見出し画像

白姫を見た寒夜。④

私は当時、かなり参っていた。
仕事ばかりを懸命にやった10年。
自分で始めた店だから、泣き言なんて言ってられなかった。
目の前には仕事しか立ちはだかっていなかった毎日。
それが、お店を手放さないといけなくなって、その途端、目の目に立ちはだかったのは、仕事ではなく私自身の心になった。
あれだけ楽観的でポジティブとなんとかなるの神様とだけが仲良しだった私は、ある出来事で心が折れる音を聞いた途端、神様が私の心の中から消えていなくなった。

そして、人生で一番長く付き合ってきたはずの自分自身の姿が、どこにもいなくなって、初めて見る自分の姿ばかりと向き合う事になり、戸惑いが隠せない毎日になった。

この日もいつものように、barでお酒を飲んでいた。
この時間だけが、心に立ちはだかっている私がいなくなる時間だった。
自分を追い払い、空間や人の流れや人の声、私じゃないものだけを感じて緩やかに流れる時間を楽しんでいる時、元カレが若い彼女を連れて現れた。
また、目も合わさない。
私の隣にいる子とは言葉を交わす。
元カレの目は私を捕らえることを拒否していた。
居場所がなくなった私の心は、また、私の中に現れた。
それを感じた瞬間、無意識に携帯を開き彼にメッセージを打った。

『どこにいる?』

すぐに返信が来た。

『家。来る?』

私は急いで店を出た。
『どこいくの!?』
扉を出る間際、お店の女の子が言った。
『私にだって行く所がある!』
その子にではなく、とっさに元カレに言い放った事を今でも覚えてる。

私は店を出て走った。
うる覚えでしかない彼の家に向かって全速力で走った。
でも、途中でわからなくなった。迷ったんだ。
向かう先は合っているのか、とにかく急に不安になった。

『いまどの辺?』
電話が鳴った。
『わからなくなった。橋越えて、、信号があって、、、』
『そこにいて。』

2月中旬の深夜は寒かった。冷たい風。お酒も入って、走って、あったかいけど、ほっぺが冷たい。
白い息を吐きながら、息苦しくなって、マフラーを外そうとした時、自転車に乗った彼を見つけた。そしたら、急に頬に当たる風も澄んだ冷たい空気も気持ち良すぎるくらい新鮮に感じた。
そしてこの空気は吸いすぎると危険な気がして、思わずマフラーで顔を隠した。

『どこ行ってたん?』
『バーで飲んでた。』
『ふーん』
それ以上の事は聞かれず、そのまま二人で家まで歩いた。

私は冬の夜が好きだ。
澄んだ空気と冷たい頬。
それを感じた時
自転車に乗った彼の姿を見つけた時の安心感を今でも感じることができる。

今思えば、あの時、あの場所に白姫の存在を見たような、、そんな感覚でもあった。
それなら、あの冷たくてでも暖かかった綺麗な空気を
もっともっとたくさん吸い込めばよかった。


つづく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?