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嫉妬に焼き尽くされろ。親愛なる宇多田ヒカル様、藤井風様へ。

さっき中学生の娘と話していたこと。

娘「自分より年下の子が活躍しているのをみるとツラい。」

その気持ち、よくわかる。これからとんでもなくおこがましい事を言うので、心臓の弱い人はペースメーカーをつけて欲しいし、パンツの替えも用意して欲しい。


わたしは、、、わたしは、、、宇多田ヒカルを聴くことができなかった。それは嫉妬しすぎていたから。宇多田ヒカルがセンセーショナルに世に出てきたとき、わたしは18歳。自分の在りたい姿をもった女の子に嫉妬に狂い、それ以来まともに聴くこともできなかった。

わたしは歌手になりたかったしミュージシャンになりたかったし何万人もの前で歌い歓声をあび世界に自分の顔と歌声を届けたかった。なんの努力もせずにそんな日が勝手に向こうからやってくることを願っていた。いつか誰かに自分の才能が見つけてもらえると思っていた。

そんなところに宇多田ヒカルが登場した。眩しくて見ていられなかった。18歳で初めて宇多田ヒカルの歌声を聞いてから40歳くらいまで、ちゃんと宇多田ヒカルを聴かずに生きてきた。自分の嫉妬に向き合うことができずに。

きっかけは「花束を君に」という曲だった。宇多田ヒカルがお母さんを亡くし作った曲。それを聴いた時にこの曲が歌いたいと思ってカラオケに行った。自分の宇多田ヒカルへの嫉妬がどうなったかはさておき、「花束を君に」という曲を好きになって宇多田ヒカルをちゃんと聴き始めた。今では一人カラオケにいき2時間ずっと宇多田ヒカルを歌うくらい大好きな存在だ。もう嫉妬も出てこない。わたしはもう歌手を目指してないし、何万人の前で歌うイメトレだけはするけど、そこを目指して苦しい人生を歩んではいない。


最近本格的に音楽を始めた娘が、嫉妬で狂いそうな存在がいるらしい。それが、


藤井風。

彼の中学生や高校生の時の演奏をYouTubeで見るたびに嫉妬で悶絶しているらしい。

娘「自分のなりたい姿をした人がいて、もうすぐ自分がその年齢になるって、、、これ、すごい苦しいね。」

と言っていた。娘はたぶん、藤井風に嫉妬しながら思うように進まない自分に対して腹立たしさもあるんだろう。

・藤井風のようになりたい
・いろんな楽器を手足のように奏でるようになりたい
・練習はきつい
・努力もきつい
・ゴロゴロもしていたい
・でも音楽が好きだ
・楽器が好きだ
・今すぐ藤井風のようになれたら

そんな思いを持っているんだろう。

論理的に諭すのは簡単だ。相手の気持ちを聞き出し、コレはこっち、ソレはそっち。アレはあっちで、


さあ、あなたはどうしたいの?

と、他者が言うのは簡単だ。そんなことなら言わなくたってわかってる。そんなことしか言えないなら、黙っていたほうがまだマシってもんである。

正も負も、右も左も、上も下も、全てが入り混じりどうしようもないのが人間だ。

娘のそのどうしようもない藤井風への憧れもわたしの宇多田ヒカルへの嫉妬も全て全て自分を作るパーツだ。必要なことだ。娘のもつ苦しさにわたしは美しさを感じた。命が輝いているとすら思ってしまった。どうか思う存分その今湧き上がる様々な悶絶を味わい尽くしてほしい。味わっても味わってもとめどなく溢れてきてもそれすらも味わって、その先に何があったか、いつか教えてほしい。

嫉妬や憧れに焼き尽くされて生きることに絶望しても、それすらもいつか教えてほしいと思ってしまった。

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