毒の付いた鎖(4)

そういうわけで、あと1話です。


 明らかに驚いているのが分かる。彼は心からウソをつけない類の男なのだ。だからこそ、彼に話す価値があった。そんなことを思う。だが、キムラが持つ魅力はそこまでだと思った。それ以上は無く、そしてこれ以上の広がりはないとも思った。そもそも彼が中心に立って何かしら活動をする事はきっとないということも感じたからだ。確かに彼の言う通りなのだ。誰もぼくの言葉に耳を傾けるはずがない。何よりもこれは裏付けのないぼくのただの仮説にしか過ぎない。テレビでやっている都市伝説の番組と、何も違いはない。
「誰も君の意見に耳を傾けないなら、なぜ私に話した?」
 キムラの問いは極めてまっとうなものだとぼくは思う。
「何でですかね? 多分、誰かに話しておきたかったんですよ」
「それがたまたま、俺だったというのか?」
「まあ、そうなりますね」
「そんな気まぐれに応じると?」
「まあ、尋問する人だし、話くらいは聴いてくれるかなって」
 そのあっけなさに、キムラはいささかあきれているようにも思えた。それもそうだ。彼は一人で大きな動きを作り出すことはできないし、そうした心臓にもなりえない。それはぼくとて同じことだ。そもそもの理由が単純すぎるのだ。人と人とのつながりを断ち切り、争いを起こすために仕向けられていた。ぼくが結論付けた単純すぎる考察、そしてぼくがワクチンプログラムの未登録者であるということ。一見すると繋がらないように見えるけれど、ぼくがワクチン接種をしなかったのもまた、シンプルだった。
「だが、それがワクチン接種を君が今も拒んでいる理由とは繋がらない。結局、何故なんだ?」
「ああ、それもシンプルな話ですよ」
「どうして?」
「ぼく、注射嫌いなんで」
 キムラの顔が一瞬理解できないという顔をしてから、何度か瞬きをした。それからようやく理解したかのような顔をして、だが唖然としているのかあっけにとられたのか。キムラの感情がそのまま言葉としてこぼれた。
「……は?」
「だから、注射嫌いなんですよ。痛いじゃないですか」
「そんなことで接種拒否したのか?」
「そうですよ」
「それで捕まって、バカバカしいと思わなかったのか?」
「でも結局人間の動機って、そういうところにあるんじゃないですかね」
 納得が行かない表情をしたまま、キムラはぼくを眺めていた。それはそうだ。今までこんな馬鹿げた理由で捕まった人間なんていないだろうから。
「ぼくはそう思いますよ」
「だとしても、君の取った行動は馬鹿げている」
「そうでしょうね。それは分かります」
「確信犯だったと? だとするなら、何故だ」
「うーん、ぼくが信じていることに殉じたかったからかな」
「殉じる?」
「そう、宗教みたいなもんですよ」
 キムラは理解が追いつかないのか、それとも言葉を失ったのか。
「結局、人は自分が正しいと思っている事だけを信じて生きていくしかないんですよ」
「……どういうことだ」
「ぼくのここまでの話は本当かもしれないし、嘘かもしれない。でも、ぼくは真実だと思っている。あのウイルスが茶番と信じている人にはそれが真実で、ウイルスにおびえている人もまた同じようにそれが真実なんですよ。つまり、その真実を信じていないと人は生きられないんです」
「そして信じたものが注射が嫌いだからという理由で、ワクチンプログラムに登録されず捕まった。まるで反乱軍と同じように」
「そういうことですね」
 瞬間的に、世界がぐるりと廻る感覚を覚えた。どうやら、徐々に効いてきたらしい。

 あきれたというよりも、言葉にならなかった。深く考察したかと思ったら、ワクチンプログラム未登録者のままだった理由は「ただ注射が嫌いだったから」。ただの子供なのか、底知れない化け物なのか。あまりに単純すぎる動機を知って、それでも彼の調書を作るほか無かった。だが、今日はもう遅いから打ち切ることにしよう。そう決めて、私は口を開いた。
「どんな理由であれ、明日からはより厳しい聴取が待っている。首都軍として反乱軍の分子とみなされる者は裁かなければならない」
 その瞬間だった。彼が笑ってこう言ったのだ。
「その心配はないですよ」

 随分おかしなことを言うもんだ、そう思った。あれだけ厳重に身体チェックをしたくせに、見抜けなかったのかと笑ってしまいそうになる。だが、それはあとででいい。その時が来たのだから。息が切れる。まるで100メートルを全力で走ったかのように。体中がしびれる。意思に反して体が動かなくなる。大きな音を立ててぼくはのけぞった。それから体を床に打ち付けた。
「おい! どういうことだ!」
 だって、ぼくはぼくの考えに殉じるのだから。天井は初めて見た。こんな黒色をしていたのか、と思った。窓から見える色は何色だろう。次第に視界が狭まってくる。天井と同じ色をした世界が次第に広がる。不思議だ。意外と苦しくない。意外と痛くない。何やら色々と駆け巡りながら、その中でキムラの声が聞こえた。
「まさか……毒!?」
 ばかめ。声を出そうとして出せなかったので、口だけで笑った。それから視界が暗くなり、ぼくの体は確実に自らの命を散らそうとしていた。呼吸が出来なくなっているはずなのに、苦しさは感じない。むしろどこかへと向けて世界がどんどんと流れていくような。これが走馬灯なのかな。何も考えることができなくなる中で見た景色は、まるで早送りのように灰色の世界から巡っていった。その最後は血が滴る景色。それから何やら遠くからぼくをなじるような怒鳴り声。


そういうわけで、次で終わりです。


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