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「 ワンネス宇宙 」私の世界に現れた、あなたという存在は、わたしが私のために生み出したのでした ( 逆もまた然り )


婚姻関係を解消するという、
心が苦しい状況にあるなか、
知らぬ間に、
精神の未知の領域であるアビスに踏み込んでいました。
そこで、
無意識の領域の様々なレイヤー層を通りながら、
一体性から体験している事を見るというモードを発見し、
あの世側から現実世界を覗いてみると、
今まで見たことのない世界が現れてきました。

スピリチュアルで言われるところの ”ワンネス” が、
現実において、
どのようなカラクリになっているのかが紐解けたのです。
私たちはみんな、無意識の領域でつながっています。
また、無意識という闇の世界は、
実のところ、生命力溢れた未分化の波立つ意識体で、
アビスでは、見つけられるべき宝物が眠っています。

この発見を導いたのは、
驚いたことに、
これまた私自身の無意識内にあった、
「関係を終わらせるのであれば、感謝で幕を下ろしたい。」という祈りのような想いによってでした。

愛するということと信頼するということの深みをテーマに、
感覚から拾い上げた声を綴った長めの散文詩的エッセイであり、私という”神話”です。

30.755文字

* 相手のある内容ですので、
  現実での出来事や実際の私の出方は、限り無く省かれているということ、
  ほぼ内なる認識世界のみの描写であることを前提にお読み下さい。

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1. あけましておめでとう⛩
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ちえ、
令和3年、あけましておめでとう。
今年も、よろしくね。

令和2年、
もう去年と呼ぶんだね、に、
22年間の結婚生活に終止符を打つことになったの。
23歳の時に、
あの人に出会ってるから、
これまでの人生の約二分の一という時間を、
恋人、夫婦、父母として、
あの人と一緒に過ごしてきたことになるよ。
そして、今でもあの人のことは愛しているよ。


これからの未来、
過去を一切切り離すことなく、
すべての経験と共にいながらも、
引きずるのではなく、大切にしながら、
軽やかさと自由な気持ちで、
未知の世界へと踏み出していきたい、と思ってる。


これから書くことは、
そんな私の思いを根本から支えてくれている、
外からは見えない、
私の認識世界と精神の無意識の領域での体験と発見だよ。
私個人の神話と言ってもいいかな。

レイチェル•ポラックは、
「無意識こそが生命の真のエネルギーが見出される場所」って言ってる。
まさにその通りだと思うんだ。

ほとんどの人は、
その領域に気づくことも、触れることもなく一生を終えるんだと思うけど。

デルフォイのアポロン神殿の入り口に刻まれた古代ギリシャの格言は、
「汝自身を知れ」だもんね。

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0. Magical Firebirds  
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Ivan Bilibin's illustration to a Russian fairy tale about the Firebird, 1899.
ウィキペディアより



不死鳥
遥か彼方からやってきた、魔法のように光り輝く鳥。
捕まえた者は、祝福と天意が与えられ、
未来を予見することができる、とも言われる。

Magical Firebirds, 
The firebird is a magical glowing bird from a faraway land, 
which is both a blessing and a bringer of doom to its captor. 
Some believe it see the future. 

スラブ神話


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2. ゼロへの想い。肯定的なつながり。
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別々に暮らし始めたとき、
あの人と私は同じ認識と意図を持っていると信じて疑わなかったんだ。
離婚についての具体的な話を一度もしなかったから、
別居と離婚は別のものという風に捉えていたよ。


そのときの私は、
人生というものを最後まで俯瞰したうえで、
全体像という視点から、
これからも続いていく長い人生を夫婦としてやっていくなら、
今この時点で、
ふたりの関係性をリセットしたい、
一旦ゼロ状態にしたい、と強く願ったんだ。
パソコンを初期化設定するみたいに。


絡まり合った心のモツレがほどけて、
フラットになった気持ちで、
ふたりの関係をつないで、結びなおしたい、と思ってた。
家族が家族であれるように。
もう、それしか手段が残されていなかったんだよ。



別々に暮すという、
適度な距離感を味方につけて、
これまで何度も試みたけど、
どうしてもうまくいかなかった、
良き関係の前提となる、
親友同士が根底に持つ、土台としての絆、を育む機会にしたいと考えてた。


子どもを含めて頻繁に会って、
色々とやりとりしていくなかで、
きっと、友達になれる、と。
土台を育める、と。
これなら絶対に子どもたちにも負担はない、って確信してたし、
そんな流れを、全く疑うことなく、自然に想像してたんだ。


将来、子どもたちが結婚するのかどうか、
子どもを持つのかどうかは分かんないけど、
きっと、夫婦関係に亀裂が入ったときの、
根本の立て直しの大きな参考にもなるはず、って信じてた。
だって、夫婦って色々あるよね。


別々に暮らすのは、
あの時のあの状態における最適な選択だと思ってたし、
今でも、そう確信していて、
それどころか、
良き未来のための、必要で必然のイニシエーションだと。


おなじだけれど、
おなじではない二人として、
ゼロの心で出会いなおしたかったんだ。
より好ましい関係のために。



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3.  バタフライ• エフェクト -  非局在性のゆらぎ
   時計のない世界 - 時間が交錯する毎日
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ちえ、                                 
あのね、ある時ある出来事があったのよ。


きっかけとなる、
その出来事と、そこからの歪んだ流れ、
また、
過去となっていた時間も巻き込まれるカタチとなって、
私の気持ちは極限を彷徨うことになって、
心を閉じることでしか、前に進めなくなってしまったんだ。
それまでの私を支えていた、
中心にあった” 大切な何か ” が崩れ落ちた感じ。


心という水に澱が溜まりすぎたのかな?
どうしていいのか分かんないなかでの、
もうこれ以上傷つかないための唯一の選択肢が、
心を閉じることだったんだと思う。


でもね、
あの人が楽しくしているときは、
私も、穏やかで嬉しい気持ちに包まれてて、
あの人らしさ、を喜んでいる私だったんだよ。
あの人の喜びは私のものでもある、って感覚を感じてた。
分離のない世界。


だって、
好き、と、愛する、って全く異なる行為で、
態度を受け入れていないからと言って、
愛していないわけじゃないよね。
これらは、次元が違うもん。


好き、って、
もちろん、対象ありきなんだけど
それでも、
その好きって感情は自分の感情で、
言ってしまえば、
自分が受け取っているもののことで、焦点は自分。


でも、愛は相手の存在そのもの。


あの人を、
好きじゃないまま、愛してた、とでも、表現すればいいのかな。
そうすることによって、
歪んだ接し方をしてくるあの人に、
本来の自分ではない、ねじれた自分にならなくてもいいよ、
っていう、メッセージも送ってた。
それは、私なりの愛でもあったんだよ。


だって、
私たちは本当のところ、
コトバそれ自体もだけれど、
そのコトバの纏うエネルギー、
その背後に宿るものを感じとって、つながる存在だもんね。


20年以上も一緒にいるんだから、
おかしな出方が、
単に私にとって嫌なだけじゃなくて、
本人にとっても、
軌道からズレた、心地悪い歪んだ行動だってことぐらい分かるもん。

愛してるとは言え、
好きという気持ちが極限まで冷めてしまうのも、
やっぱり辛いし、とてもキツくて、
だからこそ、気持ちを一旦保留して、
状況を変えようとするよりも、待つ、を選んだ。
あの人を、
自分たちの関係性を、
そして、待てる自分を信じて。


そして、
別々に暮らしはじめたその時から、
関係性が丁寧な方向に切り替わりはじめたんだよ!
マニュアル車のギアが入れ替わるように。


よし、この調子で、と嬉しくなったのも、
ほんの、ほんの、ほんの束の間で、
一、二週間後には、
あの人が女の人と一緒になってることを発見した。
あの人が言ってきたんじゃないけれど、
こういうのって、
勘と、なんらかの力が合わさって、
知るようなになる仕組みになっているようだね。


思い描かれていた、
これから、紡がれ、織られ、仕上がっていくであろう反物。
そこに、繰り広げられる、模様という未来図。
その模様のうえに、
突如、墨が大量にこぼされて、
墨汁が、そこにあった展望という模様を、
一瞬にして飲み込んでいったかのようだったよ。。。


なぜだか、いつも女の人が絡んできて、
私は口をつぐんで、貝になることを選ぶことになるんだ。
あぁ、何度目の貝。
まるで、
私にとって、
一番伝えたいことを飲み込まわせてしまう、
悪魔の出した処方箋、だまり薬かなんかのよう。


今生の人生で、
夫婦としての縁を持ったぐらいだから、
一旦離れたとしても、
大切なものを中心に置くことさえできれば、
調和を取り戻せる、と思ってた。
私だって、表面意識のみだったら、
もう、終わりたい、と思ったりもしたよ。
でも、もっともっと深いところでは、
ちがう感覚があったんだよ。
うまくコトバにならないとしても。


それに、
ふたりの関係の正常化が課題だから、
もしもだよ、
もしものもしも、
将来的に友達という関係止まりになるとしても、
そこに友達としての絆があり、
子どもの親としてタイアップできるのであれば、
こんな風に、こじれてしまっている今よりは断然いい、
という、冷静な思いも持ち合わせてたよ。
夫婦だけでなく、子どもも含む家族という単位で考えて。


なのに、
こういう状況になってくると、
外的秩序の崩壊が内的秩序を破壊に導いてしまうんだ。


写真家の星野道夫の友人だったシリア•ハンターの言葉だっけ、

Life is what happens to you while you are making other plans. 
人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事 


