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辞書を所持して

子どものころから、ずうっと「おとなになったら、やってみたい、買ってみたい」と思い続けていることがいくつかありました。

そのひとつに「広辞苑を買う」というものがありました。
広辞苑。言わずと知れた国語辞典の名前です。分厚くて、机や棚のある一角にどどんと場所をとります。一生かかってもその辞典に書いてある言葉のすべてを調べることはないかも知れません。

なぜ広辞苑に憧れていたかというと、わが家では私以外の家族がそれぞれ一冊ずつ国語辞典を持っていました。父は祖母から譲り受けた辞典。母は学生時代から使用していた、自分の名前が記された時点。姉も、小学生になるからと辞典を一冊プレゼントされていました。クロスワードの言葉が分からない時ぐらいしか辞典を使用していませんでしたが、それでも「自分専用の辞典」を持っているというのは、というのはうらやましく感じていました。

また、幼いころによく遊びに行っていたお家に置いてあり、そのお家のおじさんはよく使用していたらしく、程度よくくたびれていたこと。向かいの家にお住いの、博学で知られているおじさんと図書館で見かけたとき。貸出禁止の本を難しい顔をしながら調べ物をしていらして、そばには広辞苑が置かれていたことも理由のひとつかも知れません。

幼い私にとって、広辞苑は「物知りで勉強家のおとなが使うもの」として刷り込まれていました。大人になったら、いつか買おう。そう心に決めていました。

けれど、大人になればなるほど、辞典ってそれほど使わなくなりました。今ではネットの辞書もあります。知らない言葉をわざわざ辞典を持ち出して調べるっていうのはちょっと面倒にすら感じられるほど。いつしか、広辞苑を買いたいという思いは薄れていきました。

しかし、2018年一月。広辞苑が改訂され、新たに発売したというニュースを聞いたとたん、私の中にあった「広辞苑熱」がめらめらと再び燃えはじめました。本屋に行けば「広辞苑、予約受付中! 予約特典には三浦しをんさんの小冊子付き!」とデカデカとプリントアウトされた紙がレジの後ろに貼ってあります。三浦しをんさんといえば「舟を編む」で、まさに辞典の改訂に取り組む小説を書いていらっしゃる……! 小冊子すらも気になる!

何度も「予約します!」とレジに駆け込もうとしましたが、どうしても足が動きませんでした。一度は「もうあんなに大きな辞典は要らないかな?」と思ったのに、買ったところで使うかな? と悩んでしまいました。一万円近く支払って、ただの自己満足だけで終わるのではないか、と。

実際に発売された後、ずらりと並べられている姿は壮観でした。あの並んでいるうちの一冊を持ち帰りたい。会社帰りに本屋に立ち寄るたびに何度もそう思いました。しかし、そう簡単には買えません。文庫本や新刊ハードカバーの小説を買うのとは訳が違います。おそらく五キロ近くはある、ちょっとしたブロック並みの大きさです。「買うぞ!」と決心して、荷物の少ない日でなければ買って帰るのは困難な代物。

そうして、発売からもう四ヶ月以上過ぎたゴールデンウィークの初日。「今日、買おう」とついに決心しました。
書店のレジ横にドーンと鎮座している広辞苑を「これ、ください!」と意気揚々と指差した時の気持ちは、忘れられません。手で持って帰ると告げると、書店員さんは「重いですよ……?」といって、持ち運ぶ袋が破れないようにと、いろいろ工夫して下さったこともありがたかったです。

自分だけのささやかな望みをかなえたい。広辞苑を買うなんて、別にお金を払えばできることですし、電子辞典を購入した方が使い勝手がいいんじゃないの? と思われるかもしれません。ですが、昔からどこか心に引っかかっていて、叶えられることなのに、なんとなくできずにいることってたくさんあると思います。こういった小さな満足をひとつずつでも、自分の力で達成できるようになったことが嬉しいし、大人になって良かったなと思えることでした。

無用の長物にさせないように、広辞苑に掲載されている、けれどもあんまり知らないような言葉を使ってエッセイ又は短い小説などを書いてみようと思います。

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