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コミュ障による読書会コミュニティ運営記

一昨年の9月に、オンライン読書会をFacebook上のグループを利用して立ち上げました。

その経緯については以下のnoteで話しているのですが、今回はもう少しこの読書会というものを深掘りしてみたいと思います。

社会人になって以降、自分のコミュ障な性質もありなかなか腹を割って話せる友人というものができなかったのですが、読書会をやってみて初めて心許せる友人に出会えたような気がしています。

4人から始めた読書会は最終的には200人規模くらいまで大きくなったのですが、そこに至るまでの中でコミュニティとしても様々な変化があったためそのあたりを共有できたらと思います。

あまり人の上に立つようなことをしてこなかった自分が、コミュニティの運営というものをやってみてそこから得た知見を少しでも共有できたらと思います。

語り合いを大切にする少人数制読書会

この読書会には「語り合いを大切にする」という大きなコンセプトがあります。
そのために、ひとつのグループが4名程度になるようなグループ分けを必ず行います。
その上で、一人一人の本紹介の最後には必ずほかの参加者へ、その本から得た学びをもとにした問いかけを行ってもらい、参加者同士の語り合いのスイッチを紹介者が作ってくれるように促しています。

一般的な読書会だと10名程度の規模になるようなものもあり、そうなると本の紹介をひたすら聞くだけの会になってしまいがちでした。
そこでは一方的な本紹介を一人一人回していくだけで時間が経ってしまい、参加者同士の意見交換や交流の場という時間が意外にもなかったりします。

そのため、本紹介だけで時間が終わってしまわないように、また紹介を聞く側の負担もなるべく低減できるように会をデザインしたいと考えて、自分の読書会では「4人程度の少人数制」「最後に紹介者が参加者へ話題を振る」という形態に行きつきました。

こんな感じで、比較的自分自身の思想やエゴなどが反映された会のデザインになっているのですが、この会を好きでいてくださる方に支えられて読書会を今日まで存続することができました。


「批判しない」「競わない」「無理しない」

読書会は「この本を読んで”自分は”こう思った、ここが勉強になった」という個人的な意見や解釈を語る場で、個人の見解である以上正解は存在しません。また、「誰の解釈がより優れているか」という優劣もありません。

しかしどうしても会が白熱してきてしまうと、相手の言葉を遮って自分の意見を主張してしまうような方が(ごくごく稀に)出てきてしまうため、そのときは自分の目の届く範囲であれば静止を促すこともあります。

これは自分の過去の失敗談でもあるのですが、昔ある読書会に参加した際に自分の解釈や思想を批判されて熱くなってしまい、口論のような状態になってしまったことがありました。そうなるとその場の雰囲気が悪くなるだけでなく、お互いの解釈・考えのぶつかり合いのため平行線の議論が延々と続き非常に自分たちにとっても他の参加者にも不毛な時間となってしまいました。

この読書会が目指す「語り合い」は議論やディベートではなく、理解と共感を土台としたコミュニケーションです。
参加者の方々のおかげで、特に私がこのようなことを掲げなくても自然とそういった場が形成されていっているのを本当に嬉しく思うのと同時に、自分ももっといろんな人の理解と共感に徹さなくては、と襟を正されるような思いもあります。

あとは「無理をしない」ということも個人的には非常に重要な考えだと思っています。
読書会の規模が大きくなって、自分も読書熱が高まっているときは「読書会の回数を増やしたほうがいいかな」と思うこともありましたが、それでも「決まった曜日に月一回」というペースを崩さないのも、自分にとって一番心地よく継続可能な状態を維持させようという思いからです。

そして参加してくださる方にも無理のない範囲での参加をお願いしていました。

「数ヶ月読書会に行かなかったらもう周りに取り残されてしまうのではないか、」という焦燥感を煽らないためにも、個人的にはなるべくフラットなコミュニケーションを心がけるようになりました。
久しぶりに参加してくださった方に対しても極力「お久しぶりです」のようなことは言わないようにしています。(本当は久々に来てくれた方に会うと嬉しくて思わず「久々ですね!」と言いたくなってしまうのですが、、)

いつ来てもいいし、しばらく来なくてもいい、気が向いたらちょっと顔を出したくなって、いつ行っても同じよう空気感が流れる、そんな場所にこの部活がなることを目指しています。


人が集まることで起こった変化

そういう考えを持っており、もともと多くの人を集めて色んな人とつながりたいというよりも少人数でゆっくり話をしたい、という気持ちが強い自分であったため、読書会自体の規模を大きくすることへはあまり関心がありませんでした。

最初数カ月間は本当に初期メンバーの方にしか部活動の存在を伝えず、その人づてで興味ある人を部活に入れてもらう紹介制(多分マルチとかと同じ手法)を導入していました。
当初は誰でも自由に行き来できるようなパブリックな場でなく、会員制バーや秘密基地のような「知る人だけが知っている場所」のようなものを目指していました。

