マッチングアプリで結婚して1年で離婚した話~「傲慢と善良」を読んで
ある日、大阪の居酒屋で3000円の飲み放題コースを大人4人で囲んでいました。
世代もバラバラな私達男女グループは、数年前に私がオンライン上で月一回行っていた読書会の参加者だった人たちで、話題はもっぱら本について。
「やましたさんにこの本絶対合うと思う」
と言われたのは、今度映画が始まるという聞き覚えのある小説。その場の他の参加者は既読とのこと。
普段小説は読まないものの、自分のことを事細かに知ってくれている付き合いの長い友人が勧めてくれる小説というのは気になるもので、自分もKindleで購入して読み始めたのでした。
確かに面白い。
ページをめくるほどにどんどん物語にのめり込んでいきました。
突如主人公の前に降りかかる謎。ショッキングな出来事の片隅にシミのように残る違和感。何かを隠しているようにも見える、不気味な影を帯びた登場人物たち。
そして何より、読み進めるたびに深く深く心をえぐられていく感覚。
喉の奥からヘソのほうにかけて引っ張られるような鈍痛。
鼻と目頭を走るしびれ。
「あれ、こんなこと俺にもあったぞ」
それはもう「自分に合う」なんて生易しいものじゃない。
もうこれは完全に自分自身。イケメンとか高いコミュ力とか、あまり身に覚えのない属性もあるものの、著者はきっとnoteで発信をしていた自分を見つけて勝手に題材にして小説を書いていたに違いない…
という冗談さえ思い浮かんでしまうほどに、この小説は私の心をゆっくりと着実にえぐり取っていきました。
あとがきでの朝井リョウ氏の解説が印象的だったのですが、辻村深月氏は一見非常に複雑に思える人間の属性や心情を細かく要素分解して描き出すことで、読み手と登場人物たちとを接合させてしまうワザを持っているのだそう。(かなりはしょった説明ですが)
見れば小説はすでに100万部を超えるビッグセールスを記録してるようです。
つまり100万人もの人が「これって自分の話じゃん」と私のように心をえぐられてきたのでしょう。それくらい著者の人間描写は罪深い。
そしてこの小説は婚活の中にある、誰もが感じる虚無を私達の目の前に突きつけてきます。
そしてそれは映画化の波を受けてこの日本に少しずつ蔓延し、やがて日本人の婚活意欲を完全に削ぎ落として、日本を内部から静かに破壊することでしょう。
さようなら日本。
この文章は、あの日大阪の居酒屋で私に対して安易に「この本合うかもよ」と勧め、無邪気に私の心をぐちゃぐちゃに切り刻んだ3人への陰湿な報復かもしれないし、はたまたベストセラー小説にかまけたただのアラフォーニートの自分語りかもしれません。いや、多分後者です。
とにもかくにも、いたずらに自らのデジタルタトゥーを増やすだけの、本当に世の中に何の意味ももたらさない無益な文章であることを予めご了承ください。
さらに死ぬほどの長文です。(死ぬかもしれません。)
その上、頭に蘇った数年前の記憶をひたすら書きなぐっているので不鮮明な上に冗長な部分も多いかもしれません。
それでも読み進めてくださるような方がいるのなら、途中でYouTube休憩やTikTok休憩を挟んでいただくことを強く推奨します。
婚活という柔らかい地獄
いつものごとくノープランでnoteを書いているのですが、もし本のネタバレを含むような内容に踏み込む際には予め一言添えようと思います。
私は20代の頃に一度、マッチングアプリで知り合った女性と4年の交際を経て結婚していたことがありました。しかし1年であっさり離婚。それが2020年の話でした。
それから婚活からは遠ざかっていたものの、33歳くらいでまた懲りずにマッチングアプリを始めました。
このときはすでにYouTubeなどにも優良な情報が溢れていたので、それをもとに戦略的にアプリを使いこなし、一時はアプリ内の数値上では全国男性会員の上位1%未満に入るまでに登りつめました。
そこで得た知見やノウハウは↑のnoteにまとめているのですが、あれれ、おかしいぞ?
