American Life②

ヴェルノンは元郵便局員で、私がボストンに滞在していた時は、ダウンタウンで小さな雑貨屋を経営していた。毎朝4時に起きて、5時前には家を出て仕事に向かい、夕方は18時には家に帰ってくるといった生活をしていた。

ホームステイの2日目、着いたのが土曜日だったので、日曜日。前の晩にヴェルノンから、ランニングは好きか?と聞かれて、はいと答えたので、早朝に叩き起こされて、家から徒歩で3分くらいのところにあった、フランクリンパークにランニングに出かけた。フランクリンパークは想像以上に大きく、パブリックのゴルフコースや動物園などもあった。両方とも一度も行ってないけど。(笑)

そして、帰ってきてからは朝食を作り、洗濯の仕方を教えてもらい、午後からは学校までのみちのりを教えてもらった。ジョーンズ家では基本、炊事洗濯などの家事は全てヴェルノンがやっていた。奥さんのナタリーはテレビを見ることと食べることがメインだったように思う。あ、ナタリーも仕事はしていた。学校の先生だったか何か。記憶が定かじゃない。

住んでいたジャマイカプレインという地域はヒスパニック系と黒人が多く、おそらくあまり裕福なエリアではなかったように思う。最初の授業の時に、どこに住んでるの?って聞かれて、ジャマイカプレインと答えたら、えー、そうなの?って反応をされ、えっ?そんなところなの?って思ったのを覚えている。確かに、8ヶ月ほど住んでいたけど、2度ほど怖い目にあったな。(笑)1度目はタバコを要求されたところからの、お金をとられた。2度目はパーティーに行くのに夕方駅までの道を歩いていると、いいお尻してるよねー。どこ行くの?と。これから友達とパーティーだよって答えると、俺とパーティーしようよ!って。(笑)まぁ、アメリカあるあるだなと思う。生きていることに感謝します。

最寄り駅は地下鉄のオレンジラインという路線のグリーンストリートステーションという駅で、学校の最寄りのバックベイステーションまでは7つほど駅があったかな。地下鉄自体は映画でみるようなダーティーなイメージはなかったように思う。電車の中で危険な目にあったことはなかったかな。それでもアジア系の人は少なかったから、目立っていたようにも思う。

バックベイに着いたら、そこはもう都市だった。そもそも空港でピックアップされて、そのままホストの家に連れて行かれたので、ここで初めて、ああ、ボストンに来たんだって感じたような気がする。最寄りだったけれど、バックベイから学校までは7、8分ほど歩いた気がする。コモンウェルスアヴェニューにあったんだったかな。とても古い建物の集まる地域で、ああ、ボストンだって思った。

どんどん忘れていくけれど、アメリカから帰る時に、ヴェルノンに言われたこと、「アメリカの記録を必ず綴っておきな。」を27年経った今、ようやく始めることになるとはね。どこまで楽しかった日々を思い出せるか。死ぬまでには書き終えたいもんだね。

(つづく)

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