まえたけ

まあ何かと厨二病なアラフィフ経営者。 人生50年、 noteには自分の経験とか何やらと…

まえたけ

まあ何かと厨二病なアラフィフ経営者。 人生50年、 noteには自分の経験とか何やらとかを書き留めておこうかと。

最近の記事

American Life③

 アメリカに少々住んでいたという話をすると、よく聞かれるのがどこの大学に留学されていたのですか?と。「とんでもないですよ、ただの語学学校ですよ!」と返す。大学に入ってすぐにアメリカに行こう!と決めて、親に相談をした。通っていた大学が2年から3年にあがる際に、キャンパスが変わるので、そこがチャンスだと思っていた。1年生、2年生と厚木のインターチェンジ近くの運送屋でアルバイトをずっとしていたので、そこの会社の方々とも仲良くなり、家具や家電などの荷物を安く預かってもらえるっていうの

    • やりたいこと

       ある尊敬する経営者の方が言ってた。「人と比較をしないこと」「やりたいことを持ち続けること」が大切って。すげーシンプルだけど、意外と難しいことだったりする。人と比較をしないことっていうのは今日はひとまず置いておいて、「やりたいことを持ち続ける」ってやつを少し考えてみた。  たとえば仕事。仕事ってなかなかやりたいことを仕事にすることは難しいけれど、仕事をやりたいことにするのはそんなに難しいことではない。事実、私は今の仕事、やりたいことだったか?って聞かれると、別にそうでもない

      • 固有の用

         自分がどんな使命を持って生まれて、自分がどんな宿命の中で、自分がどんな運命を切り拓いて生きていくのか。  なんてことを考えた時に、たくさんの「わかれ道(分岐点)」があったなぁと思う。50を目前にして、なんとなくそんな「わかれ道」の話を書き留めておきたいなと思ったのが、このnoteを書き始めたきっかけ。人生50年だもの。  小学生の頃、伝記が好きだった。図書館にあった大概の著名人の伝記と日本、世界の歴史は読んだ気がする。思えば一番本を読んだ時期だったかもしれない。今は読み

        • 文房具屋さんというおしごと③

           父が一番最初に言ったひと言は今でも忘れない。 「今日から仕事場では、社長と社員。親子の縁は切る。たとえどんな場合でも敬語を使いなさい。私の命令は絶対だ。」  その通りだと思ったし、当たり前だと思っていた。ただ、意外と社員さんたちはそうは思わないもので、社長の息子が鳴り物入りで入ってきたぞという空気感はハンパなかった。父も父で、私に「仕事は自分で探してください。」というスタンスで、法人営業をするのか、店舗のスタッフとして働くのかの指示もなく、ただただ数日が過ぎていったのを覚

        American Life③

          文房具屋さんというおしごと②

           さて、父の会社はというと、祖父が戦後に大陸から引き上げてきて、当時梅田1丁目が闇市だった頃に、祖父の姉の旦那さんがやっていた小さな商店を法人化したのがきっかけだと聞いている。もちろん小さな頃から文房具屋のせがれという認識はあったし、店にも事務所にも頻繁にではないが顔を出したことはあったけれど、実際の業務の内容などはほとんど知識がなかった。  当時は祖父、祖母、父、叔父、叔母、そして法人営業の営業さんが6人、2店舗の社員、スタッフが総勢10名強いたので、そこそこ大きな所帯だ

          文房具屋さんというおしごと②

          文房具屋さんというおしごと①

           2003年の5月。私は父親が経営する文房具屋さんに就職をした。  2002年の暮れに、父は体調を崩して緊急入院をし、正月を自宅で過ごせるかどうかという状態となり、結果なんとか年末には退院はできたものの、一時退院をして、給料や支払いに出掛けるなど、父が居ないと回らない会社ってどうなんだろうなと、若輩ながらに偉そうに考えた記憶がある。  年が明けて、新年会だったかなんかの帰り、当時勤めていた会社の上司と北新地の天下一品のこってりラーメンをすすりながら、年末の父の話をしたとこ

          文房具屋さんというおしごと①

          American Life②

          ヴェルノンは元郵便局員で、私がボストンに滞在していた時は、ダウンタウンで小さな雑貨屋を経営していた。毎朝4時に起きて、5時前には家を出て仕事に向かい、夕方は18時には家に帰ってくるといった生活をしていた。 ホームステイの2日目、着いたのが土曜日だったので、日曜日。前の晩にヴェルノンから、ランニングは好きか?と聞かれて、はいと答えたので、早朝に叩き起こされて、家から徒歩で3分くらいのところにあった、フランクリンパークにランニングに出かけた。フランクリンパークは想像以上に大きく

          American Life②

          私が万年筆を使うわけ

           万年筆というとどこかお堅いというか、面倒くさい道具であると思われがちだ。実際のところ、お堅いし面倒くさい。では何故万年筆をつかうのだろう。  時計や鞄、車や楽器などと同じように、万年筆という道具にもピンからキリまである。実際に「万年筆好き」と仰られる方々の中には、ハイブランド、ステイタス的に嗜好品、コレクションとしての目的をメインにしておられる方々も多い。また、万年筆が好きではなくとも、胸ポケットにモンブランの万年筆を忍ばせておられる方々もいる。一方で、書くことが好きでブ

          私が万年筆を使うわけ

          稲盛和夫塾長

          盛和塾という経営塾と出会うずっと前に 「生き方」 という本に出会った。 まぁなんていうか、よくいう表現であれば、 頭をカナヅチで殴られたような感じ? を抱いたのを覚えている。 その後何年かして盛和塾と出会った。 当時の僕はまだ専務取締役で 数字面は勿論だが、 それよりも社員さんたちとの  人間関係にたくさん悩んでいた。 なんなら父親との人間関係も。 未熟な経営者あるあるかもしれないけれど、 ほんと今よりも、 もっともっと悩みながら走ってた気がする。 そんな中で、ある方

          稲盛和夫塾長

          American Life①

          この夏、我が家にホームステイの子がやってきた。 はじめての体験。 うさぎの寝床みたいなお家だから、 大丈夫かなぁって思ったけど、 楽しんでくれているみたい。 年頃の娘さん。 妻とも娘とも息子とも仲良くしてくれてて。 本当に嬉しい。 ということで25年前の自分のホームステイ物語を 思い出して書き留めておこうと思う。 ちょうど25年前。 僕はアメリカに半年ちょっとほど遊学しに行ってた。 1997年4月から11月。 アメリカはボストン。 ホームステイかドミトリーかを選べて、

          American Life①

          文房具とわたし①

          僕は文房具がそんなに好きでもない。 でも、文房具を使うことは大好きだ。 文房具って罪のない というか、 めっちゃ良い奴だ。 ひと桁台の価格から ゼロがたくさん付く品まで。 おそらくこんなに幅のあって、 ささやかな投資で 多くの感動やモチベーションを 上げることのできるカテゴリーの 道具やサービスはこの世に 文房具以外ないのではないかと思う。 僕は社会に出てすぐ勤めた会社で 営業をしていた。 んー、どうだろう。 担当をもらって初月の売上予算は 2000万弱だっただろうか。

          文房具とわたし①

          "まえたけ"って、人生の中であんまりいわれたことないんだけど、高校の時の古文の北原先生に名付けられた。それが最初。今後誰かに呼ばれることはないかも。www

          "まえたけ"って、人生の中であんまりいわれたことないんだけど、高校の時の古文の北原先生に名付けられた。それが最初。今後誰かに呼ばれることはないかも。www