絶妙だよね。
泣き笑い、したくなるぐらい。
あれ?
笑い泣き、なんだろうか?
どっちなんだろうね。


95%の、
心という目には見えない、あの世側の世界と、
5%の、
目に見える物理世界という、この世を、
コインの裏表として生きる私たち。
カタチのない、
カタチとなる前の段階の混沌を、なんとかを表現したコトバは、
目に見える5パーセントの世界以外を信じない人たちには、
そのカケラさえ届かないんだね。

Living in two different worlds 
Living together in Untuned-World 

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ふぅ(息) 

アイス•カフェオレを入れてくるね。
ミルクたっぷりのやつ。
氷もたくさん。
コップのなかで、
氷たちが窮屈そうにしてるぐらいなのが、私の好み。
お砂糖は、ローシュガーを、ほんの少し。

そうだよ、こっちは夏。
当たり前なんだけど、日本は冬なんだよね。

ちえも、何か飲み物を入れてきなよ。
一緒に飲もう。

思えば、牛乳たっぷりのカフェオレ、
高校生の時から、
かれこれ30年以上、
私の不動の、絶対的お気に入り、だよ。
きっと、この調子で、
この不動の地位は、この先の30年も確実に続いていくね。
今生の人生の終わりを迎えるときまで。
そんな未来が今、垣間見れたよ。笑

ちえ、
次回日本で会えるとき、
コンビニで一緒に、
牛乳たっぷりの、おいしいカフェオレを買って飲もうね。
いや、やっぱりカフェがいいかな。
指切りげんまん。
約束だよ。


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4. 婚姻関係の解消と大アルカナ物語
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去年、
WHOがコロナにパンデミック宣言を出した3月11日に、
3月11日と言えば、東日本大震災の日でもあるよね、
この日に婚姻関係解消のオーダーが出されて、
4月12日のイースターの日に証印されたんだ。


イースターって、復活祭。
“ 生まれ変わりのお祭り “ だよ。
古いそれまでの自分が死んで、
新しい自分として生まれ変わる、復活祭。


そして、5月5日の子どもの日に、裁判所に記録されたの。
“ こども心 “ のこども。
それは、タロットの大アルカナの19番目のカード、太陽。


素直な気持ちを抑圧するたびに、
深淵の底へと、
ポタリと流れ落ちていった、想いという名の涙。
女性の持つ、
いや、
男性も持つ、
女性性と呼ばれる摂理の持つ、より深く、より繊細な面。
ベールの向こうの暗く閉ざされた面。
それは、女司祭というカード。


• 2番目のカード The High Priestess / 女司祭


女性性の摂理である、
心のうちの繊細で閉ざれた暗闇。


対象的に、
自由な子ども心が解き放たれている状態を表す、
女帝のカード。


• 3番目のカード The Empress / 女帝


欠けた月、を通過し終えたのちに現れる、
節制を備えた大人でありつつ、
自然に湧き出てくる素直な気持ちを、
ありのままに表現している、純化された生命力、太陽。

自ら発光している太陽。
核分裂ではなく、核融合反応を起こして。
融合って、
相反するものが、どちら側も一切否定されることなく、
どちらもの力が結びあわされるときの、凄まじい爆発現象。
陰も陽もどちらをも含む、太い光を放つ陽。
それが、太陽。


• 19番目のカード The Sun / 太陽


太古の昔から、
月の光に惹かれ、そこに情緒を感じ取ってきた私たち。
透き通った美しさに魅了され、
ただただ満たされた気持ちになったり、
時に幻想的な魔力に引き込まれ、その冷たさを感じながら。


月は自ら光を放っているのではなく、
太陽の光を反射することによって、
その輝きを私たちに届けてくれる。
その光は、
太陽の光を反射しているだけ、と言うには勿体なくて、
月のその静かな存在が、
普段あまり感じることのない、
深いところに眠る気持ちに触れる機会を与えてくれる。


二十八日を周期にして、
満ち欠けを繰り返す月。
月は、私たちの、うちなる心の反射鏡。
月を見上げる度に私たちは、
心から満たされた瞬間と、
置き去りにしてきた気持ちのどちらにも触れることになるんだ。


• 18番目のカード The Moon / 月


気持ちを切り離しても、
生きていくことはできるけれど、
それは単なる命で、生命ではなくなっている。
でも、
感情的になりすぎると、
壊されてしまう大切なものもあって、
なかなか一筋縄ではいかない月という存在。

自分が感じていることに対して、
頭の片隅から否定の声をかけてくる、
私という存在を見張る存在、超自我。
内なる源泉から湧き出た、
素直な想いを抑圧してくる、この声によって、
内面がふたつに割れちゃってる状態。
葛藤だよね。

強すぎる太陽のせいで、
月という心のなかが、ケンカ状態。
そこにあるのは、ふたつの心。


歪んだ太陽と欠けた月。


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5.   プラトンの洞窟の比喩でもあり、仏教の阿頼耶識
    縁起でつながる私たち
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認識する世界は、
経験する現実は、
自らがその創造主であるという、驚きの事実。

ちえ、
プラトンの代表作、
「国家」に出てくる” 洞窟の比喩 “ の話、知ってる?


洞窟のなかから日々の日常を見ているのが私たち。
目の前の現実というスクリーンに映し出された、
その “ 何か “ の影のカタチを見て、
そのイメージのなかを生きている。
そのスクリーンは、
現実をそのまま映し出しているのではなくて、
洞窟の奥に存在する ” 何か “ の屈折した光の映像。
内部表現と呼ばれるもの。


洞窟に住んでいる、ということに、
自分一人では気付くことはできないから、
当たり前と言えば、当たり前だけれど、
そんな事を考えることも、疑うことも、疑問に思うこともないんだ。


この洞窟は、仏教でいう、阿頼耶識( あらやしき)。
顕在意識である、眼識、耳識、鼻識、身識、舌識、意識。
潜在意識である第七識の末那識と阿頼耶識。
阿頼耶識は末那識の奥の、第八識。


私たちは物心ついた時から、
世界がひっくり返ってしまうほどの、
相当衝撃的な出来事でも経験しない限り、
阿頼耶識に蒔かれたタネから芽を出し、
末那識に作られたパターンに強力に支配されるカタチで、
現実世界を生きているんだよ。


つまりは、
自作自演でありながら、
他の人も巻き込んだ壮大な物語を、
みんなで一緒になって創造しているというのが、
私たちの住むこの世界。


あぁ、なんたること。。。


多摩大学大学院の田坂宏志先生の言葉を引用させていただくなら、

“  我々の人生を
 不思議な形で導いているのは
 実は、我々自身に他ならない “ 

田坂宏志著 「運気を磨く、心を磨く」の終話


私たち一人ひとりの意識界の一番深いところは、
ゼロポイント• フィールドにつながる、超時空的無意識。
この宇宙を生み出し、拡大させ続けている根源的なエネルギー。
そして、それは、すべての生命の源。


宇宙が生まれた瞬間から、
その生命が終わる瞬間までの全てが、
カタチを持たない波動情報として、
ゼロポイントフィールドに記録されている。
私たちが古代から神と呼んできたものの正体こそが、
ゼロポイントフィールドという、エネルギー場。
神、天、仏、空、サムシング•グレート etc
色んな呼び方があるよね。


私たちは、
たったひとりで人生を紡ぐことはできないでしょ。
それどころか、
そもそも自分という人間が、
どんな存在なのかさえも、よく分かっていなくて、
他の人がいてこそ、ようやく見えてくる。


良かったとか、悪かったとかという分類をせずに、
印象に残っている体験を、
人生という円のなかに配置して、
俯瞰して見ると、
体験と体験の共通性、
体験と人生全体とのつながりが、
なんとなく浮き上がってきて、
体験という横糸が、
経験という縦糸と交差しするカタチで、
全ては中心につながっていることに気づくよ。
そして、
その中心を司るのが、
わたしというスピリットであり、私という創造主。


縁という糸が、
時空も超えて、
縦横無尽に、結び、絡まりあうこの世界。
ひとりひとりに最善な出会いが、
最適なときに巡ってきて、
その関わりのなかで繰り広げられ、展開していく出来事。
それぞれの体験どうしが絶妙に絡まり合うなか、
現象が現象を支えあい、
それぞれは、それぞれに必要で必然な体験をしている。
縁起なんだよね。


すべては、縁によるんだ。
縁起。


• 10番目のカード Wheel of Fortune / 運命の車輪


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ちえ、お腹空いた?

阿頼耶識というコトバから仏教が浮かんで、
仏教からインドが浮かんで、
インドで食べた焼きそばが、食べたくなったよ。
こりゃ、連想ゲームだね。 笑

インドへ旅行した時、
通りに出てる屋台の焼きそばを食べたんだけど、
これが、おいしくってね!

日本の焼きそばのソースなしスタイルがインド式で、
味付けは、油、塩コショウ、ガーリックのみなんだけど、
炒り卵が入ってて、
シンプルな味付けと具材が好みの私は、それ以来大ファン。

記憶というのは、
強く私たちの五感と結びついてるから、
私は、このインド式焼きそばを食べるたびに、
インドのストリートを思い出すよ。
その時の、日差しも、あの喧騒も一緒くたに。
屋台のおじさん、
今でも元気に焼きそばを作っているのだろうか?

