を支えるナンバー2が向いている」。
今、リヴァで働く理由も、ここにつながる部分はあります。
〜27歳(2010年)〜
この年、私の「広報」というキャリアが新たにはじまることになります。
きっかけは、会社がとある賞を受賞し、Web担当の私としては、「受賞を糸口に、もっと多くの人にウチを知ってもらえると、結果Webアクセスも増えるのでは?」と考えました。
また、その当時、「戦略PR」という書籍を読んでいたことも影響します。
その本は、社会的な事柄をメディアにとりあげてもらい、自社の取り組みとリンクさせ、消費者の意識を変えていこぅ的な内容で、ちょっとした話題になり、自分も試してみたい内容でした。
私は、受賞をネタに、ググりながら、見よう見まねでプレスリリースを作成。
私の部に配属されていたインターン生に、ダメ元で「投げ込み」を依頼します。
投げ込みとは、省庁などにある記者クラブという各メディア担当の方が常駐する場所にプレスリリースを渡しに行く、正確にはそこにあるボックスにリリースを「投げ込む」ことを指します。
(一回投げ込んだところで、連絡、来るわけないよなー。)
と思っていた時、
「プレスリリースを見ました。日経新聞の●●です」
なんとあの、日経新聞さんから電話がありました。
そして、トントン拍子に掲載へ。
(広報って、会社的に行けるんじゃないの?)
というムードになり、すぐに広報という業務がC社に生まれました。このスピード感がベンチャーの良いところ。
日経新聞掲載は、私のテンションを一気に上げていきました。
この「広報のお仕事。特に、メディア掲載」は、今後の私の軽躁をドライブさせるものになっていきます。
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