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【闘病生活⑥】~7/22→7/26~

こんにちは!TETUです!

この記事に目を通して頂いている皆さま、ありがとうございます。少しの時間だけお付き合いいただき、転院前後のことについて知って貰えると嬉しいです。

この記事では『闘病生活⑥』についてお話したいと思っております!よろしくお願いします!!
前回の続きの記事となりますので、まだ読んでいないという方は、こちらからお願いします!!

7月22日(木)~新薬投与・鶴見川散歩 ~

プレドニン60mg(4日目)
アザチオプリン50mg(1日目)

なかなか回復が見られないので、プレドニンの他にもう一つ免疫抑制剤を足すことになった。
アザチオプリンという免疫抑制剤だ。

この薬は主に移植手術を行った後、重度な拒絶反応に耐えるために作られている。自己免疫生肝炎の場合も効果的とされている、プレドニンでの回復が見られない場合に補助として使われる内服薬である。
今後は朝食後の飲み薬として使用することになった。

私は、なんでもいいので数値が下がってくれ!!という思いでその薬に縋った。

今日は体調も良く、久しぶりに外出した。
鶴見川が近くに流れているので河原を散歩した。
風に夏の川の匂いが乗り、心地よかった。

昨日までの後ろ向きだった気持ちが前向きへと徐々に変わっていった…。

7月23日(金)~ オリンピック開催・公園へ外出~

プレドニン60mg(5日目)
アザチオプリン50mg(2日目)

本日も外出で近くの公園へ。
学校からコロナウイルスのワクチン優先摂取のお知らせが届いたので校長先生が持ってきてくれた。
こんなに早めにワクチンを打つことができるのに病気にかかっているせいで打つことが出来ない…。残念だ…。
打てる日は来るのだろうかと、、少し不安になったが…優先摂取可能期間が結構長かったおかげもあり、安心した。

そして8時からオリンピック開会式!!
ほんと素晴らしかった。
最初のプロジェクションマッピングは選手達の想いが反映されていて感動。
血液が流れるシーンのダンサーの中には私が中学生の頃の友達が出ていてびっくりした!!
また公演を見にいきたいなぁ…と思いました笑。行きます笑

途中、選手団の入場の合間に金曜ロードショー『君の膵臓をたべたい』が始まる。
まさかこのタイミングでこの映画が流れるとは…何らかの運命を感じた。笑

自分だったら…
『君の肝臓をたべたい』かな笑?

この病気にかかった状態で見る時と普通の状態で見る時とは感情移入の度合いが天と地ほのど差であった。
主人公の気持ちが自分とリンクし、気持ちが伝わってくる。
本当にこのタイミングで見れて良かった。

そして、開会式が終了。
明日からオリンピックが始まる。

人生で忘れられない特別な日々になる気がする…。

7月24日(土)~転院のお話~

プレドニン60mg(6日目)
アザチオプリン50mg(3日目)

朝、知らない内科の先生から突然声を掛けられた。
消化器科なのに、なぜ内科の先生が声を掛けてきたのだろうと不思議に思ったが、話を聞いてみると…
以前に主治医から肝臓移植の話が出てきたからだった。

私が入院する「東部済生会病院」では移植手術を受けることが出来ない。(移植の体制が存在しない)
そして、もしも病状が悪化したときの対応もここでは難しいと言われてしまった。

それらの理由から、もっと最先端な病院へ行ったほうが良いとの判断だ…
そして、内科の先生がもともと居た病院でもある「慶應義塾大学病院」へと勧められた。
大学病院からは、珍しい自己免疫性肝炎ということもあり、ぜひ来て欲しいとの連絡が先方からもあったようだ。

…何となく複雑な気持ちだ。

新しいアザチオプリンの治療も始まったばかり。看護師さんや先生方との関係も親密になってきた。
何しろ地元でもあり、居心地がとても良いのだ。
一番の不安点は、珍しい病気だからといって自分自身の体を実験台として使って欲しくない。
大学病院となると、そのような考えが頭をよぎってしまう。

…単純に怖い。

『少し時間をください』と答えベッドへ戻った。

ふと、クラスの生徒のメッセージカードや部活動の生徒からのメッセージを見返した。
…みんなから頑張ってください!!待っています!!と言われているようで心が揺れ動いた。