ちえは、なにを作る?
私って、人のご飯も気になるんだ。


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6.  肉体としての私と、意識としてのわたし
  “ 私とわたし” ふたりでひとり、なんだよ
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• 6番目のカード The Lovers / 恋人たち

“ 初めてラブストーリーを聞いたとたん
 私はあなたを探しはじめた
 自分がどれだけ盲目かも知らずに
 恋人たちは
 ようやくどこかで出会うのではなく
 最初からずっとお互いの中にいた “ 

“ The minute I heard my first love story, 
 I started looking for you, 
 Not knowing how blind that was. 
 Lovers don’t finally meet somewhere. 
 They’re in each other all along. “ 

14世紀のトルコの神秘家、ルーミーの詩だよ。

あぁ、この深遠さ。


私が恋焦がれ、
探し求めていた人は、
結婚相手のあの人である “ あなた ” ではなくて、
私自身のうちに住まう、
自分では気付いていなかった “ 私というあなた “ だったんだ。
そして、
その “ 私というあなた “ を、結婚相手である、あの人のなかに見てた。
いや、もちろんあの人でもあるのだけれど、
認識世界という意味においてだよ、ここで言っているのは。


結婚する、って、
英語で、Tie the knot って言うんだけどね、
結び目を作る、でしょ。
2本のひも( 糸 ) で結び目を作る、結ぶ、結婚する。
日本語でも、結ばれる、って言うよね。


そして、
婚姻関係の解消のことを、
Dissolve Marriage って言ってね、
Dissolve って、
溶かす、溶ける、溶解する、水に溶けていく、って意味。


ちえも知っての通り、
私、あの人のこと、大好きだったでしょ。
何があっても、起こっても、やっぱり大好きだった。
と言うか、大好きでいたかったのかもしれないね。


私の意識の洞窟から現れてきたのが、あの人。
縁起という糸の結びや絡まりのなかで、
私が生み出したの、世界と一緒になって。
私の望みに沿って、目指す目的地に到着するために。

だから、あの人も、
あの人の意識の洞窟から、私を生み出している。
あの人の望みと、目的のために。
無意識の領域でつながる、
縁起というこの世とあの世をつなぐメカニズムによって。


阿頼耶識の持つ力は強力で、
象の力、百匹以上と例えられるほどの業力なんだよ。
阿頼耶識には、象さんが住んでいてね、
現実世界に顔を出したのが、現象。
ほらね、現れた象、と書いて現象でしょ。


どんな象さんが、
私の洞窟に住んでいるのかを、
次々に暴いていく役目をしてくれたのが、
結婚相手であった、あの人。


なぜそんなことを?って思うよね。


“ 肉体としての私 “ と“ 意識としてのわたし ” が、
仲良く再びつながって、統合するためにだよ。
肉体の私と意識のわたしが、Tie the knot するために。


あの人は、
世界で一番近しい関係である結婚相手として現れて、
隠しきれない素の私をあの人に見せるなかで、
私がわたしとの和解を阻害しているもの、
それが、象さんだよ、を、
私の現実に見せてくれたというわけ。
プラトンの言う、洞窟から出るために。
影のその向こう側に達するために。


アバターだったんだよ、あの人。


アバター?


そう、化身。


誰の、って?


わたしのだよ。笑


欠けた月🌙を見上げている私が、満月🌕と出会うために。
私の無意識の望みを、叶えてくれるために現れた、
“ わたし” がカタチを変えて、
私の人生に現れた役者、それがあの人。


ここで言ってる、望みって、
頭で考えて出す、意識に上がってくるものじゃないよ。
コトバにできない望み、というか、
コトバになる前の望み。
無意識の領域に眠るものなんだ。
どちらかと言うと、
そんなのできれば人生で起きてほしくないよ、、、
避けれるものなら避けたい、と心が折れてしまうようなやつ。。。
逆境というか、苦しみをもたらす類のやつ。


あの人と、
暮らしを、心を、人生を共にするなかで、
わたしは、
私の、
そして、
あの人の最悪の醜い部分に出会う機会を与えられ、、、


でもそのまた先には、
煌めくほどの、
キラキラした宝を私のうちに、
それを私自身として発見することとなったんだ。
絶対に私にはないと信じて、
努力して、努力して、得ようとし続けていたもの。


それが、自らのうちにあった、と言うより、
わたしそのもの、だったという驚き。
心底求めていたものを自身のうちに見つけた、
というこの摩訶不思議さ。



素敵なあの人と恋に落ちて、
楽しいことや嬉しいことを一緒に体験し、
時の流れのなかで、
あの人は、
いつの頃からか、
まるで宿敵かなんかのように変貌していったけれど、
あの人が、
私の人生に現れたその意味が理解できたとき、
あの人は、
私にとって完璧な、
宿縁による、
宿命の相手だったんだなぁ、と。


好きという感情を超えて、
“ 人を愛する” ということへの努力を重ねる旅は、
素晴らしい自分との出会い、という旅でもあるんだね。


そうなの、ちえ、
私があの人のなかに見出していた素敵な素質は、
気づいていなかった、見えていなかった私だったんだよ。


ねじれていたから、私全然気づかなかったんだ。



上の如く 下も然り
内の如く 外も然り

As above So below 
As within So without 

ヘルメス• トリスメギストス 
「エメラルドタブレット」

Hermes Trismegistus
" Emerald Tablet “ 

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外の空気が吸いたくなったから、
ちょっと歩きに行って来よう、と思う。

さっきね、書いてる最中、
わりと強い雨が降ってたんだよ。
雷もゴロゴロと大きな音をたててた。
今はもう、雨は上がったけどね。
雨上がりの空気、って、
なんだろ、
前のめりになって吸いたくなるよね。
積極的呼吸、を促進してくれるとでも言うか。


実はね、
去年は明るい時間に、ほとんど外に出なかったんだ。
お母さん友達に出会って、
どうしてる?から始まる会話には、
あんまり捕まりたくなかったんだ。
貝である私は、あの人の事を聞かれても何にも応えられないし。


その時点でタイミングが来ていないような場面に遭遇することには、
前もって回避すること。
そういう技も、時には要るよね。
そういう意味では、
コロナは、私の味方もしてくれたのかな。

それにね、
太陽の下より、
月明かりに包まれる方が、安心感を持てたの。
しっくりと馴染む、とでも言うか。
月が浮かぶ、
夜という闇の空間では、
素直な気持ちを、一切批判することなく感じられるからなのかな。
素直な気持ちに、寄り添ってあげることができるからなのかな。
これって、
その時の置かれた状況と私の生まれ持った気質とのコンビネーションなんだろうか?


ちえは、どんな風にして、自分の素直な気持ちに触れてる?


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7.   グランドミューテーション
  風の時代 - 心に剣を
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ただいま。
少しでも体を動かすと、やっぱり気持ちがいいね。
ちえは、体を動かすなら、何がいい?
私はね、
用事でもないと、なかなか体を動かさないから、
買い物という用事と、
遠いほうのスーパーという組み合わせをつくって、
歩く、を作り出してるよ。
そうでもしないと、運動をしない私、を選んでしまう、
弱い自分を、よく知ってるつもり。。。


ところでね、
令和2年、
去年の冬至のあくる日の12月22日の丑三つ時に、
木星と土星が大接近して、
地球から一直線上に並んだんだよ。

•グレートコンジャンクションの図

20年に一度、このふたつの惑星は接近するんだけど、
ここまで近さで並ぶのは、約400年ぶりなんだって。
この現象をグレートコンジャンクション、
って呼ぶんだけど、
今回、それが水瓶座で起ってて、


ちなみに、これまでは、
地の星座である、牡牛座• 乙女座• 山羊座で起こってたんだけど、
これから先は、
風の星座である、双子座、天秤座、水瓶座で起きるんだって。
これを、グランドミューテーションと呼ぶらしい。
ところで、ミューテーション、って変異、って意味ね。


200年ごとに、
グランドミューテーションと呼ばれる、
グレートコンジャンクションが起きる星座のエレメントの移行があって、
占星術では、
社会が今まで時間と労力をかけて築きあげてきたものだけでなく、
その構造自体が根底から揺らぎ、
新たな流れを持つエネルギーに切り替わる、と言われてるんだ。


地の時代から、風の時代への移行。


何かが変わるには、
きっかけが必要で、
個人的要素で言うと、
人それぞれ、様々な異なった内容になるんだろうけど、
世界的に見れば、
コロナは避けようのないきっかけにカテゴリーされるよね。
問いかけられてるよね、私たち。
本当は、どう生きたいの?って。


太陽や月の周囲に見える光の輪のことをコロナと呼ぶのも興味深いよね。
コロナって、太陽や月の周囲に見える光の輪のことで、
大気中の微細な氷の結晶や水滴などによる光の回析のために起こる現象で、
内側が青く外側が赤色に見えるんだよね。


ふーむ、
さっき書いた、
グランドミューテーションによる、
風の時代の、新たなエネルギーの流れのヒントが、ここにもあるような気が。


回析、ってね、

媒介中を伝わる波( または波動) に対して障害物が存在する時、
波がその障害物の背後など、
つまり一見すると幾何学的には到達できない領域に回り込んで伝わっていく現象のこと。
* ウィキペディアより


