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人生が動いた3つの出来事。

前回は、アラフィフの私が「書くこと」を始めた理由について書きました。
まだ読んでない方は、ぜひこちらから。

20年以上、ボーッとサラリーマンを続けていた私に何が起きたのか。

それは次の3つです。
1つずつお話していきますね。

自分の限界と初めて感じる違和感。コレは私が求めていた「幸せ」なの?


2度目の育児休暇から復帰したのは42歳
もう3人目は考えていなかったので、「これからはまた仕事頑張るぞ!」と意気込んでいました。

その2年後。
44歳の時に、幹部社員に登用されます。

当時は、まだ女性の管理職も少ない時代。
周囲から色々な期待を寄せられました。
私自身も、一気にモチベーションが上がりました。

そして、上司に登用のお礼を言いに行ったとき、こう言われたんです。

「これからは、もっと実績をアピールしていかないとな。」

ここまでは年齢や勤務年数、社内昇格試験に合格するなどすれば、いわゆる「年功序列」の仕組みでキャリアアップできますが、ここから先は、上司からの推薦が必要になります。

推薦に必要なのは実績と、そのアピール。

ちょうどそのタイミングで、あるプロジェクトのリーダーを任されました。

元々、自分自身をアピールすることが苦手な私には、早速のチャンス到来でした。

そう、チャンス到来のはずでした…。

だから、頑張ったのですが…。
何かちょっと間違えちゃったみたいで…。

気負い過ぎて、
自分で色々なことを抱え込み過ぎて、
進捗に遅れが出始めて、
段々と追い詰められていきました。

今思うと、軽く病んでたと思います。

家に帰りたくなくなり、家族が寝た頃を見計らって家に帰るようになりました。
当時、まだ保育園児だった娘は、「ママが会社に行くと帰って来ない!」と言い、毎朝私にしがみついて泣き、私が会社に行かないよう必死に引き止めていました。

コンタクトレンズが片目しか入っていないことに、丸一日気づかない日もありました。

毎日が苦しくて苦しくて仕方なかったある日。
上司に呼ばれて告げられました。

プロジェクトリーダー交代。

嫌だ!ちょっと待って!
私、ちゃんとできます!大丈夫です!!

心の中ではそう叫んでました。
だけど、言葉になっていたかは分かりません。

でも、そう言ったところで、「それじゃあ、もう一度」って言ってくれるような会社じゃない。
20年以上いれば、そんなことは分かります。

仮にもう一度チャンスをもらえたとしても、当時の私には状況を改善することはできなかった。
自分のことですから、それくらいは分かります。

私の会社での限界が見えました。
もう、これ以上のキャリアアップはないと直感しました。

その後は、思った通り、自分の部下だったメンバーや若手のメンバーにどんどん追い抜かれていきました。
女性の幹部社員も、どんどん誕生しました。

私は、道路脇に座らされて、目の前のメインストリートを通り過ぎていくみんなの姿をただ眺めているだけ。
そんな気分でした。

その時、ふと思ったんです。

コレが、私が20年以上追い求めてきた「幸せ」なの?

みんなの期待って、自分も望んでるモノなの?
他人の勝手な期待じゃないの?
なんで昇進したいの?
みんなに「すごい」って言われたいから?
こんな小さな組織の中で「すごい」って言われて、その先に何が残るの?
娘を毎日泣かせてまで、手にしたいモノなの?

そう考えたら、「幸せ」はもっと別の場所にあるんじゃないか。
そんな気がしてきました。

自分の限界と、初めてサラリーマンを続けることに違和感を感じた出来事でした。

勤務先に不祥事発覚&倒産危機。私は水が変わっても生きていける?


自分の限界と生活に違和感を感じて、まだ心の整理がつかずツライ気持ちを引きずりながら暮らしていた頃。

突然、勤務先に不祥事が発覚しました。

連日、全国ニュースやワイドショーを賑わせる事態。
ああいうのって、ホントに社員には事前に知らされないんですよね。
ホント、直前。
下手すれば、お客さまの方が先に知ってたりします。

当然、世間から猛バッシング
このまま「お取り潰し」(倒産)になるのでは?というウワサも流れました。

その時、こんな思いが頭をよぎりました。

会社潰れたらどうする?
私、他の会社で生きていける?
って言うか、私を雇ってくれる会社なんてある?

