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「常識」が常識でなくなるとき〜支配的見解が崩れ去る理由

世間の「常識」や「通説」が以前と変わってしまうことがある。

刑法学において「法的因果関係」という論点があるのだが、それが昔と今ではまるっきりと言っていいほど変わってしまった。

かつては確固たる地位を築いていた「相当因果関係説」という学説が、通説としての地位を奪われ、現在では「危険の現実化説」という学説が通説となっている。

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「死刑廃止論」でお馴染みかもしれないが、戦後の刑法学を築き上げてきた団藤重光先生という方がいらした。

団藤先生は、刑法理論における「共謀共同正犯」という理論を、全力で否定されていた。

「共謀共同正犯」とは、犯罪の実行行為を行っていない者も、その犯罪遂行を「共謀」したことを要件として、その者に共同正犯を認めてしまう理論。

(簡単に言えば、ヤクザの親分が「お前ら、甲を殺害してこい!」と言って、それについて主要な立場として「謀議」を行う。が、その親分は組事務所に居ただけで、犯行現場にも行かず、それ故、殺人罪の実行行為にも加担していない・・・というケース。このようなケースにおいて、その親分を(共同)正犯とすることを認めてしまう・・・という理論)

判例はかねてよりこの理論を肯定している。

それに対して、学説では否定説が通説だった。

そんな団藤重光先生が、最高裁判事に就任された。

法律界は、団藤先生がこのような事案の際にどう判断されるのかをわくわくしながら(?)注目していた。

結果、団藤先生は、あれだけ強く否定説を主張されていたにもかかわらず、共謀共同正犯を肯定することにその意見を変えられた。

学者としての立場と裁判官としての立場の違いなどから、その学説を変更されたのだった。

もっとも、共謀共同正犯理論は肯定されたものの、その成立要件の部分を慎重に吟味し、安易に共謀共同正犯が成立することを避けるよう尽力された。

これを知った刑法学界。

それまで否定説を主張されていた先生方も、これを切っ掛けにパタパタパタ~!とまるでドミノ倒しの如く、共謀共同正犯を肯定する説に変更されていったそうです。

そして現在では判例は当然、学説の通説も、共謀共同正犯を肯定することになりました。

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かつて東京大学に、藤木英雄先生という、これも刑法理論である「行為無価値説」という立場に立たれていた先生がいらっしゃいました。

非常に有力な先生で、このままいけば東大や刑法学界の通説は行為無価値論で占められる・・・という勢いでした。

しかし、藤木先生は残念ながら若くして亡くなられました。

そしてそれを切っ掛けに、東京大学は、先程述べた「行為無価値論」に相対立する学説である「結果無価値論」に占められることになりました。

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ということで、世間の「常識」や「通説」が変ってしまうということの根拠には、このような「偶然」とも言えるような事柄が存在しているということも十分にあり得ます。

少なくとも、そのような「変化」は、「理論的対立の結果として、より優れた理論のみが生き残る」ということのみで起こるという訳ではなさそうです。

勿論、自分の理論を常々突き詰めていくための努力をする必要があるということは、当然のことです。

同じ業界でも、様々な立場があります。

「変化」が起こるという際に、どのような立場を採るか。

「偶然」がやって来る前に、しっかりと思考しておかなくてはならないかもしれませんね。


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