エラソーなこと言ってるお前、未だに独身じゃん
おまけに現在はバツイチで自称YouTuberのニート。確実に婚活市場においてはぶっちぎりで最下位を独走できることでしょう。
そんな自分が言うとただの強がりにしか聞こえませんが、恐らく今後マッチングアプリや婚活の類いに手を出すことはないのかなぁと考えています。
人生何度目かのアプリ婚活をしてみて、改めて自分は結婚に向かないということを再認識しました。
そして、そもそもとして商品棚に並べられるがごとく画面に陳列された異性を品定めし、まるで無限に供給される工業製品のように人間を扱うことにこの歳になって耐えられなくなっていきました。
さらに、自分と同じ視点から商品棚を物色している女性たちと一緒の時間を過ごすことも嫌になってしまいました。
別にそんなこと分かりきっていたはずなのに、昔はどこかで折り合いをつけていたはずの感情を、整理して心の奥に収納しておく術を失ってしまったように感じます。
このあたりの自分の思いは以下のnoteの終盤に少しまとめていました。
マッチングアプリによって徹底的に合理化された「お相手探し」が、男女の出会いを代替可能なイベントの一つに成り下げてしまいました。
それによって婚活するユーザー(もちろん私も含む)たちの認識に歪みを生み出し、終わることのない婚活の沼に落ちていく仕組みを生み出しているように感じたのでした。
そういった事象を私は「アプリ馴れ」という言葉で表現を試みたのですが、辻村深月氏はそれを「傲慢」という日本語から、より多角的な切り口で現代のリアルを浮かび上がらせていました。
ー以下より軽くネタバレが含まれますー
私のアプリ婚
とはいえ一度はマッチングアプリで結婚までした自分。
この小説を読みながら、自分の結婚生活とその前後のことを思い出さずにはいられませんでした。
2020年の離婚から、もう時効だろうと思い、誰にも話せていなかった自分の婚活と結婚の話を書き綴ってみようと思います。
最初に述べておくと、最終的にはお互いが通院を余儀なくされるまでに関係性が崩壊した自分たちなのですが、それがマッチングアプリでの出会いがきっかけだったからという訳では断じてありません。
主張がブレブレに見えてしまうのも嫌なので補助線を引いておきたいのですが、自分の中ではマッチングアプリでの出会いと結婚は(世の中の恋愛と結婚が様々な非合理な不連続性を帯びているように)全くの別物であり、現在の私のように変にこじらせて「マッチングアプリやってる人となんて恋愛できないわよ!(※めちゃくちゃ失礼)」とならず割り切って使うことができるのであれば良いツールなのかもしれません。
社会人1年目のとき、仕事が自分に合わず精神的にも疲労していた時期。
喉から手が出るほど彼女が欲しい一方で身近な人にアプローチをかける勇気もなく、アプリをやってみたり大規模な社会人交流会など足を運んでいました。
そんな中で出会ったのが前の妻でした。
マッチングアプリで出会いを求めつつも仕事が忙しく土日も中々時間が合わせられなかったので、確か最初に合ったのは平日出勤前の時間帯、早朝の表参道のスタバだった気がします。
アプリでの写真もほぼ顔がわからないようなものだったのであまり会う前から印象を持って望んだわけではなかったのですが、物静かで何となく話してみると言葉の節々に知的な示唆を感じたのが印象的でした。
ちょっとした身の回りのエピソードを話す際も、簡潔な上にちゃんとオチまでついている。何となく地頭のいい人なんだろうな、と薄っすらと感じました。
正直今後も継続して会うかどうか最初迷っていた気もしたのですが、当時のマッチングアプリ上でそのような印象を受けた人がいなかったので、もう少し時間を取ってお話してみようと思い関係を続けさせていただくことにしました。
一方で、社会人交流会で出会って二人で会うようになっていた女性もいました。その人は対照的で、かなり明るく、女性からも好かれるんだろうなぁと感じさせられるムードメーカー的な人でした。
どちらかと言うと相手のほうから遊びの連絡をくれるような、結構自分の交友関係の中では珍しいタイプの女性で、それもまた嬉しい部分でした。
しかし、自分の中では同時に二人の女性と長く関係を続けながらじっくり今後を考えていくというような器用さを持ち合わせてはいなかったため、どちらかを選ばなくてはならないと考えました。
人を選ぶ権利なんて自分にはないと言い聞かせながら無我夢中に彼女探しをしていた自分が、ある瞬間からなぜか人を勝手に天秤にかけて選ぼうとしている。
ここに、私の中にも小説で度々描かれていた「傲慢さ」が垣間見えてくるのです。
一方は物静かで文学少女的な女性、もう一方は快活で、自分の交友関係の中にはあまりいなかったタイプの女性。
多少悩みはあったとも思いますが、結局自分は前者の人を選び、彼女もまた自分を選んでくれていたようでした。
肩書も含めた、彼女の知的な部分に自分にはない、もしかしたら自分の劣等感を埋めてくれるような潜在的な魅力を感じていたのかもしれません。
そして多くの婚活者がそうであるように、自分の手持ちの中から最良のカードを選択して、それ以外のカードを切り続けていかなければなりません。
時に年齢、年収、学歴など、画一的な定規で人を評価し、優劣比較が可能な側面を人間の本質と見間違えてしまう、そんなアプリ上の幻想が現実社会にも染み出しているようにも感じました。
そしてその空気の中でたっぷりと呼吸をしていた私も、悪びれもせず一方の女性とは距離を取りながら彼女を手元に残し、同様に私も彼女の手札の中に残ることができたようでした。
その後4回ほど二人で会って、正式に付き合うことになりました。
しかしその半年後くらいに北陸への転属が決まり、しばらく東京と北陸を行き来する関係が続きました。
