「多様な人との対話・協働を諦めない」今田ファーム/今田雅之さん 委員紹介⑩ Vol.51
『美唄の未来に夢を描く委員会』の10人目の委員インタビューは、今田雅之さんです。記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。
土と触れて育った
2個上の兄と3個下の妹の真ん中で、にこにこしている子供だったみたいです。自分が小さい頃は近くにも保育所があったため、そこに通っていました。小中学校はスクールバスで中心部まで通学していました。当時はキックベース(野球のサッカー版みたいな遊び)が流行っていて、近所の同世代の友だちと学校のグランドや友達の家の庭でよくやっていましたね。中でゲームをすることも好きでしたが、農業が忙しい時期には遊びたい気持ちを抑えて、代わりに畑を手伝うなんてこともありました。
今は小中学校が市内にそれぞれ2校ずつですが、その時は5〜8校くらいあったんじゃないかな。ちょうど美唄市の人口が3万人切るとかいう話があった頃でした。(最盛期は9万超で現在は2万弱)
北海道で農業を学ぶ
兄が農業以外の仕事をしているので、自然と農家を継ぐことを考えるようになり、隣町岩見沢市にある農業高校に進学をします。午前は教室で一般科目を学び、午後は畑に出て専門科目を学んでいました。ほとんどの生徒が農家の子どもでしたが、卒業のタイミングでは農業以外の道に進む人が大半だったのが意外でしたね。
自分は北海道本別町にある2年間の農業大学校に進みました。基本は畑作や野菜が中心で、1年目は作物ごとの知識を入れるのが中心。2年目は圃場を任せられて、自分たちで実際に実践してみるというカリキュラム。ただ育てるだけでなくて、経営のことも意識しながらだったので、大学生っぽい長期の夏休みはありませんでした(笑)。
海外で農業を学ぶ
そのまま美唄に戻るのも考えましたが、もう少し外のことも知りたいと思い、ニュージーランドへの1年間のワーキングホリデーを決めました。初めの1ヶ月は、語学学校に通いながらのホームステイ。残りの期間は、ファームステイをして1ヶ月〜1ヶ月半くらい毎に農家を転々としていました。向こうはキウイフルーツとか野菜がメインで、北海道とは作物もやり方も全然異なり、色々な人との出会いにも恵まれ、刺激をもらいましたね。また落ち着いたら、ニュージーランドに遊び行きたいなと思います。
美唄でUターン就農
そして日本に戻るタイミングで美唄に戻ってきました。自分の畑をやってみて、お金のことなど、初めてわかることがたくさんありました。JAびばいの青年部にも所属はしたものの、数年間は幽霊部員みたいな感じ。農家として試行錯誤を重なる中でお互いの知識や経験を学び合う大切さを痛感し、少しずつ集まりにも顔を出すようになっていきました。共同の企画を実施したりする中で一緒に何かをする面白さを感じ、、気づいたら青年部の部長になってましたね(笑)。
ジャンルや利害関係を超えた委員会
農業分野からも『美唄の未来に夢を描く委員会』に一人出して欲しいということで、自分が部長をしていたこともあり、声がかかったんだと思います。農業関係者だけでなく他のジャンルの方とも何かできたらと思っていたので、委員会に参加することにしました。
どこの組織でもそうですが、物事を決めるというのは大変なこと。委員会2回目に、郷土史料館行って美唄の歴史を改めて学び、議論の土台となる共通認識を作れたことは大切だったと思います。
各委員それぞれの生業がある中で、利害関係を超えてまち全体のことについてこれだけ真剣に話すことはありませんでした。できるかできないかは別にしても、美唄のために集まっていること自体すごく価値のあることだと思っています。
委員会では毎回のように円になり、時間いっぱいまであーだこーだ議論してきたことで、みんなが信じられる美唄ブランドができました。この想いが込もった作った美唄ブランドを、美唄のみなさんとシェアできるように使い続けていくことが大切だと思っています。
今秋に収穫祭を計画中
現在JAの青年部が中心となって、10月に新米を市民と味わうイベントを企画しています。当日は、キッチンカーを呼んでお米に合うおかずも用意しようと進めているので、ぜひ楽しみにしていてください!
→ Vol.5 委員紹介⑪ 尚栄高校/沼達藍音さん
社会が1ミリメートルでも良くなると信じることに使わせていただきます。一緒に今と未来を創っていけたら最高に嬉しいです!