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02.15

毎朝握っているお昼ごはん用のおにぎり2つ。そろそろ中にいれる具材を変えてみようかなといろいろ考えはじめている。どの具材も魅力があっていい。しゃけ、ごま昆布、かつお。たまご焼きをおにぎりの中に入れている人もどうやらいるらしい。十人十色ですごくおもしろい。ぼくは何を入れようか、もう少し時間をかけて考えようと思った。

”義理”という名の”本命”

バレンタインが休みだったから、今日出社するとデスクの上にチョコレートがたくさん置いてあった。おそらく女性の社員さんがくれたであろうチョコレートだった。これは、”義理”なのか、それとも”本命”なのか。すこし自席について考えた。そもそも”義理”チョコというのは、バレンタインという儀式、または礼儀的な意味合いで贈られるチョコレートのことをいうのだろうか。じゃあ、”本命”は、好きな人や、思いを寄せる人に贈る気持ちのこもったチョコレートのことをいうんだろうな。いやでも、そこからぼくは考えた。”義理”チョコでも、贈る人、贈ろうと思う人に対して、すくなからず思いや気持ちははいっているはず。だったら、そもそもこの世には”義理”チョコなるものが存在すらしないのじゃないか。”義理”チョコと”本命”チョコの境地に達したぼくには、デスクの上にあるチョコレートたちがどれも”本命”のチョコレートに思えた。「ありがたくいただきます。」そうこころのなかで呟いて、ひとつのチョコレートを手に取る。うちの社長からだった。男性の社長からいただいたこのチョコレートは、果たして”義理”チョコか、”本命”チョコなのか、一瞬考えた。

無意味な小粒サイズ

チョコレートでもうひとつ。最近、営業まわりの休憩にコンビニに立ち寄ったときに、ついつい買ってしまうお菓子がある。それは、一口サイズで食べれるように個包装されたチョコレートだ。小腹がいい感じに満たすことができることと、好きな時間に軽く食べられる手軽さが最近のぼくを虜にしている。ただ、この”個包装”がぼくは嫌いになってきた。というのも、ついつい食べ過ぎてしまうのだ。いくら個包装で小さく包まれているからといっても、なかに入っているのはチョコレート。そう、美味しい美味しいチョコレートなのだ。チョコレートって絶対に個包装の一粒で我慢できるようなものではないとぼくは思っているから、ぼくの場合は、あっという間に小袋人パックを食べつくしてしまう。止まらないのだ。ほんとに。あっという間。いくら前回自分の欲望に忠実でありたいとはいったものの、この忠実さはいらない。求めていなかった。だから、食べ終わった後にいつもすこしだけ後悔する。やっちゃったな。と。できれば、個包装のチョコレートを計画的に時間をおいて食べきれる方法を学びたい。ただ、学んだところでという気もする。だって、「人は過ちを繰り返す」のだから。

今日はチョコしか書いていない。それぐらい一日チョコを食べていたし、チョコのことを考えていた。チョコ尽くしの一日だった。でも一つショックだったのは、上司から、「抹茶プリンは興味ない。」とつよく言われたことだった。

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