その後は婚約をし、会社に無理を言って仕事は変えずに配置のみを関東に変えてもらうことにしました。
社内的にもかなり異例の、相当力技な人事で関東への転属を後押ししてくれた当時の上司や、自分のことを買ってくれていた開発部の部長の方々には今でも感謝しきれません。
そして交際を始めてから4年目に晴れて私達は夫婦となったのでした。
なぜ結婚したのか
4年もの交際を経ての結婚。
遠距離という事情もあって一緒にいられた時間は4年という数字から受ける印象よりはずっと短かったとは思いますが、一方でそれほどの時間の中で結婚に踏み切れていなかったのもまた事実です。
ここの心理もまた「傲慢と善良」で描かれる架の心情そのもの。
色んな不安が心をグルグル駆け回って、気づいたらお互いが30目前となっていました。
そして自分にはもう一つ気がかりがありました。
彼女に見え隠れする小さな小さな、それでも自分にはとても受け入れがたい影。
例えば自分たちのLINEのやり取りは(今思うと)ちょっと特殊で、毎日お互いが割と長めの雑談文章を夕方から夜に1~2通送り合う文通のような使い方をしていました。
もともとLINEなどのテキストコミュニケーションを億劫に感じてしまう自分には1日1通程度のやり取りがちょうど良かったのですが、ある日仕事が忙しくその日のLINEの返信が出来ない日がありました。
日中も忙しかったので比較的まとまった文章を返す必要があるLINEに時間が取れず、結局返信できたのがその日の16時くらいだった気がします。
すると夕方に彼女から通話。電話口では涙声に怒りが滲んでいました。
「なんでLINEの返事遅かったの!?」
確かにLINEに返信が遅れた理由を記載してはいませんでした。
それでもLINEの内容は何の緊急性もない本当に他愛もないことであり、少しくらい遅れても彼女なら「仕事か何かかしら」くらいに思ってもらえると高を括ってしまっていました。
あとこんなこともありました。
確か時期は1月。東京で二人で会っていた時。北陸新幹線の終電が近づいていたのでお店を出ました。するとまた彼女が涙を浮かべている。
恐る恐る理由を聞いてみると、肩を震わせながら
「次会う日の相談をしてくれなかった」
「次に会う日はあるの!?」
と寒空が広がる丸の内で怒られました。
もちろんこういったエピソードを聞いて「彼女がかわいそう!お前が無神経だ!」という意見もあるのでしょうが、とにかく自分はそんな彼女が怖かったのです。
彼女に涙ながら何度も言われた「サビシカッタ」という言葉。
その度に自分の至らなさを反省し、もっと彼女に寄り添い、彼女に配慮しなくてはと考えていました。
「女性は"察してほしい生き物"」とよく世間では言われていますが、恋愛経験の乏しい自分にはそういったアンテナを20代のうちにきちんと育てることができなかったのだと猛省し、彼女に謝罪し続けました。
しかし、一方でこの「サビシカッタ」という言葉には相手をコントロールしようとする抑圧的な傲慢さもあるようにも思うのです。
サビシサは個人の感情であり、そこに議論の余地がありません。
パワハラを感じた人がいたらそれがパワハラであるのと同様に、その言葉によって貼られた規制線の枠を超えないことを相手に強制するある種の命令の類とも言えるものです。
でも当時の自分は彼女にサビシイ思いをさせてはいけない、自分みたいに察しの悪い人間は彼女の行動や仕草に気を配りながら配慮しなければいけない、とずっと考えていました。北陸への転属も、何か自分が悪いことをしているような負い目すら感じていました。
そして彼女からの「サビシイ」が放たれるたびに、どんどん自分の行動へのルールが増えていきました。
相手から「これをして」と言われているわけでなく、私自身が「こうしなくては」と勝手にルール化している分、やり場のない恐怖と不安とストレスが知らず知らずのうちに身体に蓄積していきました。
LINEの返信は一定のリズムで行わなければいけない。やむを得ない場合は事前に連絡を入れなければならない。
それを守っていても、つい疲れていて返信の内容が素っ気ないとそれについて口論に発展してしまうため、ある程度のクオリティを保った返信ができないと判断した場合は事前に相手へ適当な用事を繕って返事が遅れることを伝えたりしていました。
何か彼女と自分の中に超えられない価値観の隔たりを感じつつも、やはり女性との交際に馴れていなかった自分にとっては「恋愛とはこういうものななんだろう」と自分に言い聞かせていました。
言い聞かせながらも時間が経ち、交際してから3年目のある日。
新宿かのどこかの星乃珈琲店でお茶をしていたときのことだったと思います。
彼女のほうからふと、
「今後のこと、どうしようと思ってる?私、一旦北陸に引っ越してもいいかと考えてるんだけど」
という言葉が出てきました。
今まで何となく避けてきた将来の話。お互い当時28歳。
結婚の話が出てくるには遅いくらいでした。
ここにも小説との重なりを感じます。
結婚に踏み切れない主人公の架に対して、真美が決死の覚悟で大きな嘘をつきました。
「ストーカーに狙われている。家の中にまで入られてしまった。」と涙ながらに架の家に転がり込み、真美は見事に架との共同生活を手に入れたのでした。
お互いに意識をしつつも結婚の話題を出したがらない男性に対して、その沈黙を破る力強い女性。
ウジウジしてしまっている自分に対して時にスパッと物を言ってくれる彼女を頼もしくも感じていました。
そして29歳の彼女の誕生日にプロポーズしました。
北陸に住むことも申し出てくれた彼女でしたが、彼女の仕事は都の仕事を請け負っている半公営企業で、待遇も良いその会社を辞めるのはもったいないと考え、前述したように自分が関東の事業所へ転属のお願いをすることに決めました。
