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自分のデザイナーとしてのコンプレックスをアイデンティティに言い換えてみる

「弱みの裏返しは強み」という話、誰もが一度は聞いたことあるのではないでしょうか。
自分が抱えるコンプレックスは、見方を変えれば誰にもない強みに変わるというもの。タイトルの通り、今日はそんなことを自分なりにやってみようというnoteです。

自分は33歳で仕事でデザインをし始めたのが26歳だったのでデザイナー歴8年目という時期になります。

周りの多くの人の支えもあり今は非常に恵まれた環境で仕事ができているという風に思う一方で、意識高いデザイナー系の記事を読むと自分の経験値の浅さやデザイナーとしてのキャリアへの心もとなさも同時に感じることもあります。
もっと若ければ自分のコンプレックスを解消するような方向へとキャリアをデザインしていくことも考えられたと思うのですが、もうそのコンプレックスとどう付き合っていくかということに思考を変える必要があると考える年頃になってきました。

今日はそんな自分へ向けた自己セラピー、文字通りの自慰行為な記事を書き連ねてみようと思います。

今後自分の自己紹介的な記事を改めて書こうと思っているのですが、その前段階の情報整理としても一度やってみようと考えていたので、つらつら自分の考えを残しておこうと思います。

専門性と呼べる強みはないけどわりと何でもできる

デザイナーをやってるんです、と言うと必ず「どんなデザインをやっているんですか?」と聞かれます。

以前は「アプリケーションの画面とかのデザインです」とUX/UI周りを自分の専門分野として紹介することが多かったのですが、ずっとここに違和感がありました。

UX/UIデザイナーとして仕事を勉強したり、仕事をしている人の記事を読んだりすると自分が行ってきた領域が非常に狭い範囲にとどまってしまっていることを痛感していました。

UXと言っても技術部から出てきた仕様に対して個人的な「感想」を言うレベルのことしかできていなかったし、ユーザーテストなどの仮説検証から全体のアプリの構造を作っていくという経験も0ではないにしろかなり不足している実感がありました。

これは今なおそうですが、デザイン組織が力を持ちづらい大きな組織の中では他の強い権限を持つ部署が制作物の基礎を作りきってしまっていて、残りの部分をデザイナーが埋め合わせる、ような仕事のやり方が多く、一つの領域を深掘りできるような組織体がそもそもできづらいという事実があります。

しかし、デザイン組織が小さな場所では、一つのビジネスに深くデザイナーが関わることはしづらい一方で、いろんな場所にちょっとづつデザイナーとして関わることができたのも事実です。
それによって、他の専門デザイナーとは違う様々な経験や人との関わりを得ることができました。

例えば、デザイナーとして一つの製品のブランディング(製品名、アイコン、カラー設定)を行うような大きな仕事から、会社の役員のプレゼン資料づくり、会社が運営する施設のパンフレットづくり、新規ビジネスの立案などなど、、振り返ると結構いろんなことをさせてもらうことができました。
※自分が製品名などからUIデザインまで携わらせてもらった製品です

もっと言えば大学院までは今のような(大まかなくくりで言う)グラフィック系のデザインではなくものづくり(プロダクトデザイン)をやっていたため、ある程度そちらへの知見もあったり、もっと言えば大学のときはデザインそっちのけでボーカロイドの音楽制作にドはまりしていたこともあり未だにたまに音楽制作をお願いされることもあります。

また、最近になってこのnoteに自分の学んだことや意見をまとめるという習慣も非常に強みになってきたように感じています。フォロワー数などの定量的な数字を獲得しているわけではないのですが、ちょっとした文章を書くスキルや情報全体の構造を俯瞰して見て妥当性を図る能力はnoteのおかげで身についてきたように感じます。

こういったことを仕事と絡めて振り返れば、やはりそこまで仕事の負荷が高くない環境にいる期間が長いおかげで、余った時間をnoteやら音楽制作やら他の自分の好きなことにあてることができたからだと考えています。