土の時代という、
目に見えるものへ価値を置く、
物質としての豊かさから、
目に見えないものに価値を見出す、
風に象徴される時代に移っていくことを示唆する天空図。


知性、情報、コミュニケーション( 通信) などで、
人と人を、心という領域でつなぐ、
心豊かな時代の幕開け。
風に代表される、自由に表現される個性。


タロットの小アルカナで、
剣が風のシンボルになるんだけど、この剣は諸刃の剣なんだ。

• Minor Arcana   剣 / Swords 


大アルカナでは、11番目のカード。
天秤と共に出てくる、Justice / 正義。
そうそう、
天秤って、天の秤、って書くんだよ。
興味深いよね。

剣は、知性。
知覚を司るもの。


私たちは長いあいだ、
知の力を、
外の世界や人々へのコントロールのために、
批判や自己批判として、その力を使ってきたよね。
それはそれで、
みんなで物質的な豊かさへ向かって前進するために必要な力であった。
社会にある問題に目を向け、解決し、
自らの足りない部分を顧みて、自己改善し、
より良き社会、世界、
より良き自分を目指して前進してきた。
その結果、物質界は驚くほど豊かになった。


そんななか、
ここに来て、
ここまで来たからこそなんだけど、
どこか奥の方から、
心が軋んでる音が聞こえてくる。


置き去りにされてきた心。
そこから溢れてくる涙。


武器にも護身にもなるのが剣という知性で、
得たいもののために、
人を斬って倒すことができるけれど、
そこで使った、
自分だけのために、というエネルギーは、
奪われる者を対象として生み出し、
時を経て、
そのエネルギーは、
ブーメランのように、奪った者のもとへと返ってくる。


使い方に気をつけないといけない、知性という、諸刃の剣。


使い方を決めるのは、
マインドの領域のような気がするけど、
本当のところ、
心の置き場所、そこにある想いによるんだよね。


ほとんどの人は、そのことに気付いていない様子だけど。


~~~~~~~~~~~
8.  令和の風
~~~~~~~~~~~

続けてもいい?

日本では、
2019年に、元号が令和に切り替わったでしょ。


令和という元号の所以は、万葉集の梅花からだよ。

「初春の令月にして 気淑く(きよく)風和らぎ
   梅は鏡前の粉を披き(ひらき)  蘭は珮後(はいご)の香を薫す(かおらす)」


とても気持ちいい歌だよね。
そして、
ここでも、風がテーマとして入ってきてる。
風が和ぐって、剣が和らぐことだよ。


自分自身を守る必要があるときは、
相手を斬るのではなく、大切なものを守るために使う霊剣となる知性。
大切なものを守るという点では、
その焦点において、
戦わないからこそ、
結果として相手を助けることにもなる、というパラドックスが起きる不思議さ。


ところで、
霊剣と言えば、草薙の剣。
別名、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれるんだけど、
日本神話に登場する神剣で
三種の神器のうちのひとつでしょ。


素戔嗚尊( すさのおのみこと) が、
出雲国の簸川(ひのかわ) で八岐大蛇を倒したときに、
大蛇の尾から出てきた剣なんだけど、
高天ヶ原に住まう天照大神に献上された後、
また地上界に戻ってきてるんだ。


天と地の間に浮かぶ雲という存在。
風によって雲は流され、
その力で、途切れさせることもできる。


心が曇る、って表現は、
モヤモヤして、スッキリしない心の状態のこと。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の、
“ 叢雲” が空に出ている状態とおなじこと。
叢雲って、群がり集まった雲のことで、
別名、高積雲のことだよ。


風が叢雲を吹き消すことが出来る様に、
つまりは、
知性である剣が、
恐れ、という叢雲を突き抜けることを可能にするんだよ。

ちえ、
そうなんだよ。
風は、勇気を帯びた智慧のこと。
ちえ、こんなところで、ちえの名前が出てきたね!
漢字は、ちょいと違うけれど。


戦わない風。
軽やかな春風。
そこには、花が咲き、甘い香りが漂っている。
心地いい、令和の息吹。
Aspiration 
こんな時代を生み出していけたらいいよね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9.  欠けた月を生きてきてたの
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちえ、
わたしね、
私のことを欠けた人間として見てたんだ。。。
外から見てどう見えるとか、
何をしているとか、
そういうのじゃなくて、
内面でわたしが私自身に対して抱いていたイメージのこと。


そんななか、
私にはない素敵な素質を持っているあの人が、
私の世界に現れて、結婚相手となった。


• 1番目のカード The Magician / 魔術師

今なら分かるというか、謎が解けたんだよ。
この世は、
あの世との縁という糸が縦横無尽に張り巡らされていて、
絡まり合い、結び合わさって、
縁起によって世界が生み出されている、と言ったでしょ。

ここでカギになってくるのが、
その願いの出た心の置き場所にあった、私の想い。
わたしと私との関係性。
自分と自分自身、ってことね。

バシャールは、こんな風に言ってたっけ。
自分が完全になるために、
ソウルメイトが必要だと思っているということは、
自分のことを不完全だと思っているわけで、
自分が不完全であることを見せてくれるソウルメイトと出会う、と。


• 0番目のカード The Fool / 愚者


村上春樹の小説で、
よく、損なわれた、って表現が出てくるよね。
あの感覚に近いと思う。
なんて言うかなぁ、
世の中のほとんどの人は、
その” なにか” を持っているのに、私にはない。
私だけが持っていないなくて、欠けているのが、この私。
そのことによって、
私は損なわれた存在なんだ、って感覚。


深いところで、
自分のことを肯定できなかったとでも言うか。。。
こんな風にして、ずっと欠けた月で生きてきた。
そう、欠けた月。


「私は私、これでオーケー、だいじょうぶ。」
という満点の想いを、
自分に対してどうしても持てずに生きてきた、と表現できるかな。
大丈夫という許可が出せないうえに、
こうすべき、ああすべき、
こうすべきでない、ああすべきではない、って色々と思ってた。


ある出来事がきっかけで、
あの人のこと、
愛しているけど、好きではない状態に入った、と言ったでしょ。
正確には、好きなのかなんなのか、
もう訳がわかんない状態になったんだけど、

きっかけとなる出来事に続いて、
あの人から返ってきた言葉が、


「ボクが君なら、愛する人の幸せを自分のもののように喜ぶ。
 もしも、君がボクの幸せを喜べないのであれば、
 それは、本当の愛じゃない。君には愛がない。」

って、
とても強い調子言われて、
続いて、見下した声音で、

「それはね、嫉妬って呼ぶんだよ、嫉妬。君の問題であって、ボクではないよ。」と。



え? って、


頭のなかが真っ白になって、
どんなコトバも出てこなくて、
ただただショックな状態になった後、
私、自分の気持ちが一体何なのかさえ分からなくなるほど、
混乱してしまったよ。


例えるなら、こんな感じになるのかな。
ダイナマイトが仕掛けられた建物が倒壊するのを、
テレビとかで見たことあるでしょ?
一瞬にして、建物全体が揃って崩れ落ちていくあの様子。
建物には、固有の振動数があって、
それを計算で弾き出してきて、
振動の中心にダイナマイトを仕掛けると
ああいう風に、一気に全倒壊させることができる仕組みなんだよ。

•16番目のカード The Tower / 塔

有無を言わせぬ、
その強い調子のコトバは、
大切な部分は一気に通り越して思考に到着して、


“ あぁ、そうだ、悪いのは私なんだ。
  私には、愛が足りない。愛の足りない人間なんだ。
  嫉妬もそうだ、私の問題だ。”  って答えを、即座に導き出してきた。

確実に感じた自らの感覚よりも、相手の言葉を選んだのかな。
そして、無意識に自分のことを裁いていたんだね。
あの人のことを裁いちゃいけない、って思ってるから、
その代わりに自分を裁いて、
きっと、私に悪いところがあったからなんだ、って。

でもね、
未来を夫婦として歩んでいこうとしている大切な人、
愛している人に、
寸分の隙も揺らぎもなく堂々と言われたら、心のなかにスッと入ってきてしまうよね。


あの頃、
夜になると、
ただただ涙が溢れ出てくるのが一ヶ月ほどと、
胸の激しい痛みが二、三ヶ月ほど続いたんだ。
どんなコトバも、そこには存在しないままに。


今、
あえて言葉にするなら、
その涙は、
あの人に言われた言葉と、
その言葉が背後に纏っていたエネルギー、
そしてあの人は、
私との関係性よりも自分の方が大切なんだ、という事実を目の当たりにしたこと、
あの人との歴史という総決算の記憶から出てきたもの、


でもまたその奥の、
涙の源は、
私がわたしを大切にしてあげれていなかったことによる、
内なるわたしからのメッセージだったんだよ。
私、わたしを力強く守ってあげることが出来なかった。
自分の感覚よりも、あの人の言葉を選んだから、
見捨てられたわたしが泣いていたんだよ。


そう言えば、
日本で暮らしているときに起きた似た出来事の時も、
同じようなパターンだった。
私のせいで、と、強く自分を裁くことによって、
出来事を受け入れたな、と。

でも、
私に悪いところがあったという点において、
その時のことは起こって良かったと思ってるんだ。
大切な人を、もっと大切に接することを学んだから。
あの経験は必要だったんだ、私にとって。

• 14th card  Temperance / 節制

大好きだったんだよ、私。
あの人のことが。

少し悲しみが落ち着いた頃、
“ もっと愛のある人間になろう、
  あの人のすべて丸ごとを、もっと愛そう、
  女の人と出かけるあの人を喜べる私になろう、
  金輪際、一切嫉妬しない私になろう “  って決心したのを覚えてる。


私がわたしの心を置き去りにした瞬間だけど、
その時は、そんなことには気付いていなかったよ。
最善の決心だと思ってた。
でも、
温かい気持ちは、
その決心のなかには、皆無だったのは感覚で覚えてる。
なんだか、とても硬くて冷たかった気がする。


ちえ、                                 
今なら分かるよ。
夫婦という点においては、
男と女でもあるんだから、
あの時、私が感じた気持ちは人として自然なものであって、
もしかすると人によっては、
異なる感じ方や捉え方があるかもしれないよ。
けれど、
そう感じた自分の心を否定する必要なんてなかったんだよね。