しかし自分が感じていた心の隔たりはずっと解消されていませんでした。
それでもお互い29歳、一緒に住むことでそういった不和もある程度は折り合いをつけながら上手に暮らしていけると高をくくっていました。その程度の話し合いと理解がお互いできるものと考えていました。
そして何より、彼女にはこれまでに返しきれないくらいの恩を感じていました。
北陸で二人で会った週末、彼女は日曜日に夜行バスで東京へ帰っていきました。
早朝に新宿に着いてから郊外の実家へ一度戻り、そこからまた都内へ出勤するような無理をしてまで自分と会う時間を作ってくれている彼女の健気な優しさに何らかのかたちで報いなければならない、とずっと考えていました。
ただ、この私の考えこそが本当に愚かだったと今なら断言できます。
人への「感謝」と「愛情」、ましてや「結婚」は全く関係のないもののはずです。
その感情を整理することなく頭の中でごっちゃにし、彼女への感謝を自分自身の中に芽生えた愛情と勘違いしていたのかもしれない、と感じています。
本当にヒドイことを書いているような気がしますが(いや、確実に書いてますが)、ここが30手前の自分の中で未成熟な部分だったと今は考えています。
しかし当時はとにかく心に浮かび上がる不安を振り払うように、「結婚するメリット」「結婚してよかったこと」などと書かれている書籍をブックオフで何冊か買って必死に自己洗脳を行っていました。自分でプロポーズをしておきながら、大変失礼な話です。
そして私は3年間住んだ北陸を離れ、関東へ転居したのでした。
交際していたときの不安は消えない
二人の結婚生活が耐え難いものになるのにそこまで時間はかかりませんでした。
週に1回程度(なぜかだいたい火曜日か水曜日)、口論をしていしました。深夜3時~4時まで続く終わらない言い合い。
きっかけは様々でしたが、流れは大体いつも同じ。
彼女が何かに対して不機嫌になり、それについて尋ねると爆発。
学習した自分は不機嫌な彼女に触らぬように距離を取ってみたりもしてみたのですが、それでも爆発。
例えばある時「北陸でお世話になった読書仲間の人たちの話」をしていたときのこと。
みんなが私に対して「やましたに合う本」をサプライズで一人一冊プレゼントしてくれて、その本がどれも本当に素敵で感動した、自分もいつかこういうことを人にやってみたい、というエピソードを話していたときに
「じゃあその人達とあなたを離れ離れにした私は悪者ってこと!?」
と怒られました。
他にも例えば「何が食べたい?」と聞かれ「ガパオライスかなぁ」と答えたら「何でそんな手間のかからないもの言うの?いつもの料理は無駄ってこと!?」と怒られたり(ガチ)、
まだまだあるのですが、一見これらの彼女の怒りの原因はどれも関連のないもののように当時の自分には思えていました。しかし一つの共通点がありました。
これらは全て「彼女を必要としていない(という解釈が可能)」という1点で結び付けられていることに気が付きました。
友人たちとの楽しかったエピソードも、料理のことも、知らぬ間に彼女の存在価値を下げるような解釈の余地があるエピソードや行動でした。
自分が必要な人物ではない、という自覚が芽生えることを極端に避けたがる彼女。
ここに「必要とされていないと感じる=サビシイ」という方程式が浮かび上がり、彼女の"サビシイスイッチ"を踏まないようなコミュニケーションや振る舞いを、めちゃくちゃに察しの悪い三十路男に求められていくのでした。
ただこういった単発的なきっかけはその時だけで終わるので良いのですが、根深いのは生活習慣に関わる慢性的な問題。いくら話し合っても超えられなかった、二人の壁がありました。
それは家での時間の行動制限です。
ちなみに自己保身のために言っておくと、家事はキッチリと分担制で(ここも揉めに揉めたのですが)ここで述べる時間は両者の取り決めが特になかった、お互いが自由に使えるはずの時間です。
自分は学生時代からスポーツジム通いが日課で、一人暮らしのときはほぼ毎日ジムに行っていました。ジムは自分にとっては身体を鍛えること以上に、心の安定を保つうえで欠かせないものでした。
しかし彼女は心良く思いません。共同生活をしているのになぜ家で「サビシイ」思いをしなければならないのか。
マラソンが趣味な彼女なので何度か体験入店的にジムに連れて行くこともしてはみましたが、長続きはせず「ジムへ一緒に行けばサビシクナイ作戦」は失敗。
しかし家での生活でストレスを抱えている自分にとっては、ジムでの運動とサウナを制限されるのは命に関わる問題。
そこを交渉して平日2日、休日は1日まで、トレーニングが終わって風呂に入ったら速やかに帰宅するという約束でジムに通うルールをお互いで合意しました。
風呂は自分はジムで済ませてしまうのですが、罪悪感から家の風呂掃除は自分が毎日やりました。
しかし定期的に口論が勃発するので週3日ジムにいけたことはほとんどなかったように思います。ストレスが行き場を失い、どんどん自分の身体を蝕んでいきました。
もう一つが家庭内での行動制限。勉強や読書、音楽制作などの創作活動は彼女を一人にしてしまうためNG。
もちろん彼女から直接NGと言葉で言われたわけではないのですが、口論のきっかけにこれらも標的となってしまったので、以降での生活の改善を求められました。
当時は会社の短期留学プログラムを目指してTOEICの勉強をしていたところに彼女の逆鱗が降り掛かってしまったため、学習時間はもっぱら通勤時間と昼休みに追いやられてしまいました。テスト前は残業と偽ってスタバで勉強をしていました。
趣味の音楽制作やブログの執筆も家ではやりづらくなりました。
二人の時間
じゃあそれ以外の時間は何をしていたのか?
