「書くこと」との出会いと始まりの物語。
「お母さんは、あなたを甘やかさないから。」
これが母の口癖だった。
母は5人きょうだいの末っ子。
兄や姉に「甘やかされて育った」、
兄や姉が「宿題は全部やってくれた」と
いつも私に話していた。
母にとって
「甘やかされて育った」という事実は
その後の母の人生にとって
決して良いことではなかったのだろう。
母の言葉の端々に
それを伺い知ることができた。
そんな母には
もうひとつ「甘やかされて育った」ものがあった。
それは、「ひとりっ子」。
母たちの世代で、ひとりっ子は珍しい。
母の身近にいた「ひとりっ子」はわがままで、
手が付けられなかったらしい。
周囲はみんな「あの子は、ひとりっ子だから…」と
諦めていたそうだ。
そして、母の娘、
つまり「私」はひとりっ子。
母の心の中では、
自分自身が甘やかされて育った引け目と
甘やかされて育ったひとりっ子の記憶が結びつき
負の相乗効果をもたらしていた。
「私はあなたを甘やかさない」
「ひとりっ子だから、
甘やかして育ててるなんて言われたくない」
それが母の「子育ての方針」だった。
そんな母の子育てが
優しさに満ち溢れているはずがない。
母は言葉より先に手が出る人。
私が何か母の意に沿わないことをすると、
母は瞬間湯沸かし機のように怒る。
鬼の形相で、ツカツカと私に向かってやって来る。
私は奥歯をグッ!と噛みしめる。
次の瞬間、
「バチーン!」と頬に平手打ちが一発。
幼い私の身体は、壁までよろけて止まる。
怒りに任せた母の感情的な言葉が浴びせかけられる。
それが我が家の「日常」。
私にとっての「当たり前」。
そんな「日常」や「当たり前」が
ちょっとおかしいとか
他の家庭とは違うなんて
幼い私には知る由もない。
私が悪い子だから怒られる。
仕方ない。
ただ、それだけ。
母を怒らせないように過ごすだけ。
母にとっての「いい子」であり続けるだけ。
私にはそんな境遇を分かち合ったり
慰めてくれる「きょうだい」もいなかった。
父は、
朝8時に出勤し、帰ってくるのは20時ごろ。
寡黙な人なので、家にいても会話はほとんどない。
ほぼ、母とふたりきりの毎日。
ただ、息苦しかった。
そんな息苦しい毎日に
風穴が空いたのは小学校2年生のとき。
人生を変える「あるもの」と出会った。
その「あるもの」とは「日記」。
小学校2年生の時、
日記が毎日の宿題になった。
タイトルは「先生、あのね」。
「先生と内緒話をするように
何でも書いていいよ。」
最初に、先生がそう言ってくれた。
そして、
この日記の仕組みがすごかった。
日記のノートは「A」と「B」の2冊。
今日「A」のノートを提出すると
先生はそれを一晩預かって全員にコメントを書く。
翌朝、私たちは「B」のノートを提出して
コメントのついた「A」のノートを受け取る。
今度は、先生が「B」のノートを一晩預かる。
そんな仕組みだったから
先生のコメントはとっても丁寧。
先生のコメントがただただ楽しみで
私は毎日一生懸命書いた。
書いて、書いて、書いて、
ノートはどんどん増えていった。
私だけ、ノートの冊数のケタが違った。
「書くこと」と出会い、
母と私以外の「第三者」が現れたことによって
私は毎日の息苦しさから随分と解放された。
「書くこと」で得られる解放感と
「書いたこと」にフィードバックをもらう喜び。
それが、今も私が書き続ける原動力になっている。
これが「私」と「書くこと」の
出会いと始まりの物語。
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