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人間ドックの合否通知

「今日もまだ届いてないなあ」

仕事から帰宅して、家に入る前にポストをのぞく。無料で配布されているタウン誌だとか、セールのお知らせばかりが目についた。まだかな、まだかな? と気になってしょうがない通知は、まだ届かない。

「結果は3週間後に郵送にてお送りします」
2月24日に、人間ドックを受診した。その結果は3週間後の3月17日ごろに届くと言われていた。
3週間経っていないのだし、まだ届かないだろうと思いつつも、ポストの中を確認するときに「もしかして、もう届いてるかも?」という淡い期待がずっとあった。

人間ドックの結果を待っている間、何とも言えない不安がうっすらとした膜のように私に覆い被さっていた。
「もし、何か病気が見つかったらどうしよう」気付かないうちに病気が進行していくよりも、人間ドックで早い段階で見つかった方がよっぽど良いとは思う。けれども、やはり自分の身体に不安な影が射し始めているかもしれないと思うと心配だった。

人間ドックの結果を待っているのが心配で、夜の眠りが浅いという、なんともマヌケな日々を過ごしていた。ただ、この「結果を待たなきゃいけない」不安感は、どこかで体験したことがあるな……と考えていると、ふと思い当たることがあった。

それは大学入試の合否通知が届くのを待っている時間だった。
今は、もしかしたらネットで合格番号が発表されたりするのだろうか? 国立大学だと掲示板みたいなものに、ズラリと受験番号がならんだ模造紙が張り出されているのだろうか?
私が大学受験をしたときは、書留の郵便物が自宅に届いていた。入学に向けた案内が入った、分厚い郵便物ならば合格。心なしか厚みのないペラペラとして薄情そうな郵便物ならば不合格。郵便物を開封しなくても合否がわかるから残酷だと、家族と話をした覚えがあった。

試験を受けて、もう何を足掻いても結果が変わることはない。だけど、そうだとしても、祈らずにはいられない。普段は神さまなんて信じてもいないのに、「どうか、お願いします」とついつい手のひらを合わせて、空の上のほうに祈ってしまうのだ。

自分の健康について、少しばかり不安なところもあったので、ひどい結果でないことを、祈ってみたりもした。祈ってみたところで、まったく意味なんてないとは知っているのだけれど。

予告されていた通り、ぴったり3週間後の3月17日に人間ドックの結果が郵送されてきた。びりべりと、封をされたのり付けをはがす手が慌ててしまう。

結果は「C判定」

まったく問題ないですよ、がA判定だとして。
まあまあ、問題ナシといえるでしょうがB判定。
私はその下の「ちょっと気になる箇所があります。放って置かずに気にかけて、定期的に受診しましょう」のC判定だった。

ちなみに、2年前に受診したときは「ピロリ菌要治療」のD判定だった。

腎機能の低下がC判定だったことと、散発性上室性期外収縮という「なにそれ、やばそう」な項目が引っかかっていた。
散発性上室期外収縮とは、いわゆる頻脈と呼ばれているもの。たしかにここ最近、といっても半年前位から左胸がギュッと掴まれたような感覚があったり、ちょっとした違和感は感じていた。かかりつけの病院でレントゲンだけ撮影してもらったけれど「特に何も見つからない」とのことだったので、まあ、あまり気にしないでおいた。夫に相談しても「最近、なんかストレッチしてるし、その筋肉痛じゃない?」とあまり深刻には捉えられなかった。私自身あまり気にし過ぎるのも良くないかも、と思っていた節がある。

しかし、この散発性上室性期外収縮という症状は、健康な人でも普通に発症するものらしい。ネットやら何やら調べてみても「若いうちは、気にすることはない」と書かれている。37歳は若いと言えるだろうか……? なんとなく気になる年頃だ。

あまり続くようならばやはり病院で検査した方がいいだろうし、素人判断はやめておいた方がいいに違いない。心臓の機能が低下していると腎臓にも負担がある、とも「家庭の医学」的なものにも書かれていたのも、ちょっぴり気になるところだ。

即治療の「D判定」ではなかったけれど、ぎりぎり健康と言えるかどうかの「C判定」。

合格通知を手にできなかったような、一抹の不安は残されている。けれど、自分の身体のことをついつい後回しにしてしまっている。もう少し、身体をいたわる必要があるのかもしれない。もう、37歳にもなるわけだし。

健康管理に気をつけて次回の人間ドックでは「B判定」を目指したい。

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