一人で何かをすることも、どこかへ出かけることも自由にはできない中での二人の長い長いお家時間ーーーーーー
私達は毎晩黙々とゲームをしていました。
Wiiの桃鉄や、スーファミの「パネルでポン」というパズルゲームをやっていました。
令和の時代にWiiという時点でお察しかと思うのですが、そもそも2人ともゲームをするような趣味はありませんでした。Wiiは北陸にいたときに何となく中古で3000円で買ったものでした。
それでもお互い残業もなく過ごす長い家時間の中でずっと会話しているわけにもいかなく、時間を潰すためにただただゲームをしていました。
少し頭を使うようなゲームはお互い向いていたようで割と楽しく、ゲームをしている時間は彼女は比較的心穏やかでいてくれました。
でも一方で、本当は勉強をしたり本を読んだり運動もしたいのに、自分は毎日何をやっているんだろう、と思っても口に出すことができない自分がいました。
たまにふと、仕事をしているときにそんなことを考えて涙が出そうになったこともありました。その頃からちょっとずつ自分もおかしくなっていたかもしれません。
仕事終わりの家事分担で、食事の準備は彼女が担当してくれていました。その間に自分は洗濯物の片付けやトイレ・風呂の掃除などを行います。
買い出しは二人で行っていましたが、それでもほぼ毎日作るものを考えてくれて料理をしてくれる彼女には本当に感謝していました。
ただ、ここにも微妙な問題がありました。
自分の担当する洗濯などは毎日あるわけではなく、食事の準備よりも自分の家事が早く終わってしまうのです。
そのため、その後は彼女の調理が終わって食事をテーブルに準備する段階になるまでは、何をすれば良いのかわからずソワソワしていました。
多分最初の頃はその時間にちょっとだけテレビを見たりスマホを見たりしていたかと思うのですが、前述のように読書すら咎められるようになったため当然スマホやテレビなどを一人で見るのもダメだったのだろう、これをやったらまた口論になるのかもしれない、と思い、気づくとただ食卓に何もせずに座っている自分がいました。
多分何かしら会話をしていた気もするのですが、彼女の機嫌が悪そうなときはただ黙って10~15分くらい食卓で一点を見つめながら座り続ける日もありました。
そう言えば、当時毎週火曜日に「逃げるは恥だが役に立つ」の再放送がやっており、その1時間だけは彼女が静かにテレビを見てくれていたため、「彼女を意識しなくて良い完全に自由な夜の時間」として非常に重宝していたのを思い出しました。
その貴重な1時間を何に使うのかは毎週念入りに考えていました。
心置きなくジムに行くもよし(ルール上はジムに行って良いことになっていたものの、嫌な顔をされるため後ろめたい気持ちがありました)、読みたかった本を読むのもよし。自分にはかけがえのない安らぎの時間でした。
ありがとうガッキー。ありがとう星野源。
二人の結婚式
こんな二人なので結婚式の話も価値観が合わず、どうしても自分は結婚式に対して楽しみを見いだせないでいました。
友人の結婚式に参列するのは大好きなのですが、こと自分の話になると各地方から忙しい30歳たちを貴重な休日に集めて3万円を徴収し、それに見合ったコンテンツを提供できる自信も意義も途端に見えなくなってしまうのでした。
ちなみに↑こんな屁理屈を男性が口にしようものなら相手が誰であろうと100%パートナーをブチギレさせますので、結婚式はとにもかくにも黙って自分が楽しめるポイントを見つけて何としてでも自力で気持ちを結婚式へ向けなくてはなりません。
そんな時、ふと「自分の結婚式で自作の曲を流したい!」と思い立ってしまいました。そして彼女が寝静まったあとにこっそり1日30分~1時間だけPCを開き少しずつ創作を続けました。
もちろん彼女と一緒のタイミングで床につかない日が続くとそれはそれで彼女に「サビシイ」思いをさせてしまうため、一緒に寝るふりをして彼女が寝息を立ててからこっそりベッドを抜け出して制作を進めることもありました。
もちろんたまにそれもバレてまた口論になったりもしました。
※朝に自分だけが早く起きてやる、ということも考えはしましたが目覚ましで彼女を起こしてしまうため実行する前にやめました
自分がやりたくてやり始めたことではあるのですが、毎晩「自分は何をやってるんだろう」という考えが頭をよぎっていました。ちなその時作ってた曲(式では歌い手の人に歌ってもらったver.で流してました)↓
当時のことを思い出すと、歌詞は未来への明るい希望というよりも、生活がなんとか平穏に維持されてほしいという神頼み的な祈りにも聞こえてきます。というか実際そんな気持ちで書いた歌詞でした。
ちなみに結婚式当日の朝は、遠方から来てくれる友人たちに渡す足代(交通費)の金額で揉めて、まだ日も昇りきらない休日の自宅のダイニングテーブルに突っ伏して三十路男が泣いていました。
その日の会場まで行く道中も、結婚式でドレスアップしている彼女を待っている間もほとんど口を聞いてませんでした。
それでも披露宴の最後に流す当日のハイライトムービー(BGMが↑の曲)の撮影がその間入っていたので、お互いぎこちない作り笑顔の二人が今なおどこかに残っていると思います。文章にするとただただアホなんですが、その時は本当に必死でした。
