私が万年筆を使うわけ
万年筆というとどこかお堅いというか、面倒くさい道具であると思われがちだ。実際のところ、お堅いし面倒くさい。では何故万年筆をつかうのだろう。
時計や鞄、車や楽器などと同じように、万年筆という道具にもピンからキリまである。実際に「万年筆好き」と仰られる方々の中には、ハイブランド、ステイタス的に嗜好品、コレクションとしての目的をメインにしておられる方々も多い。また、万年筆が好きではなくとも、胸ポケットにモンブランの万年筆を忍ばせておられる方々もいる。一方で、書くことが好きでブランドに拘らず、万年筆を何本も集めておられる方々もいる。万年筆という道具は人を選ばない。
私はというと、今は文房具屋の主人であるし、いつからか周りに万年筆のお師匠さんみたいな人たちがわんさと居るようになったけれど、実際に万年筆は、この世界に入って数年たった頃、それこそ20年ほど前に、はじめてセーラー万年筆社のハイエースという1本千円の万年筆を買ったのが万年筆との出会いだ。そのあとはオート社のタッシェやら、ラミー社のサファリやら、せいぜい数千円の万年筆ばかり使っていた。つい10数年ほど前まで1万円の万年筆を購入したことはなかった。書ければいい、そんな風に思っていた。
そんな1万円以下の万年筆を使っていた時代、書き味を意識をしたことがなかったな。ただし黒々としたインクが好きだったので、ハイエースに同じくセーラー万年筆社の極黒という顔料インクを入れて使っていた時、やたらとドライアップして苛立ちを感じていたのは今でも覚えている。結局数年使って、いつからか使わなくなった。
そんな私が再び万年筆に興味を持ち始めたのは、つい10年くらい前の話。どちらかというと、自分が作ったインクを格好良く使いたい、毎日使いたいと思ったからだ。10数年前に、セーラー万年筆のインクブレンダー、石丸治さんが私が表現したかった濃紺のインクをブレンドしてくださった。後の「梅田夜青」だ。まさか自分が作って欲しい濃紺のインクが製品として生まれてくるとは思わず。とても嬉しかったのを覚えている。それまではメーカーのインクの中から、自分の好みのインクを選んで使っていたが、その後、第何次かわからないが、インクブームがやってくる中で、当店も所謂ご当地インクに手を出し始めた。いやらしい話だが、オリジナル商品を作る上で、大量のロットとコストがかかる文房具の世界で、非常に効率よくオリジナリティを出せるインクは、マネジメント的にみても魅力的だった。
2014年のお店の移転にともなって、「梅田夜青」「堂島緑金」という伝説のインクを作り、以降、毎年2色ずつ「中之島春緑」「天満桜路」「北新地紅夜」「堀川翡翠」「露天紫雨」「曽根崎橙燈」「靭夜叉五倍子」「立売堀墨銀」と大阪キタエリアをモチーフに色を生み出していった。そんな中で、万年筆も作りたいという思いが膨らみ、2017年に自分ちの初めての高額な万年筆を作った。セーラー万年筆社のブラックラスターをベースとしたオリジナルカラーの万年筆、「徳兵衛」だ。お初天神の物語にかこつけて名付けた徳兵衛。この頃から爆発的に万年筆、高額な万年筆への興味が最沸騰した。
とはいうものの、そんなにお小遣いもない中で、所謂マニアの方々と同じ土俵に上がれるはずもなく、ただただ自分の手の届く価格の万年筆を買い集めるという世界に生きていた。再沸してよかったなと思うことは、以前より断然、万年筆を楽しめるようになったということ。書くこともそうだし、メンテナンスもそうだし、とにかく万年筆を持ち歩くこと、使うことが楽しくなった。ステイタスで持つような超高額な万年筆は無理だけど、常に相棒のようにそばに持ち続ける万年筆はどこか愛らしい。
そして、今だから言えることは、万年筆は思考を止めない道具だと良く話をする。もちろんインクが切れたら補充しなければならないし、色を変えるには洗浄も必要だけれど、インクが入っている限り、スラスラと思考が言葉に、文字に落ちてくる。万年筆はそんな道具だと私は思う。鉛筆にもボールペンにもサインペンにもない何かが万年筆には宿っている。
なので、私は万年筆を使う。
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