この頃、初めて「市場価値」という言葉を知りました。

自分の「市場価値」というものを考えてみて、改めてこの会社で生きていくためのスキルしかないことに呆然。

いや。
「市場価値」という言葉こそこの時初めて知ったけど、この会社から放り出されたら、外で自分が使い物にならないことは、多分かなり前から気づいていたと思います。

今のポジションが、自分の実力以上の場所であることも。
先の失敗で、嫌というほど自覚していました。

ただ、「今の職場は安泰だから、そういう事態にはならないから大丈夫」と、高を括っていただけ。

そんな意味不明な前提が崩れかけて、
起きないはずだったことが現実になりそうで
焦りまくっていただけ。

結局、会社は倒産まで行くことなく持ちこたえたので、ひとまず命拾いはしました。

でも、安泰なんてない。
こういう事態は、いつでも普通にあり得る。
ずっと今のままだと、いつか大変なことになる。

当り前のことなのに、気づかないふりをしてました。

定年まで逃げ切るとか、
この会社にしがみついて生きていこうとか、
そういう考えはやめよう。

自分で稼ぐチカラをつけよう

ほっぺたをペチン!と叩かれたような出来事でした。

夫がうつ病発症&退職。もしかして、起業って特別なことじゃない?


「オレ、やっぱり体調悪いわ。病院行く。」

勤務先の不祥事で、社内がまだバタバタとしていた頃でした。

ある日の朝、夫が突然そう言って病院に行き、「うつ病」と診断されて帰ってきました。

今思うと「突然」ではありませんでしたね。
少し前から体調不良を訴えていましたが、私自身がそこまで深刻だったとは感じていなかっただけ。

夫は、翌日から会社に行かなくなりました。

きっかけは、会社の人事異動

夫と私は、同じ会社の同じ職場。
得意分野を活かして、20年以上ずっと同じ部署で活き活きと働いていた夫でしたが、突然の人事異動。

理由は分かりません。

新しい部署は、仕事の内容も全然違う部署。
異動と同時に役職が変わって、給料も半減するというオマケ付き。

そんな状況でも、頑張り屋の夫はポジティブ思考で新しい仕事を前向きにとらえ、取り組んでいました。

でも、会社の不祥事の後始末のような仕事。
資料のホチキス留めの位置や、
両面コピーの向きにまで文句をつける年下上司。

夫のメンタルは悲鳴を上げました。

新型コロナウィルスが世界を震撼させた2020年。
夫は1年半の休職の末、復職することなく退職しました。

また同じ職場に戻って、
また嫌な上司の下で、
また嫌な思いをしながら仕事をする気にはなれないと言われました。

夫もちょうど「55歳」を迎えたタイミング。

「オレ、辞めていいかな?もういいよね?」

そう言う夫に「もっと頑張れ」なんて言えませんでした。

そして、夫を見ていて思いました。
私もいつ会社の都合で異動になるか分からない。
それがサラリーマンだけど、それでいいの?
上司も職場も選べない。
この年齢にもなって、我慢して働かなきゃいけないの?

そんなの嫌だなぁ、って。

夫は、休職中に退職も見据えて、ビジネスについて情報収集もしていました。
私にも色々話をしてくれました。
夫の話を聞いている内に、世の中には私が考えている以上に色んな仕事があるんだと思いました。

そして、とてもたくさんの人がサラリーマン以外の働き方で頑張っていることを知りました。

アイデア次第で、何でも仕事になる世界

私が井戸の中でピチャピチャと遊んでいる間に時代は移り変わっていました。

情報技術の発展のおかげで、起業のハードルも低くなり、起業は一部の人間の特別なものではなく、当たり前のことなのだ知りました。

そして、私にも何かできそうな気がしました。

自分でビジネスしてる人にとっては、
「は?何、当たり前のこと言ってんの?」って感じですよね。
今となってはそう思います。
でもね。
サラリーマンって、そんなことも知らないんですよ。

いつも私の数歩前の人生を歩いてくれる夫から、また人生の課題を学んだ出来事でした。

そんなこんなで、私の人生は大きく舵を取って進路変更。
今、新しい旅路の途中にいます。

少し長くなりました。
今回のお話はここまでです。

次回は、私と「書くこと」との歴史を書きたいと思います。
ぜひ私をフォローしてお待ちくださいね。

【追記】
続編はこちらです。ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

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