go to 和歌山。エピソード13〜高野山・金剛峯寺の阿字観〜
高野山・金剛峯寺。こちらはもう、もう、もう、中庭がもーーーーー見事。写真いっぱい載せておきますね。
さてわたしは、瞑想体験に参加したい。
受付を済ませ、中庭を見たりお茶を飲んだりしながら11時を待った。
阿字観は阿字観道場と呼ばれる場所で行われるらしい。ここから先は関係者のみ。と貼られている場所の前に参加者がぞろぞろと現れた。おおよそ8名くらいだったと思う。わたしは今日、この人たちと阿字観の世界を旅するのだな。
阿字観ジャーニー∞。(俺は横山裕がいい。。)
指導してくださったのはおそらくわたしよりも若い男性のお坊さん。優しそうな人だった。(阿字観の作法諸々はきっとここに書かないほうがいいかなとおもう。間違ってたらいけないし、深く入ってしまって正しい作法で瞑想状態から覚めないと意識を失う人もいるらしい。)
指導と実践も含めて約1時間。阿字観を体験した。
高野山の空気を体に取り入れ、呼吸というものに真剣に取り組んだ1時間だった。きっとヨガやポップピラティスを普段からやっている人は呼吸に苦労はしないんだろう。わたしははじめての阿字観で、呼吸の大変さを知った。隣で夫は自分と対話をしていたらしい。
わたしはずっと、自分は瞑想とか向いてないと思っていた。ジッとしていても何にもならないというか、ジッとしてると飽きる。向いてる人は瞑想でこう、開眼したり、何か気づきを得たり、心が落ち着いたりするんだろうなーと。そんなわたしが瞑想に興味を持ったのは友人でありわたしが体を完全にお任せしている整体師のゆっきぃーさんからのひと言。
「静の力を知るのもいいと思うよ。」
だった。
せいのちから。
"静か"という力。
静かさにも力がある。のかーーーー!その一言が忘れられなかった。静の力。
わたしは足腰が強い。下半身がどっしりしていて精神的にも肉体的にも踏ん張りがきく方だ。生まれつきの体系でもあると思うけど、それを培う環境でもあった。野山が遊び場だった。学校が遠く、山の上にあった。そしてずっと運動部だった。移動はどこへでもチャリ。下半身が育つに決まっている。
仕事もそうだ。筋肉を使う力仕事。毎日何かをどこかへ運んだり一日中掃除している。力はこういうことだと思っていた。
だから、静かな方の力。っていうのを想像したこともなかった。
阿字観を体験して、その静かな方の力は、正直よくわからない。よくわからないけど、静かな場所。風や水や鳥や呼吸や衣擦れの音しかしないところで、ある形になり座り、姿勢と呼吸を整えて阿を唱える。この時間が気持ちいいと、心から感じた。阿字観をこの先もやりたい。何かを見つけるためとかじゃなく、阿字観をしている時間が心地よかった。ただそれだけを得た。
その後、帰宅してからゆっきぃーさんにその話をして、さらに気持ちが良くなった。誰にも話してなかったから、こう、話すことで阿字観が気となって流れた感じがした。そしてわたしは和歌山から帰ってからほぼ毎日、阿字観をしている。朝でも昼でも夜でも旅先でも。高野山から頂いた御作法書を持ち歩きできるところでやっている。心地いい。
こうして私の(私たち夫婦の)初めての瞑想体験会、"阿字観" がおわった。二人ともとても満たされた気持ちだった。満たされて、そして、とても空腹だった。
つづく。
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