しかし徐々に人数は増えていき、2021年初には40人以上に程度になっていた記憶があります。

最初は人数を増やすことに消極的だった自分ですが、人数が増えていくことで読書会が少しずつ変化していく様を見るすることができました。

まず大きかったのが、自分以外の人が企画を立ち上げてくれるようになったことです。
それまでは本当に月に1度の読書会をするだけの部活だったのですが、メンバーからの提案で2021年のはじめから参加者がそれぞれ自分が好きな曲の歌詞を持ち寄ってその解釈をプレゼンしあう「歌詞分析会」というものを立ち上げてくださいました。

読書会なのに何で歌詞なのか、という疑問はおそらく発起人の方自身も感じていたものと思いますが、この企画をするのにこの読書会を選んでくださったことが自分にとっては印象深い出来事でした。やはり自分が当初から目指していた「語り合いを大切にする」という読書会の姿勢を、実際の読書会からきちんと認識してもらえたものだったのだと感じました。

だから、もしかしたらこの読書会は「語り合いの場」とも言いかえられるのかもしれません。
自分の考えを語りたい人たちが集まり、それにじっくりと耳を傾けてくれる人がいる、時にはその自分の考えが深まるような議論ができる、そういう場として捉えてもらえているのかもしれないなぁと感じられたことが非常に嬉しく、かつ参加してくださっている方々を誇らしく思いました。

それ以降も自分以外の方が読書会内で企画を立ち上げてくださるようになり、本当に嬉しく感じます。
ここに集まる人とこの場を好きでいてくれる人がいることが何よりの糧になっています。

もう一つの変化が人数が増えたことで、素性の全く分からないままの人も多くなってしまった、という点です。
部活動に参加してくれてはいるものの、部活動スレッドへの投稿も読書会への参加もない人が規模が大きくなるにつれて多くなりました。

かくいう自分もそういう気質はあるため、そのような人たちに関しても何もネガティブな思いはないのですが、少し気にしているのがその人たちが「今は関心がない(生活の中での優先度がまだ高くない)」のか「ちょっと興味はあるけれど参加しづらい」と感じているのかがわからないという点でした。

全員が前者なら問題ないのですが、後者の方たちへは部活としては何かしらの救済をしなければいけません。
そこで私は人数が50人手前くらいの規模になった段階で、参加のハードルが低いイベントも立ち上げようと月イチで交流会(オンライン飲み会)や週イチでもくもく読書会(ただzoomをつなげて30分読書する会)を行うことにしました。※救済といいつつ自分がやりたかった、という気持ちが大きかったですが。

交流会は結構好評で、そこに参加して色んな人と仲良くなって読書会にも参加してくれるようになった人も出てきたため一定の効果はあったかなぁと思っています。それは何より読書会に参加してくださってる方がみんな親切なので、交流会でお話をすると一気に部内イベントへの参加ハードルを下げてくれていることが大きいと感じます。


何もしてないけど感謝される状態

そんなわけで、本当に部活に来てくださる方々の人柄の良さがこの読書会の温かい雰囲気を作ってくださり、この場所を好きでいてくれている人が集まってくる好循環を生んでいるのですが、なぜかよく私が感謝をされます。

私としては「こういう読書会を作りたい!」と言って部活を作り、「みんなと話をしたい!」と思って毎月交流会を開いてるだけなので「いつもありがとうございます」と言われると嬉しくもあり、半分なんかくすぐったいような感触もあったりします。

でもこんな感じで「自分のやりたいことを勝手にやって感謝してもらえる」って最高だなぁとしみじみ実感します。
もしかしたら「好きなことを仕事にする」みたいな感覚にも近いのかと思いますが、「自分がこうしたい!」というエゴが誰かの役に立っているという状態は大げさかもしれませんが一つの人生の到達点かもしれない、とさえ思います。


「何をしゃべるか」よりも「何をしゃべってもらうか」

そんな読書会ですが、このように人の集まる場を自分が率先して作っていくことは初めての経験で、それによって今まで持ち合わせなかったホスト側の視点で俯瞰して場を見れるようになった気がしてきます。
そうなってくると、この部活に向いてそうな人や、逆にちょっと居心地が悪いかもしれないという人もなんとなく見えてきてしまいます。

本の紹介が終わった後にぽんと、みんなが思わず考えてしまうような面白い問いかけを投げかけてくれたり、周りの雰囲気やどれだけこの本に興味がありそうか、といった空気感を読みながら長すぎず適度に余白を残した本紹介をしてくださる人には思わず感謝をしてしまいたくなります。
どちらかというと「周りの人の話を聞いてみたい」という部分に関心が向いている人がこの「自分がしゃべる場面と相手にしゃべってもらう場面」のバランス調整が非常に上手な気がしており、そういったお互いの場の譲り合いができるような人たちが集まっている部活に感じます。