そうすることによって、
あの時必要だった、結界が張れたのに。
結界を張ることによって、
守ることのできた大切な何かがあったような気がするよ。
結界を張ることによって、
結果として、
あの人のことも守ってあげることができたような気もする。


謝ってほしかった、という気持ちもあるよ。
私があの人だったら、絶対に謝るし。
相手のためにも、自分のためにも。
信頼という、一番大切な土台のために。

信頼は愛を含むけれど、愛は信頼を含むとは限らないよね。
もしかするとあの時が、
信頼という糸が切れた瞬間だったのかもしれないね。

様々な想いが複雑に絡まり合って存在してるよ。


けれども、
そんな全てを含んだうえで、こうも感じるんだ。
起こるべくして起こった、とも。
未来の “ より良いなにか ” のために。
より大なるもののために。
私の人生の、より大きなシナリオのために。

深いところとのつながりから来る、大なるものに導かれている感覚。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
10.  理想を目指して頑張ってきた私
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちえも覚えていると思う、
日本での似たような出来事以来、
こっちに移ってから、
いい奥さんを目指して、本当に頑張ったんだ。


あの時、
どれだけあの人のことを大切にしたいかに気付いたから、
絶対に傷つけることや嫌がることはしないと決心したし、
できる限り、相手の期待に応えていこう、と思ったんだ。
そして、実際に、そう取り組んだよ。


もちろん、完璧なのかと問われたら、
100% のイエスなんて言えないけれど、
妻として本当に頑張ってきたのを、
自分が一番知っていて、
あの人のことを大切にしてきたことは自負できる。


きっかけとなる出来事が起きて以降のある時、
ふとあの人が、

「君は、僕のほしいものを全てくれていたのに、
 なぜ、もうくれないの?」

って言ってきた時に、
私ひとりの思いこみではなくて、
あの人に届いてたことも確信した。


でもだからこそ、
あの出来事とその後の出方に、余計に悔しかったというか。
なんだかもう情けなくて。
不甲斐ないよね。


そんな風に交錯する時間のなか、
色んな気持ちが入り混じりながら、
私が出した最善の策は、
心を閉じる、ということだったんだと思う。


月日が流れてから、
もしかするとあの人は、
私を責めるつもりはなくて、
自分を守るための言葉だったのかもしれない、
という思いも浮かんできたんだ。


あ、
ほらまた、私は自分の気持ちよりも、
あの人のための理由を探そうとしてる。

ちえ、
私ね、
きっと、あの人のことを悪者にしたくないんだよ。
もしも、
あの人を悪者にしたら、
私には問題がないことになって、
今までの世界観が壊れてしまうことになる。
それだと、世界が終わってしまう。


私に問題があるとすることで、
私が愛したあの人は良い人で、
その世界を見続けることが出来るよね。


あの人は良き人で、
この世界は美しい、という、私の大好きな世界観。


いいとか、
悪いとかでなく、
これが私であって、
最大の長所であり弱点。
諸刃の剣。


私ね、
いつでも人の良いところが見えてた。
いつでも誰でもの素敵な素質に、自然に目がいって、
心から、あぁ、この人、素敵だなぁ、魅力的だなぁ、って見てた。
極々自然に。


問題は、その先で、
そう、思っているところで止まっていればいいのに、
いつも、こう続いていたんだ。

なぜ私は、足りないものだらけなんだろう?
私って、何かがおかしいのだろうか?

この欠けた月のエネルギーで、いつも努力してきたよ。
頑張って、もっと良くなりたい、成長したい、って。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちえ、                                 
ちょっと休憩をとろうよ。

洗濯機を回してくるね。
夏は日が長くて、
8時ごろまで明るいんだよ。
今日は、天気予報も雲ひとつない晴れ、って言ってるし。
今から干しても、日が暮れるまでには乾きそう。
そよ風も吹いてるし。

晩ごはんは何を作ろうかな?

1番下の子がクリスマスプレゼントにね、
エアーフライアーという調理器具を贈ってくれたんだ。
日本では、ノンフライアーと呼ぶのかな?
揚げるのと、オーブンの機能が合体してるの。


そうだ、チキンレッグにしよう。
塩コショウ、ニンニクパウダーに、
小麦粉まぶして、カリッとしたフライドチキン。
そこに、ごはんとサラダを添えよう。
フルーツは、ブルーベリーがいいな。
今、旬なんだ、ブルーベリー。
最近、弱ってきた視力にも効いてくれるといいな。


ちえは夕飯、何を作るの?
日本は冬だから、
この時期、鍋ものの出番が多いよね。
あ、そうだ、
今年は大雪って情報が入ってきたけど、どう?
だいじょうぶ?


あまりにも温度が下がる時って、
水道の水を流し続けておかないと、
水道管が破裂してしまうんだよね。
凍結を避けること。
それは、私たちも同じ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
11. 封印することによって、置き去りにされていく繊細な気持ち
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんだろうね。
私たちは、
もしかすると、
心が一番伝えたいことは、怖くて言えないのかな?
頭が言いたいことは、言えるくせに。
勇気を出して伝えたのに拒絶されたとき、
元の場所に戻ってこれないほど心が壊れてしまうのを、
無意識のうちに避けようとしているのかな?


そう言えば誰かが言ってたな。
一番伝えたいことが言えないから歌を作る、って。


けれど、
一番大切なことを避け続けるという行為は、
結果として、
壊れる方に進んでいっているという、この矛盾。


でももしも、
一旦壊れてしまったとしても、
感じきることを受け入れることのできる器になった時に、
再度、体験し直せるようになっているのかな?
あと、時間も必要だよね。
日にち薬。
それが、わたしの今なのかもしれないね。


ちえは、
一番伝えたい気持ちを、伝えたい人に伝えてる?
伝えるべきことを、伝える必要のある時に、伝えてる?
だって、
いいことは言葉にしなくても、別に大丈夫だもんね。
雰囲気が、その場の空気を通して、
それ自体を醸し出しているだろうから、
その空気に包まれているだけで、
その場では、既にコミュニケーションが成立してる。
ノンバーバルなやりとり。


問題なのは、
こんなこと言ってもいいのかな?って、
繊細な心が震えているとき。
そして、それは大体において、
ふたりともなのではなくて、ひとりだけ。
片方だけ。
もう片方は、意識さえしていなかったりする。
だから、むずかしい。

そしてまた、
そこに加えて、
相手のことを傷つけたくないとも考えるから、二重に難しくなる。
その結果、身動きが取れなくなる。


でもだからと言って、
心は決して何かを簡単に捨ててしまったり、
単純に物事を忘れたりすることはできないよね。
そこで、私たちは表面的に封印するんだ。
でも、
心を置き去りにするという行為は、
私たちを、感じることから遠ざけしまうんだよ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12.  あの人との目指したかった、未来のカタチ
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愛はお互いを見つめ合うことではなく、
ともに同じ方向を見つめることである。

Love does not consist in gazing each other but 
I’m looking together in the same direction 

サン=テグジュペリ
Antoine de Saint- Exupery 


心の時計に沿って書いてるから、
時間軸にあまり惑わされずに読んでね。


相手の期待に応える自分を目指すよりも、
同じ立ち位置から、
同じ方向を向いて、
信頼という土台のもと、
もっと自然に、
もっと自由に、
それぞれの自分らしさをお互いに尊び喜びながら、
一緒に進んでいくカタチにもシフトしたかったんだ。
愛というものの本質に、その方がより近い、と思ったの。
それは、
以前のカタチの否定ではなくて、
ふまえたうえでの、次なるステージへの進化。


でも、
最初に言ったように、
きっかけとなる出来事以降の流れのなか、
私が心を閉じたのも事実で、


きっと私は、
理性で情熱をなんとか支えようとしていたのだろうけど、
その情熱の炎は風前の灯で、


そんな状況のなか、
私の変化を良くないものとして捉えたあの人が、
歪んだ出方もしてくるから、
どうにもこうにも、
にっちもさっちも、いかなくなってしまったんだ。


それでも、
関係性において大切なものは、
間にある、目に見えないものだよね。
それを、どこまで信じきることができるか。


私たちは、
なんとか、その目に見えない大切なものを、
コトバにしたり、法にもしようとしてきた。
結婚の誓いに出てくる一節でも、
「良いときも、悪いときも」って言うように。


ちえ、
目に見えないものを信じる力、
その力を持って、私たちは生まれてくるのかな?
それとも、
愛する努力を重ねるなかで、身につけていくのかな?


