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産土神様知りてぇーわ 其の肆

前回までの経緯はコチラ

自分や娘の産土神様調べてシリーズが終わると思いきや。ここからはこの後に起きた出来事を書きますね。

5月4日の夜に、急に産土神様を知りたくなり以下の条件(condition of shrine産土 ←テキトー)で自分の産土神様や娘の産土神様を探す地図旅行を楽しんでいて、

▪︎自分が生まれた場所、または母親が出産間近に住んでいた場所の最寄りの神社にお祀りされている神様。
▪︎明治以降に建てられた神社は対象外。(理由はちょっとわかんない。)
▪︎個人的に建てられた神社(私用地内に建てられたお稲荷さんなど。)も対象外。
▪︎産土神様は自分を守ってくれる守り神様。
▪︎産土神様をお参りしたり、自宅の神棚にお招きするとより強く守護していただける。
▪︎自分のルーツについて知る事ができる。

自分調べ。

そんなことをしていたら実家の母と話したくなりまして。わたしが生まれた家は母が生まれた家でもあり、その土地の昔を知ってる母に、「薬師神社に行ったことある?」と、話をしたくなりまして。夜だったものですからね、明日の朝にでも電話をしてみようと、その日は連絡せず眠ったわけです。

そして朝。

目が覚めた時、すでに頭の中で考えている事とかよくありません?目を覚ます前から頭の中で歌っていたり。その日は、なぜか実家の猫のことを考えていました。


実家の猫を思い出すことなんて年に一回もないくらいなのに。今実家で飼ってる猫たちは私は一緒に暮らしたことがないので全く他人と言っていいくらいの猫で。向こうもどうやらそう思っているみたいで。実家に行くとかなり嫌そうな顔しています、猫たち。そそくさと隠れて私たちが帰って行くまでちっとも出てきやしない。全く可愛げのない猫たち。母と姉、一緒に暮らしてる人間だけが唯一心を許せる人間らしく、そんな懐かない猫に愛着はわきません。

そんな猫のことを思い出し、「あの猫たちが死んだら、母はどうするだろう。」と、朝から縁起でもない事を考えていました。意図して考えたのではなく、夢現の狭間ですでに頭の中にソレはあり目が覚めてもその事を考えていた。というのが正しい表現です。

7時過ぎには体を起こし下に降りて行き、ウチの猫たち餌をやり、神棚に水を、ネパール土産の仏像にお線香を、そして洗濯機を回し、朝のルーティーンのあとに母に電話をしまして。母は電話に出ず。返ってきたLINEが

「今、猫の調子が悪くて話せない。詳しくは姉(私からみて一番上の姉)に聞いて」

との事。

すぐに一番上の姉に電話をして、実家の様子を聞いてみたところ。数日前か猫が調子悪いと。もう助からないから病院にも来なくていいと獣医さんに言われていると。まだ9歳の猫で、もともと内臓疾患があったみたいだけどそれに気が付かず手当が遅れてしまったかもしれないと母が自責していると。

まるまると太ってふてぶてしい顔つきのあの子が。そうか、もう長くないのか。。。と、なんとも残念な気持ちになったと同時に、

「虫の知らせってやつかな。」

と呟きました。姉も、「そうだな。」と言っていました。

だってね、滅多に思い出さない実家の猫を夢現で思い出し、死んだら、、、を考えていた。あの子なりに挨拶に来てくれたのかもしれないと。そして私は何より、猫がいなくなった時の母を心配していて。今までたくさんの猫を迎え、看取ってきた母。その度に体調を崩し立ち直れそうもないほど落ち込む母。そんな母が、昔は若かったからそれでも気力で生きてきた人だけど、もう70も過ぎた母が猫を亡くしたら相当落ち込んで寝込んでしまうんじゃないかと、命を削ってしまうのではないかと心配していたから。もしかしたら猫が、

「自分はもうすぐいなくなるから、母のことを頼むね。」

と、挨拶にきてくれたんじゃないかな。と、そんなふうに思ったんです。「お前に頼まれなくてもわかってるよww」と言いたくなりましたけどね、猫のくせにww

愛情たっぷり、甘やかされて毎日母の布団で抱かれて寝ていたのが用意に想像できます。母は、「猫はおともだち!」と言っていましたから。

どうなるかはわからないけど、病の猫や遺される方の猫、母や母と暮らしてる方の姉(わたしからしたら2番目の姉)が少しでも苦しみから解放されますように、と、もう一度神棚と仏像にお祈りしました。

オンコロコロセンダリマトウギソワカ

つづく。

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