離婚へ
絶対サビシイ思いをしたくない女と、絶対自分の時間がほしい男。
視聴率0%必至のホコタテ勝負は思いもよらない形で終焉を迎えました。
自分の視点でばかり語ってしまっていましたが、一方で彼女のほうも疲弊しており、睡眠障害のため通院をしていました。当時のことに関して、もちろん彼女の言い分もあったでしょう。
しかしもうその頃には彼女から物を投げられたり手を上げられるような暴力も加わるようになっていて、関係性の破綻が如実になっていました。
それまで、もちろん彼女が体調を崩すずっと前から何度かうっすらと離婚の話し合いをしようと試みたのですが、その度に固辞されていました。
転機はとある金曜日。仕事の定時前に送られてきた1通のメッセージからでした。
在宅ワークをしていた私のもとに珍しく北陸の同期からLINEが届きました。
「イントラ見た?Jくんのこと」
イントラとは社員専用の社内HPで会社内の様々な情報が乗っていたり、手続きなどを行うことができるサイトです。
Jくんは関東配属の同期で、自分が北陸へ転勤するまで毎日二人で昼食を食べていた、自分にとって大切な、大好きな友人でした。
彼のことは別のnoteで触れているのでここでは割愛しますが、イントラには彼の訃報を知らせるニュースがページの右上に小さく載っていました。
掲示には1週間前に彼が亡くなったこと、葬儀などは近親者で済ませたことなどが、ごく簡潔で無機質な文章が書かれているだけでした。
29歳男性の、理由を伏せられた急死を"自死"と推察ことは非常に容易でした。
そこからの記憶はあまりないのですが、リビングで家事もせずにずっと立ち尽くしていた時に、出社していた彼女が戻ってきました。
その時も何かで小さな口論をしており少しギクシャクしていた時期だったのですが、明らかに放ったらかしにされたリビングと私の様子を見て、彼女もただ事ではないことを察し、そこからJくんのことを話しました。
Jくんを慕っていたことを知っていた彼女は黙ってその話を聞き、「じゃあ散歩でもしようか」と少し離れた地元の神社まで散歩することを提案してくれました。
供養するなら寺だろ、などということを考える余裕はもちろんなく、彼女に導かれるままに神社のお賽銭箱に財布にたまたまあった500円玉を入れ、手を合わせて彼のことを考えていました。
その日はさすがに彼女も優しく、自分を気遣ってくれていました。
彼女だって通院しながらの状況にも関わらず自分のことを労ってくれていたのですが、そんな優しさのありがたさなどを感じる余裕は私にはなく、帰ってきてもただ呆然とソファーで座りながら夜明けまで時間を過ごし、しばらくしてベッドへ向かいました。
これ以降の記憶がおぼろげなのですが、その翌日の土曜日にまた口論になりました。原因も思い出せません。
しかしJくんのことで廃人同然の自分には取り合う気力もなく、彼女は部屋を出ていきました。「どこに行くの?」と問いかけても応答がない。
これはさすがにマズいと思い距離を取りながら彼女の行方を追いかけました。別にどこに行ってくれても構わなかったのですが、「追いかけた」という事実を作らないと次にどんな目に合わされるのかが分からなかったからです。
駅に向かうでもなく、近所をぐるりとまわるルートを歩いていた彼女をある地点で見失ってしまいました。
仕方なく家に帰ると、しばらくして彼女が家に戻ってきました。
そこで何か言葉を交わしたと思うのですが、思い出せません。
とにもかくにも「じゃあ次は俺が」と言わんばかりに自分も部屋を出ることにしました。これ以上彼女と一緒に時間を過ごすことで、自分の中で何かが壊れてしまうような気がしていました。
彼女には「絶対ダメ!行かないで!!」と腕を強くつかまれました。
なぜ彼女は何も告げずに家を出ることが許され、自分にはその権利がないのでしょう。
考えれば考えるほど、無気力な身体に怒りだけが充満していきました。
どこかに泊まる、とだけ言うと、「じゃあせめて宿だけでも連絡して」と言い、腕をほどかれました。
「私も今日は実家に帰る」とのことだったので、では翌日の良い時間にまたこの部屋に集まる約束だけして家を出ました。
関内駅近くのビジネスホテルが取れたので電車で向かい、部屋の天井を見上げながら考え事をしていました。
これまでの彼女との出来事、口論の原因、そしてJくんのこと。
ろくに寝もせずにチェックアウトギリギリまで宿のベッドで横になり、それから関内のホテルから横浜駅までを歩いてみることにしました。
15時ころに家に戻ることを告げると、彼女は先に家に戻っていたようでリビングの椅子に座っていました。
家に着くと強烈な疲労感とめまいに襲われ、彼女の座るダイニングテーブルの椅子とは別の、斜め向かいに置かれていたソファにもたれかかりました。
少し休憩をして、鉛のように重い体を持ち上げるようにリビングの椅子に腰掛け、ダイニングテーブル越しに彼女と対面しました。
「決心しました。離婚してください。」
彼女はそう来るのが分かっていたかのように少し黙って、
「いやです」
と答えました。