見方を変えれば器用貧乏とか中途半端なんて言葉でも片付けられるものですが、自分はこの事実を自分のアイデンティティとして翻訳しなおしてみたいと考えています。


誰かに師事することがなかったが、一人でやりきる力がついた

これはデザイナーになって以降ずっと抱えていたコンプレックスでした。

以前の記事でも言及しているとおり、自分は未だに「デザイナーの上司」や「師匠」と呼べる人の近くで働いたことがありません。

そのため、デザイン以外でも仕事のやり方や提案の仕方などは独自に工夫して行ってきました。自己流といえばそれまでなのですが、周囲の人に対してどうやってデザインを伝えるか、デザインを中心に人を巻き込めるかは自分なりに本などを読みながら実践をすることで学んでいきました。

そういう立ち回り方をすると結構(良くも悪くも)「社内フリーランサー」のような見られ方もするようになり、ちょっとしたことを気軽に頼んでもらえたり、そこから大きく魅力的な仕事に関わらせてもらえる機会も増えました。

それもこれも、周りにデザインのトップがいなかったからこそ自分の責任で動こうとする気持ちが嫌でも醸成したことによるところが大きいと感じています。

会社員として色んな部署、バックグラウンドの人と関わるけれど「デザイン」の領域に関しては一人の責任でやり遂げるという働き方が確立されているように感じます。

これについても良い面悪い面ありつつと思いますが、こういった点が今の職場への転職ができた決め手のようにも感じます。


コーディング・プログラミングはできないけど、ビジネス・経営戦略からデザインができる

ここの欠点を良い視点で言い換えるのちょっと苦しいですが、、コーディングやプログラミングができるという技術もデザイナーが所持している一つのスキル要素と捉えた場合、自分であればそのカードは持っていないものの、ブランディングやビジネス戦略・マーケティングという戦略的な部分からデザインに落とし込んでいくプロセスや経験値は他にない価値として提供できると考えています。

ちょっと前述の内容と矛盾していると捉えられたくないため誤解なきよう説明しますが、自分一人ではやはりWEBでありアプリでありプロダクト一つを作り切るだけのスキルは持ち合わせてはいませんし、今のところそこの能力開発に時間をかける予定もありません。

しかし、デザインを単なる受託業務としてではなく、依頼元のビジネス方針や戦略に対して深く理解し、おせっかいであっても時には(本当にごくまれに、、)意見するくらいの気持ちで仕事に臨んでいます。

それによって時には人に疎まれながらも、仲良くしてくれる人とは継続的な関係性が築けていけている気がします。自分の志向としてもそうですが、単純なデザイン作業者としての仕事をやりたくなく、「デザインという手段を持つビジネスパートナー」という位置づけに捉えてくださる方とお付き合いをしながら仕事をしています。

なんか書きながらですが何となく自分の考えがまとまってきた気がします。


そろそろ身軽になりたい

いきなり全く関係ないような話をぶっこむようですが、色々あって自分が目標としていた資産総額に予定よりも早く到達しかけており、正直「いつ仕事辞めても死なない」くらいの経済的な余力を手に入れることができました。

それもあって、現実的に「会社に残るか独り立ちするか」をもんもんと考える時間が増えました。会社は辞められるけど、今の会社も負担が少ない割にあまり少なくない給料をいただけているので辞める理由も見つけられずにいたりします。

というわけでこんな記事を書くくらい「自分って結局今何者なんだろう」と考えることが多くなっており、それと同時に会社を辞めた後の仕事の作り方も色んな人とのつながりの中でトライアル的に実践してみています。

できれば35歳くらいまでには会社をやめて、1年くらいは海外を放浪したいなぁとぼんやりと夢見ています。

仕事をやめて、海外をのらりくらりしながらカタカタPC片手に仕事をこなし、外国の文化や空気に直に触れて自分の血肉にしていけたら最高だろうなぁとぼんやりと考えながら今日も関西の片隅でひっそりと生きているアラサーの駄文でした。

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@やました
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