一番奥の層、
霊性 (スピリチュアリティー) の本質だよね。


~~~~~~~~~~~~~
13.   最後の日
~~~~~~~~~~~~~

あの人にとってのタイミングが来たようで、
離婚届けにサインすることを求められて、


これで最後なんだな、と観念したとき、
サインをする前に勇気を出して、
あらためて私の胸のうちを、
あの人に伝えようとしたけれど、届かなかったよ。


どうしたかったとかではなくて、ただ伝えたかったんだ。
じゃないと、
色んなことがボタンの掛け違いのまま、終わりを迎えることになる。
あの人と私は、
見ている景色が全く異なっていて、
不調和な世界にいることを知ってたから、
そのズレを、たとえほんの少しだけでも正したかったんだ。


けれどやっぱり、
認識はズレたままで、
素直で素朴なコトバが届かなかったのは、すごく残念だったよ。


その時の「君は、」から続いた、
あの人の私のことを決めるジャッジのコトバで余計に悲しくなったんだけど、
なぜだか不思議と印象には残ったんだ。


そして、
この受け取った印象は、
後々に、私のなかで驚きをもたらすことになるんだ。
私たちは、ワンネスという世界を生きている、という確信のもとに。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
14. 摩訶不思議な、謎かけコトバ
    成仏させるには?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「 ボクが君なら、愛する人の幸せを自分のもののように喜ぶ。
  もしも、君がボクの幸せを喜べないのであれば、
  それは、本当の愛じゃない。君には愛がない。」

「 それはね、嫉妬って呼ぶんだよ、嫉妬。君の問題であって、ボクではないよ。」


離婚が成立し、
あの人が過去の人になっても、


あの人の言った言葉が、
まるでなにかの暗号かのように、
毎日、毎日、頭のなかに浮かんできてね。


毎日だよ、毎日。
気づくべき何かが、
そこにはあるとでも言わんばかりに。


確かに、
この言葉自体と、
その背後にあるものによって、
私は深く傷ついて、
悲しい涙と共に毎夜過ごした時期がある。


でも今度は、
そこから感情は抜き取られていて、
知覚の領域を活性化する必要性を迫られている感じなんだ。





なんなんだろう?

何が、あるんだろう?

考えても考えても、分からない。

.
.
.
.
.
.
.


離婚から3ヶ月たったあたりで、突然気づいたことがある。


え?


叶ってる、と。


私は、
この言葉を言われた後、
あの人の言葉に呼応する私を選んで、


“ 女の人と出かけるあの人を、心から喜べる私になろう。
  金輪際、一切嫉妬しない私になろう。” って、決心した、と言ったでしょ。


あの人は今、新たな女の人と一緒になっていて、
そこには、嫉妬していない私がいる。


息を呑んだよ。


思い描いた通りの現実と自分になっている、と。
こんな自分になるんだ、って自己像、
セルフイメージという、
未来の自分の姿への約束って、やっぱり叶うんだ、って。
そして、
その思い描いた自分にぴったりの現実が目の前にある、と。


想像の力ってすごい。
想像の力が、現実の創造を生み出すんだと、驚いたよ。



一体なんなんだ、これは、って。



苦しいことがいっぱいあって、
望んでいた状況になっているとは、夢にも思っていなかったけれど、意図してた、、、ん、だね。



この事実を私に知らせたくて、気づいて欲しくて、
毎日浮かんできてたんだ。
意識であるわたしから、肉体の私へのメッセージ。



こんなにも苦しいけれど、
これは、私の意図だった。。。


ちえ、 私は、意図する内容を間違えたの?
苦しむための意図?

待って。

何が私を苦しめているの?



思い描いていたようには展開しなかったこと、
子どもたちに、とても申し訳なく感じてる。


罪悪感。


罪悪?
私は、罪を犯したの?


罪悪、感。
そう感じているだけで、
実際には罪は犯していない、よね?



後悔の念は?

それは無い。
あぁしておけば良かった、という思いはない。



あぁ、頭のなかがぐちゃぐちゃ。
でも兎に角、
これでもう、例の言葉は成仏するんだと思ったのに、
間をあけることなく、
引き続き、
以前と同じように、毎日意識に上がってきて、
やっぱり謎解きの毎日が繰り返されたんだ。


暗号解読の日々。

.
.
.
.
.
.


封印された “ なにか “ が解除されたがっている感覚。

次の、決定的瞬間が訪れたのは、
またさらにそれから、2ヶ月ほど経った頃。



えっ?
ちょっと待って、、、、、、


え??


「 ボクが君なら、愛する人の幸せを自分のもののように喜ぶ。
  もしも、君がボクの幸せを喜べないのであれば、
  それは、本当の愛じゃない。君には愛がない。」

「  それはね、嫉妬って呼ぶんだよ、嫉妬。君の問題であって、ボクではないよ。」


ちえも、覚えてるでしょ。
15年以上も前の、日本でのあの出来事。
私、あの時、既に全く同じことを自分に問いかけていた。


私はあの人のことが大好きで、


“  愛する、ってなんだろう?
 愛する人が、別の人を愛しているのなら、
 私はその愛を尊ぶことが、
 私があの人を、本当に愛しているということなんじゃないんだろうか? “ 

“ 嫉妬している私は、自分のことしか考えていないんじゃないだろうか? “ と。


何度も何度も考えて、苦しみながら出した、あの時の答え。
愛するあの人のために、私が身を引くということ。
あの人と女の人がいるところに、私を存在させないことを選んだ。


勇気を出して、その決断をあの人に静かに伝えた。
一言で。
私の気持ち、私の人生、どうなっちゃうんだろう、って、
とてもとても、怖かったけど。
でも、その怖い気持ちは隠して伝えた。
だって、そうしないと、あの人に気を使わせてしまうことになる。


その後、
結局はあの人は戻ってくる流れにはなったけれど、
15年以上も前に、既に目指そうとしてた私だったんだ。


私、全然悪い人間なんかじゃない。
私、問題なんてない。
欠陥もない。
それどころか、
私のうちには、愛があるじゃないか。
それも、ずっーと前から息づいている。


15年以上もの時を経て、
あの時の過去の私を、現在の私が発見して、
今の私を救いあげてあげた瞬間、
私という存在の持つ輝く星のかけらに出会ったんだ。



平和と安堵。



体から、
スゥーと力が抜けて、
なんだか空っぽになった感じ。


空っぽ。
がらんどう。


伽藍堂。
伽藍堂って、伽藍神を祀ってある堂のことで、
伽藍神は、寺院を守護する神様だよ。


しばらくは、
伽藍堂で、
伽藍神と一緒に、
この ” わたし” という存在を、
このまま感じきってみようという気持ちになったんだ。
ごちゃごちゃと思考を入れることなく。


いつぶりだろう、こんな風に感じるの。
なんだか、頭ばっかりを使ってきた様か気がするよ。


• 17番目のカードThe Star / 星


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
15.  星を受け取った私
   恐れは、素晴らしい驚きに変容するのか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

星を受け取ってから、
少しずつだけど、
力が戻ってきて、
自分との信頼関係が取り戻せ始めたんだ。
けれど、
そうすることによって今度は、
ねじれの空間を通過することになったんだ。


歪みを正すとき、
必ず、ねじれを経験するんだね。
骨盤矯正とか背骨矯正とかみたい。
歪みを正すためにかかる負荷。
整体師が、ゴキッってやるやつのように。笑


私は別に悪い人間なんかじゃないと分かったとき、
あの人が言ったり、してきた事で、
それまでは、
私のせいだ、、、と捉えていたことに対して、
初めて、ひどいこと、という、ラベルを貼ってみた。
貼っていい、という許可を自分に出してみたんだ。


ひどいよね。。。
そう、ひどいよね。
そうだよ。
ひどい。


それまでは、自分の感覚よりも、あの人を大切にしてた。

.
.
.
.


悔しい。
悔しいんだよ。。。

.
.
.

それからしばらくの期間、
その気持ちを自分に
ただただ感じ切らせてあげていたら、


微妙なにかが切り替わったんだ。

悔しさを感じる時、
悔しいのは、

あの人へのような気がするけれど、

でも、
もう少し深いところに潜ると、
あの人に対してというより、


実のところ、
過去の自分への悔しさで、


それからしばらくの期間、
その気持ちを自分に、
ただただ感じ切らせてあげていたら、


なんとなく、



あの人でなくても、
全く同じことを私にしてくる別の人が、
私の人生に現れ、
私は同じ経験をしていたんじゃないだろうか?という気がしてきたんだ。


俯瞰して見てみると、
意識のなかで、
自分のことを裁く私が、裁いてくるあの人を生み出し、
私のせいで、と捉える私がいるから、
君のせいで、と人のせいにする、あの人を生み出していた構図が見えてくる。


あの人側から見ても同じ構造になっているはずで、
つまりは、合わせ鏡。
Synchronicity


あの人と私は、
意識の世界を通して現実世界で、
陰に陽に、完璧なまでに支えあっていたよう。
見事なまでの、対。
対象。
対になっている象さん。
象さんとは、
阿頼耶識から生まれてきた、現実世界の創造物。


ただ、
無意識なところが、悔しいんだよ。
そんな象さんを飼ったなんて、
気付けないよね。。。


あ、


だから、あの人が現れたんだ。
私の前に。



ねえ、ちえ、
私は一体どうして、こんな風に生きてきたんだろう?


深いところにある、言葉にできない恐れ。
大切な “ なにか ” が、奪われしまうという怖さ。
それを守るためには、こうするしかない、みたいな感覚。
すべては、大切な宝物を守るため、みたいな。

なんだろうなぁ。
小さい頃に、
大好きだったのは、私の場合、母親。


子育てをし始めてから、
忘れ去られていた記憶が、
子育てを通して思い出されたんだけど、
印象に残っている母親のコトバは、
幼い時に、
私の本質にラベルを貼ってくるようなものであったり、
否定してくるようなもので、
確かめられる事なく、
私がしていない事でたくさん怒られた
大人のなかに息づく、内なる傷ついた子ども、
子ども時代の記憶を追体験することになったんだよね。
インナーチャイルド、ってやつだよね。

でもね、どんな事を言われても、していないことで怒られても、
いつも母親の幸せを願い、自分に何ができるかを探して、してた。



子育て、って、
まるでスピリチュアルな学校にでも入学するようなもんだね。


あぁ、
私たちは、
大好きな愛する人と、心で繋がっていたい存在。
自然な丸ごとの存在として。


ふと気づく。
あの人に抱く感覚は、
母親へのものと似ていたんだな、と。


つながっていたい。
つながっていたい、と強く願う気持ちから、
つながりよりも自分を大切にしないといけない時にまで、
自分よりも相手を大切にしていた様だね。
逆にいうと、つながりを失う恐れになるのかな?