自分は関内駅から横浜駅まで歩いている中でまとめていた考えを、ゆっくりと、でも異論を挟む余地を残さないような圧力も含めながら慎重に口から紡ぎ出しました。
日々の口論、睡眠障害、その原因のすべてが自分との結婚生活にあること。
そして暴力。いずれ自分か、もしかしたらその暴力の矛先があなた自身へ向き、命が失われる可能性も十分考えられること。
この価値観の違いに1年間ずっと向き合ってきたのに、同じことで何度口論してもお互いが歩み寄れなかったこと。自分たちはここまでだったのだ、と。
そんなことを言った気がします。
それでも彼女も引き下がりませんでした。離婚はしたくない、と。
じゃあ、一度別居というかたちで少し距離をおくのはどうか?と提案してみました。
これも予め考えていた切り返しでした。
彼女は実家から通勤することもできるため、お互いに一旦離れて暮らしてはどうか、と。
それも彼女は固辞しました。彼女の中では別居したらもう元に戻ることは不可能だ、ということでした。
そこでどんどん自分の身体がおかしくなってきました。動悸の音が耳に響き、頭が重く首で支えられなくなってきました。
考えても言葉が口から出てこなくなり、一度寝室で横になることにしました。
しばらくしてリビングに戻りました。次は椅子ではなくまたソファに腰掛けました。
すると今度は彼女のほうから声をかけてきました。
「離婚は受け入れます。でも急に今の生活が終わることが辛い。心の準備ができていなかった。だから、1週間だけ、何もなかった元の生活と同じように暮らしたいです。その後で離婚するのはどうでしょうか。」
その時、久々に彼女の清らかとも評すべき強さを身に沁みて実感しました。
自分に明らかに憎しみを抱いているであろう人間と対峙してなお、プライドを投げ売って、かたちだけでも、一時だけでも元の生活を続けたいと主張する彼女の姿は感動的ですらありました。
この態度には最大限の敬意を払わなければならないと直感的に感じ、抜け殻になった身体の力を顔面に寄せ集めて全力で笑顔をつくりました。
「ありがとう。じゃあ、一週間だけ一緒に暮らそう。」
そしてふっと身体の力が抜けて、またソファにもたれかかりました。
すると、彼女は泣き出しそうな声で
「でもあなたがそんな状態じゃ元の生活になんて戻れないじゃん」
と言いました。
「わからない。でも1週間は仲良く暮らそう。」
弱々しくそう答えると、
「・・・もし、1週間の中で考えが変わるようなことがあれば離婚もなくなるかもしれない?」
と言いました。
次の瞬間、脱力していた身体の中で何かが吹き出していくように、気づいたときには声が出ていました。
「1週間!!1週間だけって言っただろ!!?何でそんなこと言うんだよ!!」
信じられないくらいの大声が出ていました。
そして私はソファに突っ伏して泣きました。
結婚式当日の朝と同じ光景。「離婚してよ!!」と泣きじゃくる自分はまるで駄々をこねる幼児。どれほど見苦しいものだったかは想像したくもありません。
そこからはもう彼女も何も言わなくなりました。あまりにも、あまりにも醜い三十路男の泣き落とし。
「お母さんに何て言えば良いのか」「あんたのせいで離婚になった」
などグチグチ言われていた気がしますが、そこの前後関係ももはや覚えていません。
その後、簡単にまとめれるだけの荷物をまとめてその日のうちに彼女は実家へ帰ることになりました。
善良と家族
この小説を読んで、恋人である真美と彼女とをまた重ねて見ている自分がいました。
真美は群馬で育った「田舎のお嬢様」で、古い価値観を押し付けてくる親の言いつけを守る「善良」な女性として描かれています。
そんな古い価値観を押し付けてくる親に反発して東京へ出ていった姉とは対象的に、地元で有名なお嬢様学校を卒業し、就職先は県庁の契約社員。親が思い描いたレールに忠実な、物静かなキャラクターとして描かれています。
大学も就職先も理想的な彼女に足りなかったのは結婚。それが悩みの種で、彼女は親の価値観に従うかたちで結婚相手を探し始めるのでした。
そこでふと思いました。
「そう言えば、なぜ元妻はマッチングアプリをやっていたのだろう」
自分たちが出会った当時は今とは違ってまだまだマッチングアプリというものに対して依然として偏見があった時代でした。
今でこそ、奥手で物静かな女性も普通にマッチングアプリをやっていますが、当時としては彼女のような女性がアプリをやっていることに多少の違和感のようなものがあったのを覚えています。
もしかして、彼女も真美と重なる部分があったのではないか、と完全に自分を主人公に重ねている自分はぼんやりと考えてしまったのです。
必要以上に彼女の情報を書くことはさすがにできませんが、実家に暮らしながら優秀な大学を卒業し、安定した職場へ進んだ彼女のキャリアにも何となく真美の影を感じてしまうのでした。
そんな、家を離れることなく、ひたむきに邁進する頭脳明晰な一人娘を親は可愛がっていたに違いありませんし、彼女もそれに応えようとしていたのは傍目から見ても明らかでした。
彼女の母に真美の両親のような露骨な邪悪さはありませんが、少なくとも小説の中で真美が親から受け取っていた類の何かを彼女は感じ取っていたのではないでしょうか。
