文房具屋さんというおしごと③

 父が一番最初に言ったひと言は今でも忘れない。
「今日から仕事場では、社長と社員。親子の縁は切る。たとえどんな場合でも敬語を使いなさい。私の命令は絶対だ。」

 その通りだと思ったし、当たり前だと思っていた。ただ、意外と社員さんたちはそうは思わないもので、社長の息子が鳴り物入りで入ってきたぞという空気感はハンパなかった。父も父で、私に「仕事は自分で探してください。」というスタンスで、法人営業をするのか、店舗のスタッフとして働くのかの指示もなく、ただただ数日が過ぎていったのを覚えている。

 幸い前職の経験からIT関連やホームページ関係には少し知識があったので、社内のシステムの見直しだとかホームページの作成、ネットショップの構築などから仕事を始め、昼間は前職時代に知り合った客先の中でも仲の良かった人をあてにして、営業活動を始め、夜はシステムだとかホームページなどインフラの整備に時間を費やした。どちらかというと最初の4年くらいは全くといっていいほどお店の運営には関わらず、法人営業部隊の人間たちと過ごす時間が長かったと思う。

 特に叔父に関しては、酒飲みだったということもあり、仕事が終わってから、大阪駅前第3ビルの地下にある叔父の行きつけのカフェバーに、よく連れて行かれたのを覚えている。叔父はお酒とゴルフで営業を取ってくる古いタイプの人間で、当時、某大手住宅メーカーのグループ企業に出向のような形で入り込んでいたので、法人営業の現状を知るのにはもってこいの人だったが、如何せん部下からの信頼がなく、今思うと私を取り込みたかったのだろうなと思うが、後から聞いた話だと、「たけしが帰って来なければ、ワシが社長になれたのに。。。」と言っていたそうだ。笑い話だ。祖父や祖母はともかくとして、叔父と叔母に関しては、当時の私からすると「なんでここにいてはるんやろ?」という素朴な疑問もあったほどだ。

 そうそう、大学をでて就職した会社では、もちろん電話の取り方の研修などもあり、学生あがりで小生意気な若者たちは、面倒臭いなあと思いながらもマナー研修を受け、それが当たり前のビジネスマナーとして身につけていた。なので、この会社の電話の取り方には最初驚いた。「はーい!〇〇でーす!」っておい。。。いっぱしに梅田のど真ん中に事務所を構えて、営業活動をしているとは思えないほど個人商店感半端なかった。今思い出しても笑える。

 入社してすぐの頃は法人営業の営業マンは2人、別事業として半出向社員のような形で2人いた。本社の事務所にいた営業マンは二人とも紙製品のメーカーからの転職組だった。ひとりは体育会系、狭山の黒豹だったかな?もうひとりも自転車乗りで、体育会系ではあったが、前述の黒豹とは真逆のタイプだった。狭山の黒豹は、朝7時頃には既に事務所にきて、夕方6時にはきっちり帰るという典型的な自由人型営業マン、もうひとりの自転車乗りは9時前に来て、夜10時まで仕事をするタイプだった。そのふたりと色々と話をするために、朝7時に出社して、夜10時に仕事を終えるという生活は、20年経った今でもベースになっているのかもしれない。まあ、話をする相手は今はもういないが。

 そんな毎日を過ごしながら、少しずつ法人営業のノウハウを貯めて行った。あ、そうだ。法人営業というのはわかりやすくするために使ってきたが、本当は我々の業界では「納品屋」というので、以後は納品屋ということにする。

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