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こんな私を見て、上げてって3↗︎。

前回は、こちら


今回は、転職活動編。
同期と「3年は頑張ろう!」と会うたびに話をしていた。ストレス反応なのか、呼吸をするだけで足の甲がすうっとする感覚は未だ治らず。

なぜ3年なのか?なぜ3年も耐えなくてはならないのか?
どこかからの風の噂で、3年働かないと転職できないらしいよ!石の上にも〜!的な何かがそうさせただけで、明確な根拠はないから恐ろしい。その時の自分は、今思うと世間知らず過ぎた。今もか。
でもでも、学生の時から夢見ていたなんらかの広告賞に対して、努力はしていた。後輩と宣伝会議賞は、何本2次まで通せるか競っていたし、朝日広告賞やよみこーに作品を提出したりもした。このへんは全滅だったけど。電○マン強過ぎ。

んでんで、無事3年耐え切って転職活動を開始するわけである。
今の広告会社には、ビジネスの基本をたたきこみまくってもらって、orzじゃなくめちゃくちゃ感謝はしている。当時ではなく今となっては。
東京のキラキラした景色とコンサバ系お姉さんさようなら。目の保養でした。無理でした、1000万は夢のまた夢でした。僕は田舎もんでした。田舎さいこー人いない・・・。

それはさておき、
転職先に希望することは、
・ある程度のサラリーを確保。
・休める。毎日終電は嫌だ。
・満員列車からの脱出
で探した。
クライアントに訪問するといい、会社から面接にいく始末。
面接後何事もなかったかの如く帰ってきて、終電まで仕事をしていたから恐ろしい。つらたん。

そんでそんで、無事同期との涙の別れをし、転職を果たした。彼も半年後、プリズンブレイクした。同期がブレイクを果たした時の飲み会で、死ぬまで飲んでて自分家の洗濯機の中にゲロをはいていた。すごい!!

職場は、めちゃくちゃクリーンで2度目の大学生がもどってきたかと錯覚するくらいだった。
週末は、バイクを乗り回し、友人と飲み会ざんまい。平日でも飲み会いけちゃうもん精神であった!もう、痛風になるギリギリライン。

しかしながら、3年目から雲行きが怪しくなってくる。プロジェクトやら何やらにアサインされまくって何と帰宅が深夜の2時になることもあった。なんでやねん!!!おかしいよ!!!!コンサル業界じゃあるまいし。
一度、プロジェクトを遂行すると仕事がどんどんふってくるように。これはおかしい。なんか、おかしいよ!!!!

そんな中、付き合って2年の彼女と結婚することになる。

仕事と家庭・・・・まぜるな危険。これが今思うと現状に陥っていく始まりだったのだろう。
結果論に過ぎない。
次回は、仕事で転落するまでをお届けしたい。

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