親を安心させるためには結婚して安定を目指さなければ。そんな善良な感情が彼女をマッチングアプリへ向かわせていたのではないかと今では考えてしまっていたりします。
離婚を決めた日の夕方、彼女の母親が仕事終わりに車で我が家へ駆けつけてきました。
前日に彼女も実家に帰っていたので大まかな事情は知っていたものの、やはり目には怒りと困惑が入り混じっていました。
ダイニングテーブルに義母と向かい合うように座りました。
「何でこんなことになったの?」
と聞かれ、もうすでに何ヶ月も前から、結婚生活は立ち行かなくなっていた、ということを説明しました。
説明していると、涙が出てきました。
彼女と面と向かって話している時は涙は出なかったのに、義母を前にした途端に涙が流れてしまう自分の身体のズルさに唖然としました。
「泣きたいのはこっちだよ!!」
怒られました。それはそうです。
彼女たちが親子二人三脚で様々な困難を乗り越えてきたのは知っていました。
そんな盟友とも相棒とも言うべき娘が結婚という幸せを掴んだ途端にこの状況です。
自分も結婚前から様々お世話をしてくれて、親しみを持っていた義母でした。「ごめんなさい」というのが精一杯でした。
「結婚を甘く見すぎている!まだ何も結婚生活なんて分かっていないじゃないか!どっちも子供だよ!」
それもその通りかもしれません。
でも頭を下げながら、一方で「なぜこの人は娘が通院するまでになっているこの結婚生活を続けさせようとしているんだろう?」と疑問に思えてきました。
これまで義母が様々なサポートをしてくれたのは本当に感謝しています。
でも、だからと言ってあなたのエゴで我々の結婚生活を続けさせられるのはおかしい。なぜ自分たちに主導権がないんだ?
離婚を頑なに拒む親子の姿に、小説の真美の家庭のことを重ねてしまいました。彼女たちは真面目で善良であり、そうであるがゆえに善良さを守り抜くための傲慢さに苦しんでいたのかもしれない、と思うようになりました。
彼女たちが今どうしているのかを知ることは私にはできません。
LINEもSNSの類もブロックされているため、近況を知り得る機会はありません。
と、そう思っていたのですが、小説の中でInstagramで真美の行方を探している場面が出ていた時にハッと思い出しました。
ほとんど開かない自分のInstagramのアカウントのフォロー欄を見ると彼女のアカウントが健在なのを見つけました。
恐らく彼女も未だにほとんどInstagramはやっていないのでしょう。でも開くのはやめました。
いつか彼女が気づいて自分をブロックしてくれることを密かに願っているのかも知れません。
傲慢と善良
小説の中では最終的には架と真美は結婚を選びました。
失踪した真美は石巻でのボランティアを通じて、自分を見つめ直し、結婚へと突き進んでいきました。
自分もいつかまた結婚と向き合う日が来るのでしょうか。
向き合う日が来たとして、その時にこんな傲慢な自分を受け入れてくれる人がいるのでしょうか。
この結婚で、自分が他人のサビシサに向き合って、それを補う能力が世間一般と比べてだいぶ劣っているのだろうと実感しました。
「それはただのお前の怠慢と傲慢さと幼稚さだ」という意見もあるかと思いますし実際そうなのかもしれませんが、とにかく自分は他人のサビシサと向き合うことができないようです。
鯛が陸を歩けないように、鹿が空を飛べないように、私には他人のサビシサを思いやり、ケアすることができません。
そしてそんな残酷な自分を知って傷つきました。
他人のサビシサに向き合うくらいなら、一人で生きることの辛さや不安を受け入れることはどれほど楽なことか。
一人の暮らしに戻って、そう感じています。
もはやこじらせ過ぎて周りからも結婚の心配をされなくなったアラフォーは、これから1年ほどは海外の様々な地域を歩いて、色んな価値観を吸収していきたいと考えています。
どんなに多様な価値観が身体へ染み込んだとしても結婚へ意識が向かうことは今のところないと思ってはいますが、とにもかくにも「自分はこう」という自分自身に付けたタグは一旦外して、裸一貫で様々なものを吸収する日々を過ごしていきたいと考えています。
もう時効だろう、と思いこれまで他人に語っていなかった自分の結婚生活について吐き出すゴミ箱noteでした。
自分では淡々と事実を書いているつもりでも、読み返せば明らかに自己保身的な、彼女が悪者のような内容に傾いているところにも自分の邪悪さを感じますし、そうでなくても読む人によってはそのままでも明らかに文章の隙間に見え隠れする私の中に悪を敏感に感じ取った方もいたかと思います。
誰に向けて書いているわけでもないのに、どこかでまだあの離婚のことを正当化したいという心の重力が働いているのかも知れません。冷静な目で読み直して、表現は少し改訂していくかもしれません。
誰かに怒られるようなことがあったらそっと非公開にします。
では、失礼いたしました。
あまり小説のこと語っていませんでしたが、とにもかくにもこんな長文を書かせてしまう魔力を持った小説です。今度映画見に行こうと思います。
個人的に気になった海外記事を週数本メモしてたりしますので、よければフォローお願いします。
たまにこんな感じで自分の考えなどをまとめています。