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通信制美大生が病んだ話。

#この経験に学べ

こんにちは。前川結佳と申します。
私は2024年に、23年度卒業生として武蔵野美術通信教育課程を修了しました。そして現在は主にアルバイトでお金を稼ぎながら制作をして生きています。(世間一般的な目線で見れば立派なフリーターでしょう。)

『アーティスト』『芸術をやっている人』というのは名乗れば誰でもそうなれる、とても自由なところだと思います。ただ、自由すぎるが故に苦しくなってしまう自分がいます。
今回はそんな苦しみを感じて生きている私の、自分語りをしていきます。


そもそも、私が何に対して『苦しい』とか『辛い』とかを感じるのかというと、絵の制作に対してです。
例えば、アルバイト後に疲れてそのまま寝てしまった…という日があるとします。その日は日課にしているスケッチもせず寝落ちしてしまい、ふと目が覚めると数時間が経っていた……。そんな日は「自分がこれから生きていきたい美術という世界に触れずに1日を終えてしまった」という絶望感でいっぱいになります。冷静に考えると、別にそんな日があったって何の問題もないじゃないと思うのですが、『何も生み出せなかった自分』にしかフォーカス出来なくなり、そこに対して自己否定/自己批判が始まるのです。

それはずっと前から抱えている負の考え方で、恐らくこの先も消えないというか、消さないものです。
どうしてわざわざ、そんな面倒くさそうな考え方を変えようとしないのかというと、それは、負のエネルギーから生み出される作品が『良い!』と感じる瞬間を何度も体験してきたからです。
マイナスのエネルギーは恐らく誰しもが持ったことがあるものだと思います。何人もの人が感じたことがある共通認識の事柄を描いた作品は、それに対しても共感を抱くものだと考えています。
なので、(あぁ、私にもこんなふうに悲しみに襲われた日があったな)なんて鑑賞者が感じれば、それはその作品の魅力のひとつとして映るのではないでしょうか?SNSに投稿すれば、『いいね』が付くことがありますが、単純ですが、いいねの数が多ければそれだけの人に印象付けられたんだと考えた時に、どれだけのリアクションを得られたのかが分かり易いです。実際、私の気分が憂鬱な時に描いた作品をSNSに投稿しても、批判的な反応よりも魅力的だという、むしろプラスの反応をいただけることが多かったです。

ポジティブな反応をいただけても、それがいつまで続くのか、私の描くものの存在価値は認めてもらえるのか、認めてもらうために私は何かが出来ているのか…などなどずっと迷路を彷徨っている感じです。

私の目標は、『芸術を学び続けて価値のある作品を残す』ことです。価値のある作品とはどのようなものを指すのか?という疑問とずっと向き合って行く必要があると思います。
そして作品を生み出す為にはいまよりも知識を得ていかなければなりません。なぜならアウトプットの為にはインプットが不可欠だと考えているからです。たくさんの展示をみて作品と作家に触れて、本を読んだりして情報を貯える。迷路を彷徨っていると言いましたが、私が入った迷路にはゴールは無いも同然だと思います。たくさん作品を制作してもそれがいつどのようなかたちで評価されるのか、または評価なんかされないのかもわかりません。とても不安定な状況に自ら立っています。他の作家さんがどんどん前に進んでいく姿を見ると自分と比較してしまってまた苦しくなったりもします。なので、不安感とか絶望感とか、気にし始めてしまうと『病む』要素のオンパレードです。

それでも表現者であり続けることをやめたくないのは、どうしようもなく絵を描いて自分の想いや考えをカタチにすることが好きだからです。
もしかしたら、いつかふとやめたくなって筆を折るかもしれません。ただ、その瞬間が来ることがあっても、それまではひたむきに頑張り続けたいのです。どれだけ苦しんでも、泣きじゃくってもしがみついていこうと思います。



さて、今回の記事は美大を卒業した私のいまの考えをまとめたくて書きました。ここまで読んでくださってありがとうございました!

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