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やけ食いはストレスのもとである。〜食べても太らないカラダがほしい6〜

前回のお話はこちらです。

高校三年生になると、大学受験に向けてがんばらなければ、といったいやでも色濃くなっていく。クラス替えでも、大学受験に向けて理系クラスと文系クラスに分けられた。ハデな格好をしていた子達も服装や髪型が少しづつおとなしくなっていった。

逆に体育祭や文化祭は、異様なほどに盛り上がった。おとなしくしなくちゃいけない雰囲気や、ただひたすら勉強しなくちゃいけない環境を、みんな叩き潰したかったのだろう。

将来何かになりたいという目標が、私にはなかった。

なんとなく学んでみたい学問はいくつかあった。とくに心理学と生物学に興味があった。高校生になっても、私は自分の気持ちがよく分からなかった。学問として心理や気持ちを学べるなら学んでみたい、と思っていた。もうひとつの生物学は「なぜ、生きているんだろう」という疑問から生じたものだった。食べなければ死ぬ、といわれたけれど、ぎりぎり生きている。生きるって、何だろう。文学的や哲学的なことよりも「生物の起源」みたいなものに強く惹かれた。

心理学か生物学か悩んで姉に相談した。姉の「生物学は大がかりな実験とかありそうやし、大学でしか学ばれへんのかもね。心理学は、大学を卒業してからでも勉強できそうな気がする」というひとことで、私は生物学を学ぶことに決めた。


私は学校の定期テストではそれなりに点数はとれる。授業を聞いていれば、だいたいどの辺りがテストに出るか分かった。けれど、模試や実力テストでは点数がとれる科目に偏りがあった。一般入試で大学受験をするよりも、推薦入試のほうがいいだろうな、と自分でも感じていた。

勉強は嫌いじゃなかったけれど、ひとりで勉強するには限度があると思っていた。当時は塾に通っていなかったし、通いたいとも思わなかった。一度、夏期講習の体験にいってみたけれど、たくさんの人が小さな教室にぎゅうぎゅうになって、ひたすら勉強している、というのがなんだか耐えられなかった。塾というのは、そういうものだと頭では理解していた。けれど、気持ちわるくて、その空間にいることすら嫌になったので途中で家に帰って、体験の途中でやめてしまった。

知らず知らずのうちに、私は私自身にプレッシャーをかけていったのだろう。勉強しなければ、勉強しなければ、勉強しなければ……。

両親は「勉強しなさい」なんて、ひとことも言わない。

むしろ「女の子が理系の四年制大学なんかいっても、なんにも意味ないやろ」とはっきり言うような父親だった。だから、勉強したくないと、私がひとことでも言えば「そうや、そんな難しい大学いくのやめたら良いねん」と、ニコニコしながら言ったかもしれない。もちろん、これは勝手な私の妄想でしかないし、両親は私が勉強ばかりしているのを心配していたのも、今となっては分かっている。

自分自身に、ムダにプレッシャーをかけ続けた。どこかで、ストレスを発散しなくちゃと思っていたけれど、その方法は分からなかった。

あるとき、私が目指していた大学が推薦を受けつけないことを知り、やり場のない苛立ちを募らせてしまった。単純に、私の情報収集ミスなのだけれど、自分のミスがとにかく許せなかった。

ちょうどその日、母がおみやげで買ってきたお団子と、姉が買ってきたケーキが重なって、たくさんのおやつがテーブルに乗せられていた。

私は、かなり苛立っていて、すすめられるままにケーキを食べ、お団子を食べた。お団子も、ケーキもおいしかった。食べていると、勉強のことや受験のことを忘れられた。

「食べ過ぎちゃう?」と家族に心配されたけれど「なんか、おいしくって」と笑いながら食べた。全然食べないよりは、食べていたほうがマシだろう。そういう気持ちもあって、お菓子をばくばく食べた日から、私は食事でストレスを発散するようになっていった。

高校一年のときは32kgから35kgくらいだった。高二ではマラソンをして筋肉がついたからか42kgくらい。しかし高三になり、私はどんどん食べるようになり、あっという間に50kgくらいになった。制服がどんどんキツくなっていった。制服のウエストがぎゅうぎゅうとくいこんで苦しい。痩せたときに作った制服だから尚更だ。洋裁の得意な母に頼んで、なんどか制服のサイズを大きく引き延ばしてもらった。太っていく自分の姿をみたくなかったけれど、食べるのを止められなくなっていった。

一時的なやけ食いではなく、とにかく食べていた。摂食障害の「過食症」とよばれる症状に近いものだった。食べているときは、なにも考えなくてよかった。ストレスの発散方法として、食べることを選んでしまった。


大阪の実家からはなれた、神奈川の大学に推薦入試で合格が決まった。一般入試よりも早く、11月頃に合格通知は送られてきた。けれど、それでも食べてストレスを発散する、というのをやめられなかった。ぶくぶくと太っていって、醜くてイヤだった。中学のときはガリガリで骸骨みたいだったのに、そんな面影すらもうどこにもなくなっていた。

高校の卒業式のころには63kgくらいまで体重は増えていた。だぼだぼのカーディガンを着て、体型をごまかすことしか考えていなかった。パンパンに膨らんだ、アンパンマンみたいな顔で、卒業式の記念写真に映っていた。

そうして私は、新しい場所に向かえば、また自分は変われるはずだと、淡い期待を抱いていた。今いる場所から、逃げたかった。

そうして大学進学のため実家を出て、ひとり暮らしが始まった。


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