04.06
こころのなかにとてつもなく強い嵐が吹いている。いろいろな感情が混ざり合ってかなりしんどくなってしまっているのが、からだがいつもより少しだけ前傾になっていることから実感する。仕事面での所属する課での立ち回りが変わったことで変に気を遣ってしまっている気疲れがそうだし、4月はじまってから関わってきたお客様との関係性からくるいろいろな疲れもそうだ。「すべての悩みはすべて元を辿れば、人間関係にある。」そんなことを昔、本で読んだことがあったことをふと思い出した。そしていまのぼくなら身をもってその言葉が言わんとしていることがわかるような気がする。
ただ、一番厄介な感情が胸の中の大部分を占めている。職場での人間関係、仕事関係に対するモヤモヤ?そんなものではまったくない。それはぼくという個人しか持つことのできない感情、いや、思い?はっきり言ってしまうのは恥ずかしいあの気持ちだ。等しく誰にでも訪れるあの感情。一度捉われてしまうともう抜け出せないあの感情。1人切なくなったり、1人わくわくしたり、一喜一憂を激しくもたらすあの感情。
そう、「恋」だ。
ぼくはいま恋をしている。
こころのなかに咲いた恋という花をどうか枯れずに咲かせ続けるためにはどうしたらいいんだろうか?
そんなことを真剣に考えてみるけれど、やっぱりわからない。いや、わからなくて当然なんだろうな。ただ、当たって砕けろ精神でぶつかっていくのではなくて、言葉のキャッチボールを丁寧にしていくことがいままでの経験から重要なんだとわかる。かなり早い豪速球や、そこはかとない暴投を投げられてもその言葉をしっかりと丁寧に拾いあげ、相手へ優しく返す。ぼくは聞くことに特化していると勝手に自負しているから、おそらく受け止めることはできるだろう。でも投げ返すときは?投げ返す言葉は?言葉の流れを読みつつしっかり相手が構えるグローブに返すことができるんだろうか?
そういった言葉のキャッチボールを繰り返していくうちに自然と相手と自分のお互いを知っていくことができると思うし、まったく本当にその通りだと思う。
ただ、はたしていまのぼくにはそれができるだろうかと頭を抱えてみる。
というのも結婚を意識して3年間お付き合いした人ともお別れをしてしまい、もう2度と傷つきたくないというそれだけでひっそりとここ数年間のいままでを生きてきたからだ。
もう一度あの感情に戻ること、支配されることに正直怖いと思ってしまうけれど、やっぱり話してみたいとこころのどこかで思っているのはきっとそういうことなんだろうな。
けれどぼくにはそれが、できるんだろうか。
さっっぱりわからない。
でもそれがきっと"恋"なんだろうなと思う。
しんどくならないように、ひとつひとつ手探りでやっていくしかないのかな。
でも、とりあえず"恋"を前向きに受け止めることは悪くないと思える。
というのもぼくのあたまの中には
どんなメッセージを送ろうか?
それだけしかない。
言葉のキャッチボール。
すごくすごく簡単なことだけれど、はたしてぼくにはできるだろうか。
わっっかんね。
こころを落ち着かせるために毎日聴いている音楽ではもうすでにどうにもならなくなってきているし、逆に雑音に感じてしまうほどいまはとても、うるさい。
ただ、ものの10分でここまで書き上げてしまったことでもう答えは出てる気がする。
ぼくはもう、前に進んでいいんだろうか。
いや、進むことができるんだろうか。
でも待ってるだけでは何もはじまらないから、ぼちぼちゆっくりと自分のペースで前に進んでみるしかないかな。
そんな感じでいいんだよね?
と意味もない自問自答をひとり繰り返す。
そんなことを思いながら夜桜を見上げている午後8時の帰り道。
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