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名誉毀損罪における真実性の証明(230条の2)の位置づけ。

名誉毀損罪(230条)には、ご存知のように特例があります。

たとえ名誉毀損罪の構成要件に該当する行為を行っても、一定の要件を満たした場合には免責されるという規定です(230条の2)

その要件(230条の2、1項)とは、

①前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り(事実の公共性)

かつ

②その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には(目的の公益性)

③事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは(真実性の証明)

これを罰しない。

というものです。

この条文に関して、ネット等でよく話題になるのが、③の「真実性の証明」だと思われます。

裁判においては、そもそも、①「事実の公共性」と②「目的の公益性」が認められて初めて、③「真実性の証明」を行うことができるということになっています。

①「事実の公益性」と②「目的の公共性」が認められなければ、どれだけ行いたくても、③「真実性の証明」はさせてもらえないのです。

①「事実の公益性」と②「目的の公共性」が認められないが故に、③「真実性の証明」を行うことが許されなかったような場合、たとえ情状立証の場においても、それを証明することは、原則、認められません。

③「真実性の証明」とは、このような性質を持つものですので、名誉毀損罪における特例であるこの規定を考える場合には、①「事実の公益性」や②「目的の公共性」についての議論を活発化させることが大切になってくるのだろうと思います。

そのような、230条の2という規定なのですが、その「罰しない」という文言の法的性質について、争いがあります。

通説的な見解は、この文言の意味を「違法性阻却事由」であると解しています。

しかし、何らかの手違いにより、当該事実を摘示した者が、その真実性を誤信しており、真実性が証明できなかったということも起こり得るでしょう。そのような場合は、「確実な資料・根拠に基づいた上で、真実だと誤信した」といえるようなケースに限定して、その誤信を「違法性阻却事由を基礎づける事実の錯誤」と考えます。その結果、(責任)故意が阻却される、ということになります(相当性の法理)。

ここで、最高裁判例を見てみます。

「夕刊和歌山時事」事件 (最大判昭44・6・25)は、

「事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である」

としています。

以上が、通説的見解による230条の2の処理になります。

この説には、有力な反対説があるのですが、それはまたの機会に考えてみたいと思います。

それでは今回はこの辺で!


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