読書会では本の紹介に制限時間を設けていません。
すごく楽しくおしゃべりしているのに「はい、ここまでです」というようなアナウンスが入ってしまうと場の空気感もちょっと固いものになってしまう感覚があり語る時間は自由としているのですが、そうなるとどうしても逆に「長時間語りすぎてしまう人」が出てきてしまいます。

その場で初めて出会う本の内容に15分や20分といった長時間集中して耳を傾けるというのは、いくらその本の内容が興味深いものであったとしても小さくない負担を参加者に強いることになってしまいます。
そして、本の紹介時間が長くなりがちな人はだいたい最後の「問いかけ」がないまま自分の話を終えてしまいます。

こちらから促して初めて「問いかけをどうしようか」、と考えることが多いようです。そうなると問いかけ自体もあまり発展性のあるものにならず、かつ長時間の話を聞き続けて疲弊している参加者はその話題に対して積極的に乗っかっていくというモチベーションも持ちづらかったりするような印象が場を俯瞰して見ていても感じます。

このように紹介の最後の問いかけの前で話し手が力尽きてしまうと、話し手の方自身も周りの反応がいまいちなことに少しバツの悪い感じになってしまうかもしれませんが、そう言った意味でもこの最後の「問いかけ」が手前味噌ですがかなり読書会の持つ雰囲気を作り出す重要な装置になっている気がしています。

ただこれも強く言いたいのですが、当たり前ですが決してそのような人たちを非難するつもりも、ましてや退部を促すようなことは絶対ありません。
単にその人の関心が「自分が何をしゃべるのか」か「人に何をしゃべってもらうのか」のどちらに向かっているかの思考の傾向の違いにあるかと思っています。

ただ事実として「自分が何を話すか」よりも「この場に集まった人達とどんな話をしようか」ということに関心が向いているような人にとって心地の良い場であり、そのような人たち一人ひとりが読書会に流れる空気感を作ってくださっている気がします。


つくり続けるぼくと、読書会という場所

書き始めたら最初に考えていた着地点とは全くことなる方向へ文章が進んでしまったのでどう収拾つけようかと思っていたのですが、結局収拾がつかず超長文となってしまいました。

そしてここからは自分語り要素が一層濃いめになるので、本当にまだここまで読んでくださった上で体力のある方だけ読み進めていただけたら幸いです。

自分にとってこの読書会という場所が本当に意味深い場所になっているとつくづく感じます。

読書会ではいい意味でみんながフラットで、年齢も性別も社会的な立場もこれまでのその人の功績も関係なくお互いがそこにいるだけで認めてもらえるような温かい空気が流れています。

それまでの私は、幼少期からずっとコミュニティに所属するために「なにかを作って価値を提供しなければならない」という思考を持っていました。

コミュニケーション能力が高かったり、足が早かったり、容姿に花があったりと目立つ人というのはそれだけでコミュニティに所属できるチケットを持っている一方、自分にはそれがないことを子供心に感じていて、たどり着いたのが「何かを作って喜んでもらう(あわよくば注目を集める)」という手法でした。

小学校では漫画を書き、中学からギターを人前で弾き始め、高校ではバンドで作曲をし、大学ではVOCALOIDにのめり込みました。
人がやっていないことで注目を集めて、面白がってもらうことに必死でした。

自分の居場所を確保するためにはまず「何かを作る」というものが必ず先にありました。
「これを作ったから僕の椅子を空けてください」という姿勢で生きてきました。
そういう意味ではデザイナーという仕事も自分の生き方と非常にリンクしているように感じます。

でもそれによって空けてもらった椅子には「自分」ではなく「制作物」が座っている感覚がいつもありました。
この椅子を確保しておくためには作り続けなければいけない、ものを作れなくなった自分には居場所がなくなってしまうのではないか、という焦燥感にずっとさいなまれていた気がします。

何かに追われるようにものを作り続け、それによって得られた達成感や交友関係は本当に貴重で代えがたいものでしたが、読書会はそれとは全く別の関係性が醸成している場のように感じます。

読書会ではデザインをやってきたことも、音楽制作を頑張っていることも関係なく、そのままの自分を受け入れてくれるような暖かさを感じています。
そこにはこれまでの人生で抱えてきた謎の焦燥感はありません。

そして、自分だけじゃなく、このコミュニティを大事にしてくれる人がたくさんいてくれています。この部活が価値のある場所になっているということを改めて感じて本当に嬉しくなりました。

いや、嬉しくなるのは少しおこがましく、本当に読書会の居心地良い空気感は参加してくださっている方々一人ひとりのおかげで成立しています。
これからもそんな場所であり続けられることを目標に頑張っていきたいと思います。(無理なく!)

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