焦点が、自然に相手に行って、
自分のことをつい忘れてしまうエンパス気質。
何なんだろね、一体。

結婚生活での諸々のことを思うとき、
自分の女性性を封印していたからなんだろか?と思ったりもするんだ。
ここで言う女性性というのは、
女らしさとかではなくて、存在そのものを認める自然な力。
そのあり方が、
あの人を通して、
メタファーとして私の現実に現れていたのかな?とも。
うーん。
だってね、
エンパス気質だと、封印と言うよりも、
自分の自然な存在状態よりも相手のものと同調しちゃうんだよ。
あぁ、関係性において、問題が発生するのは極限において。


ギリシャ神話では、
デーモン( 悪魔 ) はダイモーンと呼ばれ、
神の影、
徳の影、の現れで、
キリスト教では、
悪魔は神を愛しすぎたから地獄に落とされた、と言われてる。


あの人がダイモーンを演じてくれたからこそ、
苦しみ抜いたけれど、
自分の宝物にまでたどり着けて、魂が解き放たれた。
全てを私に見せ、知らせるために現れた、あの人だったんだ。
気付け、と。
One’s better half として、ダイモーンという悪役までして。


私ね、
あの人と、
オーストラリアのシドニーのボタニックガーデンにある、
キューピット像のある噴水の前で、結婚式を挙げたんだ。

キューピットは、
ギリシャ神話では、エロース。
インドでは、愛の神はカーマと呼ばれ、
キューピットと同じく、弓矢を持ってて、
その弓矢は、
死をもたらす苦痛、解き放つもの、って名前が付いているんだよ。
驚くよね、私の体験、そのまんまでしょ。


なんて摩訶不思議な、私たちの暮らすワンネス宇宙。
実在の領域でも、すべてのものがひとつに結びついているんだね。


恐れに基づいて、私が私の現実を生み出していたというわけ。


驚異だよ。
Marvel



けれども、
たとえ始まりはそうであっても、
愛する、という旅のなかで、
私たちは私たちの完全さ、美しさに出会うんだね。



と言うことは、
欠けているからこその、
愛情を注ぎたい対象を見つけ、
努力してきた過去の全てがあってこその今なんだ。
そして、これら全ては、双方向性のもの。


宝石の網、と呼ばれる思想がインドにあるんだけれど、
この宇宙は、
すべてのものが、
シンフォニーのように響き合っていて、
お互いがお互いの宝石を反射し合っている、と。


私のアバターであった、あの人。
ありがとう。


ありがとう、は、有り難し、のこと。
有ることが難しいこと。
なかなかないこと。
稀なこと。
この出会いは、
確かにミラクルだったたしか言いようがないよね。


あの人との経験は、
わたしのうちに、鮮やかに息づいている。
これからもずっと。
だってそれは、永遠なるもの、だから。


スピリチュアルという一体性の世界側から出来事を見れば、
私は、世界から深く愛されていたんだなぁ、と実感するよ。


将来もしも、
あの人と出会うことがあるのなら、
生まれ変わった私として、

「はじめまして、以前 ” あなた” だったものです。」と挨拶してみようか? 笑


そのことに気づいたとき、
あの人への納得のいかない気持ちは、
自分の素直な気持ちを大切にしてあげられなかった、
自分への慈しみになり、


あの人との間で起こった出来事への拒絶感は、
望まないことを受け入れることを選んできた自分、
そんな自分を認め、受け入れる流れへと変わっていったんだ。


自分のことを損なわれた人間だと決めていたのは自分、
一番大切にすべき時に、
自分のことを大切にしてあげれていなかったこと、
そんな丸ごとの自分を認めたとき、
私という欠けた月が、
太い陰の満月🌕となり、
私の半身のシンボルだったあの人は、
役割を全うして、
私の深淵の水へと溶けていったんだ。
私が満月になるという🌕時をおなじくして。
さようなら。

• 満月の写真


あの人との全ての闇、
無意識の領域を活性化させることとなった様々な体験が、
気付きという光のなかに持ち込まれれたとき、
苦しみという塊も、一緒に溶けていったんだ。


美しい人々が生きる、この美しい世界。
その世界にいることを、
唯一許していなかった、私という存在。
ひとりだけ、世界の外に置いていた。
今、右手の親指と人差し指で、ひょいとつまんで、
そのちっぽけな私を、世界という丸のなかに置いてあげる。
戻してあげる。

タラ バックはこう言ってる。
「私たちが内なる戦争をやめたとき、
 かけがえのない瞬間、瞬間を思いっきり自由に生き始めます。」と。

Tara Bach says 
“ When we stop being at war with ourselves, 
  We are free to live fully every precious moment of our lives “ 


そして、内なる平和は、外部の平和へと自然なかたちで影響していく。

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16. 宝物は、心がつい反応してしまうところに
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私たちが暮らすこの世界には、
日常という現実で、
あちら側とつながっているポイントがある。
それは、心がつい反応してしまうポイント。
なぜ心が反応するのかと言えば、
その奥に見つけられるべき宝物が眠っているから。
反応という、そのレイヤーを進んでいくと、
宝物にたどり着く前に、恐れの核心を経験することになる。


古代から全ての神話は、
いつも私たちに問いかけ、誘ってくる。
恐れの核心へと。
恐れのその先の、向こう側の世界へ行こうよ、と。
魂が、ただいま、と言うところ。
おかえり、と迎えてくれるところ。
そこには、私たちの心が望む全てのものがある。


体験を通して、近づいていける。
体験でしか、近づけない。
経験そのものこそが、自分なんだ。


存在するもの、すべてに理由がある。
認めたくないような弱点のガラクタの部分にさえ。
目に見えるものの事だけを言っているのではなく、
森羅万象のすべてを超えて、心に宿るその想いさえ。


光が闇を支える、太陽の世界と、
闇が光を支える、月( 太陰 )の世界とが絶妙に入り混じる、この世界。


悲しみと喜び、
善と悪、
明確さと謎、
強みと弱み、
健康と病気、
苦と楽、
真実と偽り、
過去と未来、

すべては密接不可分。
片方の存在なくして、もう片方の存在もありえない相補の世界。


インドに、
ひび割れ壺の少年、という民話があるんだ。

水汲み少年は、
毎日、水を目一杯入れた前後ふたつの壺を背負って、
ご主人様のところまで運んでいたのだけれど、
ひとつの壺は、欠けていたんだ。
だから、到着する頃にはいつも、
中の水は半分になってしまっていて、
欠けた壺は自分のことを、
いつも少年に申し訳なく思っていて、
ある時、その気持ちを告げたんだ。
すると少年は、
壺を運ぶ途中に漏れ出る水のおかげで、
道端に蒔いた花のタネに水をやることができて、
ご主人様に、花を欠かしたことがないんだよ、
君が、ありのままじゃなかったら、
ご主人様は、花で美しく家を飾ることができなかったんだよ、と。


弱点だと思い込んでいるガラクタこそが、
世界に温かな光を投げかけ、
地球をより優しく、温かく、豊かな星にしてくれる元。

ガラクタを通すと、
より一層、
自分のことも、人のことも愛おしく感じるし、
ガラクタの経験は、
あぁ、この世界、この宇宙は、やっぱり優しかったんだ、
と、そのかけがえのなさに触れることができる。


月の陰の世界の奥底には宝物が眠っていて、
見つけ出されることを待っている。
発見されたとき、
太陽の陽の世界の強みはそのままに、
陰陽はひとつとなって、光を放つ。


大好きな、この美しい世界、という世界観。

それは、
二元論的な、
片側だけの美しい世界、ではなくて、
美しさと醜さ、
強さと弱さ、
どちらをも含むもの。


完璧でないこの自分を、
完全な存在だと認めたうえでの凹みと共に、
歪みのない凸の行動を現実でとる。
恐れの抑圧の雑音を超えて、前に進んでいける。
その結果として、
成長拡大を続ける宇宙そのものになる。
成長することを目的としないからこそ、
囚われから自由になった存在として、活動することが出来る。
だからこそ、
見せかけでないギフトが手元に届くという、パラドックスが起きる。
結果として現れることを、目的や目標にしてきた私たち。
全ては順番が逆だったんだ。


人生で起こること、
それを機会に、
失われた創造の力を、もう一度自分の手の中に取り戻しながら、
自然美そのものという、本来の姿へと帰っていくんだ。

心が反応してしまう出来事が起きたとき、
心が反応する出来事をもたらしているのも、
相手を通した意識体の自分であって、
自分のなかの不必要な観念に気づくためであったり、
その状況における適切な言葉や態度を引き出すためであったりと、
与えられた状況を機会に、
新しい自分であり、
そもそもそう在りたかった本来の自分に戻っていくんだ。



出来事に対して反応することでは、その力は発揮できないよ。
反応は、恐れや過去の習慣や表層の自分の欲求などが力の作用点だから。
心が反応する事に対して、反応ではなく応答するの。
反応は、思考や感情に乗っ取られている状態。
応答は、思考や感情よりも、自らのうちに眠る力とつながる状態。
心を開いた状態から、気付きが出してきた答え。


