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"論理で導かれた「正解」に価値はない" 山口周「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」

読書メモ#7です。

2017年に出版され話題となった山口周さんの著作です。

世界のグローバル企業の社長や幹部がこぞってアート系大学院の最高峰であるロイヤル・カレッジ・オブ・アートにてトレーニングを受けているという現状を踏まえ、タイトルの通りそこで「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」という問いに答えている内容です。名前はちょっとイカツイですが、山口さんの書きっぷりが柔らかく非常に読みやすい本でした。

なお、この本はエイトブランディングデザインの西澤明洋さんのセミナーでの読書課題にもなっている本なので、受講されている方の参考になれば幸いです。

「分析・論理・理性」に軸足を置いたビジネスの限界

今、世界で最も難度の高い問題解決を担うことが期待されているエリートビジネスマンたちがこぞってアートを学ぼうとしています。それは従来の「分析・論理・知性」を基軸としたいわゆるサイエンスによるビジネスに限界が来ているからだと言います。(そしてしばしば本書の中ではアートの対義語としてサイエンスが用いられます)

サイエンスとはひとつの正解を求める営みとも言いかえられます。それをビジネスに適応させるのは一見正しい行為に見えるのですが、その先には「正解のコモディティ化」が発生し、他社との差別化が消失する未来があります。

ビジネスで利益を上げるには他社との差別化が不可欠です。楠木健さんが「ストーリーとしての競争戦略」の中でも述べている通り、平均以上の利益を上げる企業には何かしら他の企業との差別化要因が存在していると言います。

しかし、サイエンスによる一つの最適解を求めるようなビジネス運営では他社も同じ最適解へ行き着くため、会社ごとの差がなくなってしまう、ということがこの本で述べられています。


サイエンスでは解決できない複雑なビジネス世界

従来のビジネスでは、何かの問題に対して要因がはっきりとしており、その静的な関係をサイエンスによって読み解いて問題を解決していくような手法が非常に有効でした。

しかし現代のようなインターネットを始めとする様々な要素がビジネスの中に内包される時代においては、問題の因子が多く、さらにそれらが動的かつ複雑に絡み合っているため、課題とその要因と一直線につないでそれらを解決していくようなサイエンス的なアプローチでは歯が立たなくなっている状態があると言います。


「真・善・美」に基づいた打ち手を創造せよ

そのような複雑に問題が絡み合ったような時代に有効な手法は、全体俯瞰的な「真・善・美」に基づく美意識視点での打ち手の創造だと言います。

具体的に言うと、「それは正しいか、それは善いことか、それは美しいのか」というサイエンスでは扱わない抽象的で数値化できないような感性によってビジネスを運営していく、と言えます。

そのような美意識に基づいた打ち手が必要な背景には現代ならではの以下の2つのポイントがあります。

1.すべての消費活動が「自己実現的消費」としてファッション化している
説明不要な事実とも思いますが、現代はものが潤沢にあり膨大な選択肢が存在します。
そのような経済的に成熟した社会では、消費活動は「必要に迫られて」というモチベーション以上に人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が必要となってきています。

2.システムの変化にルール(法律)が追いつかない
現代は非常に変化の早い時代です。そのような時代にはシステムの変化にルールが追いつかないという事態が発生します。
例えば数年前に起きて大きな問題となったDeNAを始めとしたソシャゲの「コンプガチャ問題」などもこのシステムにルールが追随した例と言えます。新しいビジネスにおいてはまだルールや法律が整備されておらず、そのスキを見てというか抜け道から利益を追求し、結果それが大きな社会問題となりました。
しかし、「法律を守り利益を追求する」ということはサイエンス的に言えば「正しい」戦略です。コンプガチャ問題も、法律が未整備だったとは言え「法律を守った上で利益を追求していた」とも言えます。
そこでも重要になるのが明文化されていないルールを内在的な「真・善・美」で判断する美意識であると言います。変化の激しい時代では、既存のルールを守るだけでは不十分で、人々に内在する美意識でもってビジネスの善し悪しを判断するリーダーの力が求められます。


でもサイエンスが不要ってわけじゃない

ではビジネスにおいてサイエンスは全くの不要なのかというとそうではありません。サイエンスによる理性的な判断基準には「正しさ」や「合理性」が存在していますが、美意識による感性的な判断基準には「美しさ」や「ワクワクするような楽しさ」があります。

本来は論理や理性を最大限発揮してもはっきりしない問題については感性による判断を検討するという姿勢が必要で、この両方が高い次元で混ざり合いながらビジネスを創造していくことが求められるのですが、現代はビジネスが論理一点に偏りすぎている現状があります。


