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こんな私を見て、上げてって↗️。

記事を書く人について

記事を書く人は、
プロフィールにある通り、「健康・家庭・仕事」の3本柱が虫食い状態で今でも倒れそうな状態。メンタルは限界。というか一回やってしまってます。

それなりの人生をこれまで送ってきたが、30代そこらで人生のどん底を味わっている。まちがいなく、生きてきた中で、人生の底、、、。
「職場の後輩には、こんな苦が重なる人いるんすね、、、。」と苦笑いされる始末。(いつも話を聞いてくれてありがとう。)

経歴

今は、こんな状態だが今までは「そこそこの人生」を送ってきた自負はある。以下、ざっくり経歴(こんな人がnote書いてます。)

・小学時代
家の近い、幼稚園時代からの親友がおり何をするのも一緒。4年から人の前にでることに快感を覚え、前にあるチャンス(目立つ場)があれば、自ら手上げをして、前に出るガキであった。TV出演2回!小さいボディで、目がくりくりだったため、「かわいい」とそこそこモテていたハズ。

・中学時代
親友のおかけで、新しいコミュニティにもすんなり参加でき、友人も多かった。サッカー部に所属し、サッカーボールを追いかける日々。コロコロコミックのグランダー武蔵の影響でバス釣りにハマる。
親友と中間テスト、期末テストを競い合ううちに気づけば成績が伸び続け、中学2年生は何とテストで1年間252人中、「1位」を獲得。神童と呼ばれる。周りからの見方がはっきり変わった瞬間で、結果を出すことでこんなにも人の目は変わるのかと実感した。
一度上がると周りの目が変わることを恐れ、落ちることが怖くなり、わずか14歳で、テスト3日前になるとプレッシャーで胃がキリキリし、常に勉強をしていないと落ち着かない状態に。もう何かに取り憑かれていたとしか考えられない。今思うと、恐ろしい。
しかしながら、トップの座は続くことなく、中学3年になり周りが本格的に勉強を始めると呆気なく、学年7位に転落。ここで何となく気が抜けたのが実感としてあった。
学級崩壊が進んでおり、昼休みは教室内で雪合戦。(そう雪国出身です。)雪片づけから授業が開始し、クラス内では、椅子に画鋲を仕掛けるのが横行。所謂、不良グループには属さないけど仲良い立ち位置で、小学校に目立つことが好きな自分に逆戻り。調子に乗りすぎて、先生からビンタ、ゲンコツは当たり前。今の時代だったらヤバいよな・・・・。最終的には、学力は落ち続け20番に。
結果、地元で進学校の偏差値65の高校受験に失敗・・・。前日緊張で寝れなかった。寝れなくなるのは、思えば人生で初だったなぁ。(この頃の自分は、後に睡眠導入剤で入眠するなんて想像つかなかっただろうなぁ。。。)今までの人生の中で一番号泣したといったも過言ではない。
今でも1シーン1シーンはっきり覚えている。自分史の中で初めての挫折。周りが受験終了し、携帯電話を買ってもらい未来に目を輝かせ残りの中学生活を遊んで過ごしている時に進路に迷う自分。高校が決まるまで死ぬほど長く感じた。クソみたいな、高校に進学する。

・高校時代
まったく記憶がない。地元の友達が、自転車で地元の高校に進学する中、朝6時に起きて親に電車代を負担させて、電車で高校に通う日々。(地方だからね)しかし、ここでできた友達は、以外にも今も深く付き合いがある。そいつも同じ高校受験に敗退し、似た境遇であった。
うん、ほんと高校時代の記憶ってない。駅から高校までの道すら覚えていない。合わなかったすべてが。

・大学時代
広告に興味があり、広告を学べる大学へ進学。偏差値は、中。もう勉強で努力できない体になっていた。集中力も皆無。しかしながら、高校と違いおもろい先輩や友人に恵まれる。個人で企業のロゴマークやポスター、フライヤー作成の仕事もこなし小遣いをもらう程度に。ダブルスクールなんてのもかましちゃったりして、イケイケ状態。広告批評の故天野先生から賞をもらったのはいい思い出。


ここまで書いて、やっぱり人との関わりが一番人生に影響を与えるのは間違い!!学生時代の友人マジで大事。社会に出てからだと、メリットデメリットがちらつきそこまで仲良くなりにくい。
そして、我ながら最初の人生の帰路である高校受験に失敗するという・・・。いや、都会なら何校か私立と合わせて併願できるが、地方は皆無。ほんと一発勝負。今でも、変えたい過去の一部分。たかがそれだけのことかもしれないが、自分のしこりは残ったまま。


※次回は、メンタルボコボコにやられる就職編から。

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