ドン• リチャード•リソとラス•ハドソン著の、
エニアグラムのなかで言うところの、

「性格構造の不純物を活用し、
 自分自身を超えた何かと協力しながら、
 それを金へと変えた。」


これこそが、古代から秘教で言われる錬金術と呼ばれるもの。
Alchemy 


今までのパターンが出そうになる自分に気づくの。
気づいた時点で、
もう既に過去の自分ではなく、
新しい目を持った自分として現実を見ている。
その知性。
あとは、勇気を出して、その行為に出る。


この行為は双方向のものなので、
相手側と影響の循環が起こるんだよ。
そう、自分だけでなく相手のためでもあるんだよ。


もちろん、
現実を知ると言うことは、
自分の限界を受け入れることも含むので、
無理なことは無理、
無理なときは無理、
無理を認めることも含まれるよ。



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17. この世とあの世の仕組み、暗号解読できました!
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ちえ、                                 
阿頼耶識に住む象さんが成仏したことによって、
カルマはダルマへと変容したんだ。
だから、これを書いている私がいるんだ。


わたしと私をつなぐ、
パイプのなかの不必要な詰まり、
心のなかのモヤモヤ、
無意識の自分に対する思い込み、という詰まりが取り除かれて、
本能と感情と思考が、仲良く手をつないで、
わたしという宇宙の秩序が回復されたと言うわけ。


ちなみに、
ダルマとは、
ヒンドゥー教において、宇宙の法と秩序を司る神様で、


宇宙と同調したら、
わたしが宇宙
わたしが秩序
わたしが法
わたしのリズムが、私という宇宙のリズム、となる。
かけがえのない、わたしという宇宙。


わたしは、世界
世界は、わたし

I’m the world 
The world is me 

一は全
全は一

One is All 
All is One 


インドの思想家のクリシュナムルティの言葉なら、

あなたは、世界であり、
世界は、あなたである。

You are the world 
The world is You 

あぁ、限りなくちっぽけでありながら、
とてつもなく大きな存在でもある、私たち。

ちえ、                        
生きるって、
絶え間ない、わたしと私とのダンス、私と世界とのダンス、なんだよ。


“ 舞を舞うこと “ 
神道には、教えというものが一切なくて、
ただただ自然と調和して生きていくこと、
その事を、舞を舞う、と表現し、それが、神ながらの道。
それほどに、自由なこの世界。
神社には、鏡が神さまとして祀られていて、
鏡に映るのは、心に抱いている想い。
そこからの動きである、舞という宇宙。


私がわたしに馴染んで、
わたしという存在の自然な状態と調和するとき、
魂が、ゆらぐ瞬間がおとずれる。
深淵の水を打ち、
わたしというエネルギーが、私に注ぎ込まれはじめる。
ゼロポイントフィールドにつながった私は、
わたしから、大切な ” なにか ” を掴んで浮上してくる。
それは、気質と本質が一体となって、何かを産みだす行為。
存在のうちなる感覚と外的活動との調和。
プラトンの「饗宴」で言われている、魂の出産。


物の世界だと、
増えすぎると、捨てない限りスペースが足りなくなってしまう。
だから、
こんまりメソッドとか断捨離とかの、
物質界でのエッセンスの見極め方メソッドがあるけれど、
心の世界の理は逆で、捨てないんだよ。
すべての体験、
そこで味わった気持ちや気づきを自分の中心につなげて、
昇華された経験として、引き出しのなかに大切に保管し続けるの。
それが、器量。
それは、この先、出会っていく人の心の機微に触れることを約束してくれる。
だって、未来に出会うその人は自分のアバター、化身だもんね。

そして、そこにこそ共鳴する宇宙が生まれるんだ。

• 20番目のカード Judgment / 天意


酸いも甘いも含めて、
あの人との間で起きたすべてのことを、
私は、私の魂は、経験したかったんだよね。
喜怒哀楽、それ以上のものたち。
愛する、ということの努力をしていくなかで、
心のひだに触れた様々な出来事。
これでよしとして、前に進んで行こうと思うよ。


絶望という切符を受け取ったとき、
打ちのめされて、
わざわざ裏面まで確認しなかったけれど、
裏面には、希望と印字されていたみたいだね。


ワンネスという世界のなか、
恐れという暗号を解いていくと、
背後から、
愛がカタチとなった宝物が顔を出してくる、というこの驚き。


「深淵に降っていくことにより、
 まさに私たちは人生の宝物を回復できる。
 つまずいた所に、あなたの宝がある。」

“ It is by going down into the abyss that 
  We recover the treasures of life.
  Where you stumble, there lies your treasure. “

ジョセフ キャンベル



「もしも、君がボクの幸せを喜べないのであれば、
 それは、本当の愛じゃない。君には愛がない。」

「それはね、嫉妬って呼ぶんだよ、嫉妬。君の問題であって、ボクではないよ。」


あの人のこの言葉は、
ワンネスという意識側のわたしが、
あの人の体を借りて言わせた言葉だったんだよ!
この言葉によって、私に本来の姿を思い出させ、気付かせるために。



離婚届にサインする時に、
勇気を出して伝えた言葉に対してあの人は、
とても静かな声で、
「君は、僕のことを悪い人間だと思っているけど、そうじゃない。」
と返してきたんだ。


ちなみにこの言葉は、
あの人から私に直接発せられた、
夫婦としての最後の言葉だったんだけど、この時、最終の確信を得たんだ。
だってね、
私、あの人のことを悪い人間だなんて思ったこと一度もなくて、
私が悪い人間だと思っていたのは、いつも私自身に対してだったから。
そう、この言葉も、意識としてのわたしの言葉が、
あの人の口から出て来ていたというわけ。
あの人は、私のための大切な役割を演じてくれていたというわけ。

私は悪い人間なんかじゃない、ということに気付くために。


ワンネスである意識体側のわたしが、「目を覚ませ!」って。
そして、私には何か問題があるという信念の様な思いから、完全に解かれたんだ。
人生最大の自分との仲直りだよ。

また、
ここまで来ると、もう笑うしかないよね。
だって、全てが自分だったんだから。
関わる人と共に創造してたなんてね。
だから、この私も関わる人の大切な役割を演じてた、ってことになる。


あの人は、私から一体何を受け取ったのだろうね。
暗号、きちんと解けているだろうか?  笑



そして、ここからがクライマックスなんだけど、
これらすべて、
何が、
最高の ” 実り “ へとつながる発見かと言うと、
人生から、
現実から、
いわゆるネガティブとよばれる出来事が、なくなるということ!
出来事自体は起こるよ。
でも、
感情が反応してしまうことを起こしているのは、
相手を通した、このじぶんでしょ。
ワンネス意識であるじぶんが、肉体の自分のために起こしてくれている。
目の前に現れているその相手は、
自分のために役を演じてくれている、意識というじぶんの化身。


意識( 心 ) 側から言うと、
そもそもそう在りたい本来の自分へと戻るため。
肉体( 現実 ) 側から言うと、
そうなりたい新しい自分になるため。
そこに必要なのは、
我慢でも、問題解決でも、相手を責める事でもなく、
なぜじぶんが、
この出来事を自分のために起こしているのか?という暗号を解くこと!


焦点を当てるのは、
今までの自分と、
本当はそうありたい、
まだ現実の世界では出せていない自分との間を繋ぐ大切な何か。


状況においての相応しい姿。
そこには、
過去への癒しと、より好ましい未来創造という” 実り” が同時に生まれる。


問題と捉えるネガティブな出来事は、
今という時間軸を中心に、
じぶんが世界と共に生み出した、
信頼を取り戻すための、自分へのギフトだったなんて❣️

以上が、
目に見えない霊界と目に見える物質界との驚くべき相関関係の発見だよ。
驚異としか言いようがないよね。


既に信頼そのものだったという、この宇宙、この世界のなか、
自分がじぶんに信頼で応えることを繰り返していけばいいってこと。



「楽観、霊性、必然を信じること、価値ある変化」
" Optimism, Spirituality, Belief in the necessity, Value of change "

レイチェル•ポラック



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18. 想いという名の舞を舞おう
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今これを読んでるあなた、
あなたの世界のなかに現れた、私という存在、
私の世界のなかに現れた、あなたという存在、
あなたがあなたのために、私を生み出し、私もあなたを生み出したんだよ。

驚愕すべきこの世とあの世の仕組み。
全ては意識というエネルギーから生み出され、現象の全ては縁起によるもの。
アバターたちの舞うワンネス宇宙。
ワンネス宇宙は、いつも私たちの信頼に応えてくれる。
これこそが、私たちの暮らす驚きに満ちた世界。

最後に、日本神話の真髄を。

面白し( おもしろし)、
手伸し( たのし)、
清明し( さやけし) の、
天晴れ( あっぱれ ) の心のあり方が、天の岩戸を開くのです。

面白しとは、心が明るくなって顔にパッと光がさす状態。
手伸しとは、
子どもが母親を見つけて安心の嬉しさから両手を伸ばしている様な安心の状態。
清明しとは、じぶんと自分自身が調和し、より純化した自然な存在状態。


まず、
意識のなかで自分を、天晴れの世界の住人にしてあげる。
全てはそこから。
そうすると、
心が躍り出して、細胞たちが歌を奏で始める。
魂に宿る大切な想い、
この身体を通して世界に送り出していこう、という歌を。
だって、私たちは本来 “ 想いそのもの ” なのだから。
その力が備わっているのだから。

あぁ、めでたき吉兆の世界


• 21番目のカード、The World / 世界

• 大アルカナ TheMajor Arcana

• 小アルカナ The Minor Arcana 

non, 
Magical Firebirds 
🕊🕊🕊🕊🕊🕊

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