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神は死んだ、のか ニヒリズムと無常感にみられる思想的受容性・抱擁性

ニーチェがヨーロッパの伝統への抵抗から唱えた「神は死んだ」に表されるニヒリズムは、わが国では昔からの無常感と結びついたのは、外来の思想・哲学・宗教に対する我が国の受容性・抱擁性によるものだ、と丸山真男の「日本の思想」を読んで思いました。

「神は死んだ」=「絶対的価値観の消失」であり、キリスト教を信仰しなくなるということと同時に、人々の判断基準の絶対的なものが消えた、ということですが、ここにはヨーロッパのキリスト教というそれまで疑う余地もなく絶対的な真理としてきたものに対する揺らぎ・アンチテーゼがあります。

このヨーロッパに絶対的真理に直面した開国時の我が国について、丸山は、「日本における思想的座標軸の欠如」を指摘します。この欠如ゆえに明治初期に怒濤のように流入したヨーロッパの思想・哲学・宗教を柔軟に取り入れることができたのでしょう。

丸山は言います。
思想的伝統の強靱な基軸を欠いていた」状況において、明治の開国を機に「欧米の思想文化が開かれた門からどっと流れこ」み、更に「ヨーロッパの哲学や思想がしばしば歴史的構造性を解体され、あるいは思想史的前提からきりはなされて部品としてドシドシ取り入れる結果」、「ヨーロッパでは強靱な伝統にたいする必死の抵抗の表現にすぎないものがここではむしろ常識的な発想と合致したり」した、とします。

その結果、「あらゆる哲学・宗教・学問を、相互に原理的に矛盾するものまで、無限抱擁してこれを精神的経歴のなかに平和共存させ」、「ヨーロッパ的伝統への必死の抵抗としてうまれたものが、わが国に移植されると存外古くからの生活感情にすっぽり照応するために本来の社会的意味が変化するということもよくおこる」として、ニーチェを引き合いに出します。

「日本のように生活のなかに無常感や「うき世」観のような形の逃避意識があると、ああしたシニシズムや逆説は、むしろ実生活上の感覚と適合し、ニヒリズムが現実への反逆よりもむしろ順応として機能することが少くない」
逆説が逆説として作用せず、アンチテーゼがテーゼとして受けとられ愛玩される。たとえば世界は不条理だという命題は、世はままならぬもの、という形で庶民の昔からの常識になっている」

ヨーロッパでは、村々・町々にはその中心部には教会をそびえ地図がなくともそこが集落の中心だと分かります。門前町を別とすれば我が国のお寺が居住地に中心部にないことに比べ、教会の圧倒的な存在感を視覚的にも精神的にも感じます。大都市に行けば大聖堂が威容をほこり、キリスト教の影響は人々の生活レベルの隅々まで及んでいます。
キリスト教はヨーロッパの風土的な土壌になっているだけでなく、さまざまな判断基準にもなっており、「強靱な基軸」になっています。

ニーチェはこの強靱な基軸に抗う意味で「神は死んだ」と、アンチテーゼとして唱えたわけですが、それが我が国に輸入されると丸山が言うところの「テーゼ」として無常感と共振しました。

我が国では、ニーチェの考えが正確に理解されていない、と言いたいのではなく、私は肯定的に受けとめています。
我が国は欧米の技術・制度を貪欲に取り入れ、それを日本風に応用し経済的に発展してきました。これは経済面に限らず、哲学・思想についても日本風に咀嚼して昔からの価値観と共存させています。

古くは仏教伝来にまで遡ることができ、先人は大陸からの仏教文化を日本の分化に融合させ独自のものを創りだしてきました。思想・哲学・宗教に対する受容性・抱擁性・雑多性が我が国の特徴でしょう。

9月のお彼岸にはお寺にお墓参りをし、10月にはハロウィンで盛り上がり、12月にはクリスマスで家族団らんし、1月には神社・寺に初詣に出かける、という宗教的雑居性に何の疑問も挟まず、風習として楽しんでいることは論を待たないでしょう。

我が国では、宗教が判断基準の絶対的背骨になっているわけではなく、宗教でなくとも判断の絶対的真理があるわけでもないので、ニーチェが言う「神は死んだ」という思想を、伝統的かつ絶対的な存在からの作用に対する反作用として理解するのは難しいでしょう。むしろ、丸山が言うように、「世の中ままならぬもの」という無常感に近いものという方が感覚的に近いでしょう。

八百万の神々がいる我が国では、加えて日常生活で宗教を意識する場面が少ない我が国では、「神が死ぬ」ことはないのでしょう。

「我が国における神の思想が大きく変質したのは鎌倉時代以降」であり、「その背景には、仏教思想が定着し、その影響力が深化し」、「大陸から流れ込んできた仏教に対抗するために、日本は小国だけれども、神の助けを受ける神国なのだ、と主張する必要があった」という学者もいます。
(和歌文学の基礎知識 谷知子 角川選書 電子書籍版」

こうした考察からも、我が国では昔から絶対的なものに社会全体が縛られてきたのではなく、「外来もの」を柔軟に取り入れてきました。

これを「思想的伝統の強靱な基軸を欠いている」としたとしても、困難な場面に直面したときに精神的支柱がないというマイナス面はあるにせよ、それを補って余りあるほどの、柔軟性・雑多性・抱擁性というプラス面が我が国の特徴であり、卑下することなく肯定的に評価するものだと考えます。

「日本の思想 丸山真男 岩波新書 電子書籍版」



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