見出し画像

多数派の意見が自分の正解になるわけじゃない

大学生のとき、学科内で「厳しくて単位が取れない」「講義は受けない方がいい」と悪評がある先生がいた。どんな先生かよく知らなかったけど、見た目クールな感じだし、たしかに厳しそうかもと思っていた。なんせ、良い評判が無かった。

2年生になって、怯えながら友人と一緒に講義を受けてみた。ちゃんと受けないと単位がもらえない!と思って、仲良く前列の席に座る、真面目で偉い私たち。

・・・講義、全然、面白かった。

当時、大学(文系)の講義はつまらなくて眠い内容が多くてがっかりしていたけど、これは面白いと思えた。先生がしっかり講義の準備をしていて、惰性じゃなくて、熱心にやっていることが伝わった。
(今、どんな内容か説明しろと言われても概ね忘れているのが、何とも説得力が無いのだけど…。)

だから、真剣にやろうと思った。
単位落とすのをびびっているのもあったけど、90分間真剣に話を聞いてメモを取り、発表が苦手だけどなんとか一度は挙手して、終わってから毎回質問しに行った。まっすぐに取り組んでいる自分は好きだった。

先生は、ちゃんと講義に取り組んでいる学生にはめちゃくちゃ優しかった。私にとっては、どの先生よりも優しかった。質問タイムにお話するのも楽しかった。聞いていた噂と違う。

そういう熱心な学生が数名いる状況だった。でも一番良い成績のAを取れたのは私だけだった。毎週の熱心な授業態度だけじゃなくて試験結果まで見て判断する辺りが、「厳しくて単位が取れない」なのかもしれない。
この後、同じ先生の別講義を二つ全力で取ったけど、一つはBだった。優しいくせにやっぱりシビアだった。贔屓なしで成績をつけてくる誠実さが好きだった。

結局、私はこの先生のゼミを選んで卒業までお世話になった。それはもうくたびれた。卒業論文、今読み返してもなんのこっちゃという感じだけど、よく頑張っていた。(受験終わったらもう解けないみたいなもんだろう)

評判を鵜呑みにして講義を取らなかったとしても、きっと後悔はしていないだろうけど、こういう面白体験はなかったと思う。
多数派の評価が自分にとっても当てはまるわけじゃない、と体感した経験だった。恐れながらも一緒に頑張ってみようかと言える友人がいたのが本当にラッキーだった。ありがとう。


世の中にはいろんなそれっぽい意見がある。なんか世論っぽい言説。
「入社したら3年は働け」「次を決めずに退職してはいけない」「離職期間が長引くとダメな人間」「正社員じゃないと不安定」「30歳までに結婚しないといけない」「離婚したら子供が可哀想」…

これって、全てが嘘ってわけではないが、そういう人もいるし、そうじゃない人もいるだけだと思う。自分が今見えている選択肢の視野が狭いだけのこともある。こういう意見を道しるべに順調に生きていける人もいれば、これのせいで苦しんでいる人もいる。そう思うと結構な呪いかもしれない。

他人と意見が違うのはよくあることだから、人それぞれの好きな道を自分で選べる社会にどんどんなっていけばいいなと思う。


この記事が参加している募集

#忘れられない先生

4,598件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?