怖い。逃げたい。目を背けたい。
と言う気持ちが徐々に”病気から逃げたくない””向き合っていきたい”という気持ちに変わっていった。

その日の夕方、内科の先生に『ぜひ、転院をお願いします』と伝えに行った。
体が勝手に動いていた。

そして、明後日転院することが決まった。

7月25日(日)~手紙・公園へ外出~

プレドニン60mg(7日目)

早速、大学病院の方から診療方法の改善がされた。
一昨日から使用していたアザチオプリンを使用しないことになった。
理由としては、遅効性なので効果が現れるまで時間がかかる。さらに、黄疸の数値が高い中使用すると消化管や膵臓、白血球などが影響を受けてしまうとのこと。
その他に回復後、白血病やリンパ腫、皮膚がんなどの悪性腫瘍の発現リスクが少し高まる可能性が上がるといった恐れがあるからだ。

急遽決まった明日の転院。
つまり、今日が東部病院で過ごす最後の1日となる。

Mさんが鶴3羽と手紙を持ってきてくれた。日程調節してくれてありがとう!!
そしてこの日、私には2つやることがあった。

1つ目は私が運営しているサークルについてだ。
病気になって全然参加できない日が続き、沢山の方へご迷惑を掛けてしまった。
なので、運営メンバーの人と活動休止の話をした。
素直に受け入れてくれて、お互い素直に話すことが出来たので地元を離れる前にスッキリできた。
来月の15日で活動休止することに…。

2つ目は関わってくれた医師や看護師の方へメッセージを残すこと。
6月下旬からから7月下旬まで、私に現状を偽りなくきちんと伝え、できる限りの私のわがままを許してくれた主治医へ。熱がある時から生活のサポートを親身にしてくれた看護師さんへ。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にこの病院は暖かかったです。約一ヶ月の間、本当にありがとうございました。

転院して病気が良くなったら必ず報告にきます!!

手紙の他にメッセージカードも作っていたので、全てを書き終えることが出来ませんでした。笑
明日の朝、書き終えてから転院しようと決めました。

7月26日(月)~転院・現状報告~

プレドニン60mg(8日目)

転院の日がとうとうやってきた。
いつも通りの朝、いつも通りのルーティーンをこなし、昨日残していたメッセージカードの作成に取りかかった。
何とか書き終え、朝9時頃に主治医と看護師さんへ手紙を渡し、東部病院を去った。

父の車に乗り、10時頃に信濃町にある「慶應義塾大学病院」へと到着。
新しい主治医から現状の話を受けることになった。

自己免疫性肝炎によりこれ以上肝臓の数値が上がっていくと、急性肝不全や肝硬変、肝臓がんへと状況が悪化してしまう。
状況が悪化すると体に管を通し、透析の治療が始まり肝臓のドナー待ちとなってしまう。

つまり肝臓移植だ。

現在はその狭間にいるという…。
急に現実を私と両親が突きつけられる。

母は涙ぐみながら私の肝臓の一部をあげると言ってくれた。…涙がこぼれそうになった。ありがとう。

最悪の状態にならないように全力を尽くしてくれると主治医は言ってくれた。
その言葉に心が救われた。この人なら安心できると直感的に思えたのだ。

そして、新薬で対応するとの説明があった。
それがシクロスポリン(サンディミュン)という薬である。この薬は保険対象外でまだ実証例が少ない。
しかし先生は何度もこの薬で命を救ってきたらしい!!
不安もあったが…明日から投与することを決めた。
…あとは回復を願うばかりである。

説明を終え、私の部屋に行くと窓から国立競技場が見える!!
オリンピックの肌感を直近で感じることができると思い、心が踊った!!
PCR検査の結果が分かるまでの個室生活なので思いっきり満喫しようと思いました。笑

そして夜からは、検査ラッシュが始まった。
東部病院に入院した際と同じ項目で慣れていて良かった。しかし、相変わらず造影CTはしんどい。

検査も終わり、あっという間に夜に…。
とても疲れたので、この日は少し早くベットに横たわった。明日からも頑張ろう。

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。次回は、共病文庫にて『闘病生活⑦』についてお話していきます。

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今後ともよろしくお願いいたします!!

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