サイエンスに勝てない、ひ弱なアート

なぜビジネスがアートではなくサイエンス的な視点に偏ってしまうのかというと、そこには「アカウンタビリティの格差」が存在すると言います。

サイエンスは論理的で言語化が可能であり、数値で表現できるものであるのに対し、アートは直感的で数値化や言語化に向かない側面があります。

そうなるとどうしてもサイエンスとアートの戦いにおいては、具体性のあるサイエンスに軍配が上がる結果になってしまいます。しかしその偏りが大きくなりすぎてしまっているのが現代のビジネスです。

さらに、サイエンスにおける「言語化可能」という特徴は、言い方を変えれば他への転用、コピーが可能なものであるということも言えます。これは差別化が必須要件なビジネスにおいては実は致命的な側面だったりします。

一方でアートによって実現されるストーリーや世界観というものは、他社にコピーされない、その会社の独自の強みとして存在し続けられます。まさに楠木健さんの「ストーリーとしての競争戦略」と同じ結論がここでも述べられています。


アートをトップに、サイエンスが脇を固める理想の組織像

そんな「重要なのにケンカにめっぽう弱い」アートをビジネスの中で活用するには、CEOもしくは大きな権限を持つポストにアート的な人材を配置し、その脇をサイエンスが固める、という布陣を置くことにあると言います。

ガチンコ勝負では勝てない「アート」にトップの権限を与えてしまうというものです。

スティーブ・ジョブズのAppleなんかが典型例かと思いますが、アート人材は直感や感性に基づいて「そもそも何をすべきか」「この世界をどう変えたいのか」という強烈なビジョンと情熱を持っており、それを原動力に会社を牽引させていくことが求められると言います。それ以外でもアートディレクターの佐藤可士和に強力な権限を譲渡しているユニクロのファーストリテイリングもこの例に当てはまるでしょう。


顧客視点ではなく、「上から目線」で市場を牽引せよ

この本では顧客や市場の要望に答えるビジネスではなく、市場の意識を教育する立場になる美意識を持つべきだとも述べられていました。

例えば車メーカーのMAZDAの顧客のデザインに対する意見の位置付けは「一応参考にする」程度のものに意識的にとどめていると言います。それはMAZDAの掲げるデザインが顧客の要望に応えるものではなく「顧客を魅了するデザイン」にあるからだと言います。

実はこういった考え方は、デザイン思考の真逆とも言えます。

デザイン思考は顧客や市場のニーズを綿密に調査し、そこからプロトタイプを短いスパンで作成しながら仮説検証を繰り返して問題解決を目指す手法ですが、MAZDAの考え方はそもそも顧客や市場の問題解決を目指していません。

しかし、そのMAZDAの美意識は広く市場に受け入れられ、世界的なデザイン賞も多数獲得するに至りました。

デザイン思考的な問題解決手法は非常に有用にも思われるのですが、その先にはやはり競合とのバッティングを起こす可能性が内在しており、差別化が難しくなってしまう問題があります。しかしMAZDAのような明確な世界観で市場を牽引するような姿勢は、他社にコピーされることなく企業独自の特色として根付いていったのだと思います。


感想:アートにロジックを与えるのがブランドなのかも?

本書では一貫して「アートは説明不可能なもの」という立場で論じられていた気がしています。自分もアートのすべてが説明可能とは考えていません。

しかしインハウスデザイナーという立場上どうしても自分の中にあるアートに対して社内でのロジカルな説明を求められます。

その際に、振り返るとアートにロジックを補強する役割として役立っていたのが「ブランド」だったと思い至りました。自社では製品ごとに(精度の差はあれど)「この製品はこういう世界観を訴求したいんだ」というようなブランドが設定されていて、そのためのロゴや色の使い方などのルールが設定されています。

その「ブランド」に関しては一旦社内で「これでOK」と合意が取れているものであるため、このブランドをロジックとして使うことが非常に有効でした。自分のデザインの妥当性を説明する際に「この製品ブランドではこんな世界観を表現したいのだから、このデザインで間違いない」という論法が可能になります。

しかし、まだ社内での製品ごとのブランド規定は「必要に迫られて仕方なく」作ってる感のあるものも多くあり、自分がデザインのロジックとして使うのにも心もとないものもあったりします。

そのため、やはり製品を開発する前に、デザイナーや関係者、責任者が膝を突き合わせてじっくりブランドについて議論し、方向性を決めるようなプロセスは非常に重要だと感じます。今そのファシリテートができるデザイナーが社内に不在であるというのも問題なのですが、社内でのコミュニケーションを増やし、まずロジックとしてのブランドをきっちりと固めてデザインに取り組める環境を作っていく必要性を考えました。


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